第31話ーB がんばりなさい。そうアタシは、笑いかけた。




 ホントにもう最低最悪な朝だ。

 朝日の差し込む台所で、アタシは憎らしげに、あの真っ青な空を睨みつける。

 昨日の晩から机にかじりついたまま、泣きべそをかきつつ、結局一睡も出来なかった。

 だって、もう時間がないんだもん。ことごとくチャンスを逃し、もう、約束の火曜日。

 最後のチャンスだからと心に決めて挑んだ昨晩は、結局蓋を開けてみればあんな馬鹿みたいなマヌケな終わり方。我ながら、呆れてものも言えないわ。

 わかっちゃいたけど、アイツを前にすると、上手くいかないのよね。この十年間、日常会話は何の支障もないのだけど、この想いを告げるという一点だけは、どうしようもなくアタシの頭はバカになる。

 でも、そうはいっても今日は約束の日。放課後までしか猶予がない。それまでに、自分の心を落ち着けて、言うべきことを整理しなきゃならない。

 だから、昨日の晩、アタシはアイツへの想いをまとめ、本番に向けしっかりと練習しようと試みた。……試みたのだけど、机に広げた消しゴムのかすと、感情のままに書き殴ったヨレヨレのルーズリーフ。ひぃひぃベソかきながら、これを書き上げる頃には遠くの空が白んでいて。


 ……最悪だ。


 またもや頭を抱えてしまう。だってそうでしょ、内容が、まったく頭に入っていないのだから。

 なんとか書きはしたものの、これがすらすらと出てこなければ、意味がない。考えなくてもわかる。このままでは、きっとまたしどろもどろに失敗する。

 それともまさか、これを片手に彼の前に立つの? ただのバカだ。そんなのまるで発表会じゃない。

 一心不乱にレポートを読むかのような、そんな、まぬけな姿が脳裏に浮かび、アタシはつくづく自分の不器用さに腹が立った。


 「――ちょっと、もう少し離れてよ。近くてやりづらいじゃんか」


 「うっさいわね。別にアンタには頼んでないんですけど? 」


 ――妹の肘がアタシの腕を押してくる。


 アタシは、お母さんにはお願いしたけど、別に妹に声を掛けてはいない。

 それなのに、


 『今日のお弁当、アタシが作るから』


 『ちょっとやめなさい。せっかくのお天気なのに、雨が降るわ』


 『どういう意味よ。いいから手伝って。……ふ、二人分、作るから』


 『……へぇ。そう、ふ~~ん♪ 』


 『あのさ、その顔やめてくんない? ……別に、そういうんじゃないから』


 と言う会話に、さっきまで寝ぼけ眼でボリボリと腹を掻いていたくせに、


 『じゃあ、アタシが兄ちゃんの分つくるっ! 』


 爛々と目を輝かせて妹が立候補してきたのだ。

 うるさい、座ってな。アタシは確かにそう言ったんだけど、


 『お姉ちゃんの手料理なんて、かろうじて食べ物ってレベルじゃん』


 とか朝っぱらからケンカを売ってくるもんだから、何だとこのやろう、やってやろうじゃん。なんて、なぜか参戦を認めてしまったわけで。


 ――我が家の古い台所で、二人は少し無理がある。アタシも妹も、同世代の女子と比べて背が高い。そんなのがお母さん監督のもと、並んで料理するとなるといかんせん手狭なわけで。


 「お姉ちゃん、それ梅干し入れた? 」


 「あ! 」


 「ちょっと、フライパン! 焦げてる焦げてる!! 」


 「ひえぇ! 」


 「水、出しっぱなし! 」


 「ちょっ、待って待って! 」


 「もう、全然ダメじゃん」


 寝不足がたたって、少し頭がぼんやりしているのだろうか、台所でお弁当を作る、ただそれだけにとても手こずってしまう。

 しかも、お弁当でこんなに手間取るとは思っていなかったもんだから、ようするに時間配分をミスったのよね。

 洗い物をお母さんに押しつけて、バタバタと慌ただしく向かった洗面台で、


 「……詰んだ」


 もうイヤだ。アタシはいよいよくじけてしまいそう。

 だって、鏡に映る自分の姿は――ボサボサの髪に、むくんだ顔、充血した目に、そしてなによりも真っ黒く刻まれた目の下の隈。――アタシ史上、最高に大事な日なのに。それなのにアタシ史上、最低最悪な見てくれなのだから、ふいに泣きそうになる。

