第42話 僕はもう、何が何だかわからない。




 僕には、小さな頃から好きな子がいる。

 とても可愛くて頭が良くて人気者で、でも泣き虫で、意地っ張りで、ワガママで、僕と同じところで笑って、泣いて、怒ってくれるそんな女の子。

 歩けばクラスの男子が目で追って、話せば皆が耳を澄ませた。そして、笑えば誰彼構わず、その胸を射貫いていく。そんな、みんなのアイドルが、正反対とも言える立ち位置の、クラスでも目立たない地味な僕を、何かある度気にかけてくれるのだ。

 毎朝のように家の前で待ってくれて、僕が出ると『おはよー』と笑いかけてくれるし、学校が終われば『帰りましょ』と、手を握って微笑んでくれる。

 出不精な僕の為に、春は花見に、夏は花火。秋はハロウィンに、冬はクリスマス。いろいろと季節のイベント毎に僕を楽しませてくれた。

 僕だって、こんなだけど男だから、少しでもカッコ良いところを見せたいなと行動してはみたものの、悔しいことに、この性格が災いしてか一度も上手くいったためしがない。

 例えば、誕生日。

 初めてのプレゼントは、どこにでもある安価なピンク色のシャープペンシルだった。


 『ごめん、僕のお小遣いじゃ、これしかなかった』


 本当はもっと可愛いモノを考えていたのだけど、あってないような小学生のお小遣いじゃそんなものしか買えなくて。


 『あ、ありがと』


 だけど、彼女は、本当に嬉しそうに笑ってくれて、そしてハニカミながら大切にするって言ってくれたのに、……良かったね、で終わらないのはこの頃からか。――すぐ壊れたんだよな。机から落としたくらいであっけなく。

 缶ジュースほどの値段しかしない子供用のチャチな文房具だ。何かの弾みで壊れてもしょうがないのだけど、真っ二つに折れたシャーペンを手に、目にいっぱいの涙を溜めて、本気で落ち込んだアイツを見たのはそれが初めてだった。


 『……ごめんね』


 そういえば、アイツの “ ごめん ” を聞いたのもあのときが初めてだったように思う。

 まぁ、つい最近、アイツの机のペン立てで久しぶりにその姿を目にしたときは、――とっくに捨てたと思っていたのにさ、使えないだろうに壊れた部分にリボンなんて巻いちゃって。


 『な、なんだよ。こんなのまだ持ってたのかよ』


 ――不覚にも胸が熱くなってしまって。


 『いいでしょ。――大切なモノなんだから』


 真っ赤な顔のアイツの言葉に、密かに惚れなおしたのは内緒だ。

 そんな感じで、やることなすこと妙に上手くいかない、それこそいつも裏目裏目で、敗北の歴史ばかり。

 だから、流石に疑問に思って、小学生の頃に尋ねたことがある。

 どうして、そんなに僕に構ってくれるの、と。

 だって、隣に住んでいると言うだけで、なぜそんなにも僕に良くしてくれるのか。

 クラスでも、もっとカッコいい子や人気者が彼女の事を好きだと、噂で聞いていた。でも、彼女はそういう男子達を歯牙にもかけず、僕にだけ嬉しそうに話しかけてきてくれて。そこが、ずっと自分では全然理解できなくて。


 ――クラスの人気者のように、僕は楽しいおしゃべりなんて出来ないよ?


 『口の上手いヤツは、中身が無いから言葉で自分を飾り立てるんだって、テレビで言ってたわ』


 アンタはただ隣にいてくれるだけでアタシを笑顔にさせくれるじゃない。アタシにとってはそっちの方がありがたいわ。

 彼女は、照れくさそうに笑ってくれて。


 ――運動も得意な方じゃないよ?


 『運動が出来るのはその人の持っている個性でしょ? 』


 アンタはいつもアタシを楽しませてくれるじゃない。そっちの方がアタシにとって意味のある個性よ。

 僕を励ますように、手を握ってくれた。


 ――勉強はからっきしだよ?


 『そんなの、人間は毎日が勉強だってお父さんが言ってたわ』


 毎日を一生懸命生きていけば、勉強なんてそのうち出来るようになるわよ。

 頑張れと、僕にもたれかかるように身体を預け、


 ――女子からもいわれたけど、顔が、僕は、全然かっこよくないからさ。


 『……は? どこのどいつがそんなこと言ったのよ。頭にくるわね』


 ――アンタの目の前で、キッチリ土下座させてやるんだから


 そう言って、優しく抱きしめてくれたから、勇気をもらえた。

 幼稚園、小学校、中学校と、彼女の僕への態度は変わらなくて、僕の気持ちもどんどん大きく膨らんでいって。

 これが恋心だと気がついたのはいつかなんてもう覚えちゃいない。

 小学校に入学する頃には、もう、僕の目は彼女しか見ていなかった。

 もちろん、仲が良いばかりではない。ケンカもした。それはもう数え切れないくらい、たくさんした。

 その都度、あぁ、アイツを泣かせてしまった。怒らせてしまった。今度こそ、嫌われたと落ち込んだ。

 頭にきて、僕から無視をしたこともあったし、酷いときは、彼女から顔面をグーで殴られたこともあった。

 でも、彼女の名誉のためにも言わせて欲しい。あのときは、僕が悪かったんだ。

 そう、あれは中学生の頃。

 僕の下駄箱に、一枚の可愛らしい便箋が入っていて。

 読むと、やれ、『カッコイイ』だの、『アナタの声を聞くだけで癒やされます』だの、『隣にいると幸せに包まれます』だの、一体誰のことを言っているのかと、笑ってしまうくらい歯の浮くような台詞で褒めちぎっていて、最後には、明日の放課後に、校舎裏で待ってます、の一文で〆てあった。