 確かに、決して周りに自慢できるようなビジュアルじゃないわよ。昨日会った先輩みたいに美人じゃないし、スタイルも彼女に比べたら並程度。

 でも、せめて今日だけは、アイツに最高のアタシを見せてやりたいと思うじゃない。……まぁ、昨日は見せすぎて失敗したんだけど。

 ふと、昨日の醜態を思い出し、顔が熱くってしまう。だってアタシってば、下着姿でアイツの前に出て、いったい何がしたかったのか。

 あれじゃ破廉恥な露出狂よ。あんな格好のヤツに告白されたんじゃ相手としてはたまったもんじゃないわ。

 それに、言い訳になるけど、あのね、可愛い部屋着はいっぱい持ってるの。もちろん、下着だって。


 ……と。まぁ、それは今考えることじゃないわね。


 お父さんも言っていたけれど、物事には順序があるとアタシも思うし、その件は、しばらくの間、脇に置いといていいでしょう。

 とにかく、前々から来るってわかってればそれ相応の準備はしてるわけ。

 でも、結局アタシってば、いつも裏目に出ちゃうのよね。ここぞというときに運が悪いというか。

 今日も、こんな顔だし、お弁当も手際が悪くて百点じゃない。そうね、こういう “ いざ ” という時に、日頃の行いって出るんでしょうね。

 今までの悪行が自分自身に跳ね返り、そして、今まさにアタシに代価を払えと、借金取りよろしく、当然だろうと言わんばかりに堂々と顔を出した。簡単に言うとそんなとこでしょう。

 そりゃそうよ。世の中が、なにもかもアタシに都合良くできているわけないじゃない。

 認めるわ。アタシは、ズボラでワガママで泣き虫です。周りにたくさん迷惑をかけながら今日まで生きてきました。

 でもね。――それがなに?

 アタシは勢いよく戸棚を開け、お父さんにおねだりして買ってもらった高性能ドライヤーを握りしめる。


 ――だからどうした。


 そうよ、だからどうしたなのよ。

 アタシは、全速力で髪を整える。

 目の充血は隠せないけど、目の下の隈は化粧でどうとでもなると踏んだ。だから、まずは最低限の見てくれを確保するために、ドライヤーを全開で働かせる。

 しばらくの間、洗面所を占領するけれど、今日ばかりは妹に何も言わせない。

 だって、今日はアタシの勝負の日。今までの行いだとかなんだとか、そんなのまるっと全て関係ないわ。今日だけは全身全霊、全力を尽くさないと間違いなく後悔する事になるもの。

 それだけはイヤ。絶対にイヤ。今まで散々失敗して、いっぱい泣いてきたんだもん。

 だから、徹夜で書き上げた告白文も、頑張って作ったお弁当も、出来ることは全部やるの。

 アイツが喜んでくれて、それでいて、やっぱりコイツしかいないなって想ってくれる。ううん、違うわね。これでも足りないぐらいだ。

 だって、アイツは今まで、アタシにそれ以上の幸せを与えてくれていたのだから。だから今度は、今日こそは、これからは、アタシがそれ以上を返さなきゃそれこそフェアじゃないわ。

 アタシは、鏡に映る情けない女の両頬を叩く。まったくなんて顔してんのよ、そんな顔してどうすんの。アンタがバカだから、ヘタレだから、どうしようもないから、仕方ないじゃない。いい? 腹の底から気合い入れなさい、この十年分の覚悟を決めなさい。


 「……がんばりなさい」


 くじけそうな心を押さえ込むように、アタシは笑顔をつくってみせた。


 「――その笑い方、バカみたいだよ」


 いつから後ろにいたのかしら、妹が歯ブラシをくわえたまんま、アタシに向かってそう吐き捨てる。

 うっさいと、苦々しく睨みつける、そんな小さな洗面所に、どこからか、小鳥のさえずりが聞こえてきた。



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