 まぁ、あれだ。一瞬ドキリと胸が跳ねはしたけれど、いやいや、この僕だぞと、そんなわけがないだろうと、もちろんすぐにわかったさ。

 字がどうみても男子の書いたそれだったし、ところどころ漢字の間違いだってあった。ほら見ろと。僕みたいな冴えないヤツがよくやられる、どこにでもある定番のイタズラじゃないかと。


 『僕のことカッコいいんだってさ』


 見つけたのが下校時で、隣にはアイツがいたもんだから、僕は笑いながら彼女に見せたんだ。


 『……』


 僕はてっきり彼女も笑ってくれると思ったのに、


 『え、どうしたんだよ……』


 さっきまで、今日の晩にあるテレビ番組の話で盛り上がっていたぶん、突然だからさ、僕も面食らっちゃって。

 だって、隣のアイツは、もう顔面蒼白で、震える手は、わざとじゃ無いだろうけど、ただ握ってるだけなのに便箋をクシャクシャにしてしまっていて。


 『行かないわよねっ! 』


 突然、鬼気迫る表情で、僕に詰めよるもんだから、こちらとしては意味がわからない。


 『ど、どこに? 』


 もう! と、自分で便箋のシワを必死に伸ばし、彼女は唸った。


 『どこって、……あ、明日の放課後よ』


 あぁ、校舎裏にってことか。

 どうせイタズラだろうから、行くわけがない。だって笑われに行くようなものだ。そりゃあ、宝くじの一等が当たるくらいの確率だろうけど、これが本物のラブレターと言う可能性もある。もしかすると、女子が本当に待っているかもしれない。

 だけどさ。――僕だぜ?

 裏で周りの女生徒たちからなんと言われているか、本人である僕でも知っている。

やれ、地味だの、暗いだの、微妙だの。なんなら彼女の金魚のフンとか引き立て役とか、ほんと言われたい放題だ。否定でき無いところが悲しいけれど、その手の話を聞くと、この幼馴染みが黙っちゃいないから、面と向かって言うヤツはいない。いわゆる陰口止まりなのが不幸中の幸いか。

 それに、この便箋をしたためたヒマ人達の見当も、おおよそのところ付いている。明確にコイツだという所まではわからないにしても、心当たりならあるのだ。

 そもそも、彼女への告白を決意するヤツが後を絶たないのが原因といえばそれまでだけど、まぁ、これだけの美人だ、周りがほっとかないのも当然といえば当然で。

 簡単に言うと、アイツへの悲恋に泣いた男達のヘイトが、僕へと牙をむく。

 もちろん、みんな一生懸命に恋心をぶつけてくる。それをバカにしたり笑ったりなんかしやしない。でも、ものの見事に、しかもあっさりはっきりフラれたもんで、その結果、中には捨て台詞で、『どうせ、あの不細工なヤツが好きなんだろう? 』なんて、素っ頓狂なことを言う奴がいるわけで。

 結果、そこからの『は? 誰がブサイクですって? 』激怒、アイツの壮絶な罵倒炸裂。が、ある一定の頻度で起こるのだ。

 ほとんどの場合、僕はのぞき見みたいで良くないと拒否するのだけど、それでも皆がお前は近くで待機しておけと言うから、何か起ころうものなら僕が飛び出してアイツを止めることになる。

 だけど、そうすると相手方も『お前のせいだ』と、こちらに怒りをぶつけてくるし、それを見て彼女もヒートアップする。もはやそれは、半ば伝統で。

 アイツは小学校の一件以来、中学ではおとなしく振る舞ってはいるのだけど、不思議なことに、僕関係ではやたらと沸点が低いのだ。


 『なんでって、だって、……とにかくムカつくのよ。カチンとくるの! 』


 とは、彼女の談。

 ちょっと何を言いたいのかわかりかねるのだけど、その都度、なかなかの大立ち回りを見せるもんだから、アイツ関連で僕を冷やかすのは御法度。少なくとも、僕の通う中学校では、これはもう常識と化していた。

 ようするにというか、悲しい事に、だからというかなんというか。この便箋は100パーセントの確率で、僕の事を良く思わないヤツらからのイタズラなのだ。

 だから、この手紙が冷やかしだと感づいて怒るならともかく、なんで彼女がそんなに悔しそうな顔をするのかわからない。

 アイツは、どこか、ネズミに出し抜かれた猫のような雰囲気で、例の便箋を突きつけてくる。

 でも、何をそんなに焦ることがあるのだろうか。情緒不安定というか、ただでさえ落ち着きが無いのに、今は苛立たしげに『どうしよう、どうしよう、大ピンチじゃないの』ブツブツと呟きながら、残った片方の手を自分の額に当てている。

 とりあえず、目立つ少女である。そんな子が、靴箱で不安げに立ち往生していて、さらには、隣に微妙な顔の男が立っているとなると、やはり他生徒達の目が気になってしまうわけで。

 また、妙な噂を立てられては困ると、僕は彼女の腕を引いて、


 『ほら、帰るぞ』


 いつまでもこの場に留まるのは得策では無い。


 『あ、もう。引っ張らないでよっ! 』


 逃げるように、その場を後にしたんだ。



 ……しばらく続いただんまりの後、いつもの帰り道を歩きながら、どこか元気の無いアイツへ、僕は言った。


 『行かないよ』


 いつの間にか、彼女の方から手を繋ぐ形になっていて、少しだけ強く握られた手のひらが、むず痒い。

 彼女は、少しだけ言い淀んだけれど、


 『……行きなさいよ。待ってる子が、可哀想じゃん』


 一言、元気なくポツリ。

 でも、そうアイツは答えたけれど、どこか拗ねたようなセリフに潜む本音を、声色で僕はわかったつもりでいて。


 『じゃぁ、行く』


 僕の言葉に、繋いだ彼女の手に力が入る。

 その時の僕は、もしかすると、この少女は自分に好意を寄せてくれているのかもと、バカみたいな淡い期待を持っていたもんだから、


 『行って、――断ってくる』


 どうにかカッコいい所を見せようと思ったんだよな。


 『――他に好きな人がいるからって』


 くるりと、アイツに向き直って、今思い返してみても、なんでそんな事をしたのだろう。今まで幾度となく、この “ 彼女の前で格好つける ” で、失敗してきたくせにさ。いつもみたいに誤魔化せば良かったのに、何でだろうな。そんな後先考えていない、無鉄砲なことを口走ってしまって。


 『……え』


 まだ中学生だからさ、その辺の加減がわからなかったんだ。僕としては、まだ告白するのは早いと思っていたんだ。可愛くて、頭も良くて、人気者な彼女の隣に並ぶには、結局、自信ってものが全然無くって。まだ、コイツとは釣り合わない、百年早いだろうって、そう考えていて。

 だから、突然足を止めた彼女に。

 どんどん頬を染めて耳まで真っ赤になっていく彼女に。

 鞄を地面に落としてまで、僕の手を両手で掴んだ彼女に。……不意に照れくさくなってしまった。

 だって、本当に好きな子が、潤んだ瞳でこっちを見てくるんだ。ずっと、ただずっと、僕の目を見つめてくるんだ。

 僕自信、顔どころか、体中が熱くって、慣れないことをしたからだろう。この変な空気に耐えることが出来なくなってしまって。

 彼女がその時、何かを言おうとしたのだけはわかる。でも、何を言ったのかはわからない。

 だって、


 『あ、あたしも――』


 『――なぁんてな! 』


 不意に、自分の口からこぼれた言葉が、彼女の言葉をかき消したのだから。

 何度も言うが、まだ中学生だ。こんな場面、経験した事なんて無いんだ。むしろ無縁だろうと過ごしてきたんだ。

 例えそれが悪手だとしても、強引に照れ隠しぐらいするだろう。

 続く僕の言葉は、何だったかな。確か、『腹減ったな』とか、そんな類いの、無理矢理に話をそらすものだったと思う。

 ふざけたように笑っていたし、見る人が見れば小馬鹿にしているように見えたかもしれない。今、思い出しても、本当に最悪な一手だったと思う。

 だから、少しの間の後に、彼女が大きく振りかぶって、


 『最っ低っ!! 』


 いきなり渾身の右ストレートを、僕の鼻っ面にお見舞いしてきたのも、仕方ないし、


 『ぐはっ!! 』


 地面に倒れ込む僕を、表情を無くした顔で、――目だけはこんなに尖らせて、――まるでゴミを見るかのように見下してきたのも、まぁ、それも仕方ない。

 どんどんと遠ざかる彼女の背中を見つめながら、


 『……やっちまった』


 ごろりと大の字で道路に転がったまま、僕は、苦々しくそう呟いたんだ。


 ――だから、その時の顔を今も彼女がしていたから、僕はまた身構えたんだ。


 こんな僕たちの他には誰も居ない階段の踊り場で、あのときみたいに、パンチの一つでも飛んでくるかもと考えたんだ。

 ついさっき、頭突きされた額はまだじんじんと痛む。

 今回ばかりは身に覚えが無いけれど、目の前の彼女は、いつか見た、本当に怒った顔をしていたから、あぁきっと、また今回も何か僕はコイツを怒らせてしまったんだろうとそう考えたんだ。

 だけど。


 「~っ! あぁもう! もうっ!! 」


 僕の、頬にはまだ柔らかな感触が残っていて、


 「なんでよけるのよっ!! 」


 そして、アイツはつい先日見たような、もう溶けそうなほど真っ赤な顔で、僕を睨みつけてきた。



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