第26話 妹は、いらないならちょうだいと、姉に叫んだ。 ②




 「――ほい、完成。中学の宿題なんてお茶の子さいさいよ」


 姉は腕を上げ、ゆっくりと背伸びをすると、ふぅっと一息。アタシにノートをよこしてきた。

 本当に終わったのかと、怪しんでめくったページには見惚れるほどの綺麗な字が並んでおり、正誤の判断はともかく、しっかりと宿題をやり終えた体をなしていた。

 ものの三十分ほどであれだけあった宿題を終わらせるとは、やはりこの姉たいしたものである。


 「これくらいの宿題なんて、自分でやんなさいよね」


 姉が、呆れたような顔でそう言うもんだから、アタシも負けじと、宿題を代わりにする約束でしょと、言い返す。

 まったくイヤになる。これくらいの宿題と至極簡単に言ってくれるが、アタシならこれだけの量をこなすのに、軽く二時間はかかるだろう。性格は悪くワガママでどうしようもない姉だが、やはり勉強だけは出来るのだから、どうか自分を基準に物事を考えるのはやめて貰いたい。


 「あぁはいはい。だからやってあげたじゃないの。ていうかアンタね、ケアレスミス多過ぎなんだけど」


 挙げ句の果てには、頼んでもないのに昨日の宿題を添削し始めるもんだからたまらない。

 だから本当は、憎まれ口の一つでも叩いてやろうかと思ってたのだけど。


 ――ふと、ノートから視線を上げた先、……あぁ、なんてこった。


 「……お、おぉぅ」


 まさに、なんてこったである。


 ……今、目の前にはどうにもたまらない案件が、もうひとつ発生してしまっていた。


 アタシは、間近で揺れるあるモノに、それこそもう目が釘付け。


 「現代文のこことか何よ。そもそも字が汚すぎ。ミミズののたくったような字なんて、たとえ正解でもバツ貰うわ。あのね、字を綺麗に書くことはそれだけで一目置かれるのよ? 」


 ……あぁ、そうですか。


 いつもどおりの難解な、かつ、非常にありがたい教えをご教授していただいているとは思うのだけど、――畳に座るアタシを前にして、中腰で向かい合うようにノートをのぞき込むもんだから、ちょうど、姉の胸元が目の前にきて、――アタシはもうどうにかなってしまいそうだ。


 ……締め切った部屋に、風なんて吹くわけがない。なのになぜ。なぜ、こうも美しく揺れるのか。


 「だからアンタ、ここの英文もスペルはあってるけど、字が下手すぎて怪しいからバツ貰ってんのよ、わかってる?」


 わかった、わかったから。


 ……乳をこっちに向けんな。


 キャミソールから除く、その見事な谷間が気になって何も入ってこない。というか、あれか? これは遠回しに喧嘩を売られているのか?

 無いアタシに対する新手の嫌がらせか? 

 別にそんなモノ、羨ましいなんてこれっぽっちも思ってないからな。でも自慢じゃないが、その手の喧嘩は全部残らず買うぞ。

 昨日の一悶着もそうだが、アタシに常日頃、この手のストレスがどれほどかかってきているのか、ここらで一度思い知らせた方が良いのかも知れない。


 『アイツの姉ちゃんはスゴいんだけどな』


 『まぁ、個性っちゃ個性か』


 『アレが良いって言うヤツもいるみたいだぜ』


 男子の言うスゴいとは何か。

 姉と並んでも、そう背丈は変わらないし、顔も少しアタシの方がつり目気味だが、頻繁に似ているとは言われる。なぁ、それ以外の何を比べてスゴいのか。あと思い浮かぶのは学力なのだが、なぁ、学力だよな、なぁ、おい。――泣かすぞ?

 力の入った手が、ノートをクシャリ。こめかみに浮かぶ青筋を――いかんいかん。約束とはいえ、綺麗に宿題を仕上げて貰ったのだから、今日は勘弁してやるべきだ。――アタシはどうにか押さえ込もうと努力する。

 でもまずは凝視したまんまじゃ負けたみたいで悔しいからさ。強引に首を動かし、目前の有害物質から視線を逸らして畳を睨めつけた。

 もう、ちゃんと聞きなさいよと身を乗り出して姉は言うが、なぁ姉よ、言わせて貰うが、まずは慎みを覚えろ。そして、よく考えろ。そんな物、姉妹のアタシに見せてもだ、お互い何も特はしないじゃないか。そう。そんな下品なモノ、どうせ見せるなら、アンタの大好きなダーリンに見せてあげてほうが――と、そこで、アタシはひとつ気がかりなことを思い出した。

 今日の朝のことである。その時は時間が無いからと足早にその場を後にしてしまったのだけど、確かこの姉、


 「そういえば、仲直りした? 」


 朝っぱらから、兄ちゃんともめていたのだ。

 姉の機嫌が悪くないということは、どうせ仲直りしたのは確定なのだけど、痴話ゲンカに巻き込まれ、危うく遅刻しかけたのだから、事の顛末くらい聞いてもバチは当たらないだろう。

 それに、きっといつもと同じ犬も食わないくだらない内容だろうけど、興味がないといえば嘘になる。やれ、二人で話題のスイーツを食べに行ったけど、一人分しか残ってなかったから公園で半分コしたとか、見に行った映画がつまらなかったから、兄ちゃんの部屋で二人、朝までレンタルした映画を見ただの、どうしようもないくだらない話ばかり。

 本音としては、ただただ、羨ましい。兄ちゃんとそんなこと出来るなんて、絶対に楽しいじゃん。ぜひアタシも混ぜて貰いたい。

 だけど、そんな私情はいったん横に除けといて、ただ単純に、不器用同士な姉と兄ちゃんの動向は見聞きする分には不思議と面白いものなのだ。


 「――ねぇ、誰にも言わないって約束できる? 」


 だから、姉が急に真剣な声色でアタシの顔を見つめてくるもんだから、虚を突かれ、言葉を失ってしまった。

 もしかして、やっぱり何か諍いが生じたのだろうか。そのただならぬ雰囲気に、アタシは、畳に座り直し姿勢を正す。

 そして、姉もアタシと同じく畳の上に腰を下ろすと、……満を持した顔で、よし。

 覚悟を決めたような挙動を見せたから、これはきっととんでもないことが起きたのだと身構えて……


 「……こ」


 こ?


 「……告白、されちゃいました」


 ……まるでコントのようにずっこけそうになる。


 一体何を言うかと思えば。

 もし、効果音がきこえるのなら、間違いなく『ズコーッ』だ。

 妙に時間をかけたわりには内容に力がなさ過ぎる。もっと腰をぬかすほどの話題を期待していた分、肩すかしの勢いがスゴい。


 「あのね、アイツ、アタシのこと……す、すすす、好きなんだってぇ」


 最後の方なんか声が裏返ってたし、そりゃ念願の告白だ。それこそ踊り明かすほど嬉しいだろうけどさ。

 きゃっ、なんて乙女のように恥ずかしがって顔を隠した姉に、


 「あぁ、うん。……知ってたけど」


 なんだそりゃと、アタシが全力で拍子抜けしたのは言うまでもなく。しかも、告白されちゃいましたの一言の後、完熟したトマトのように顔を赤らめられても、こちらとしては、いやいや、知ってましたけどそれが何か? としか言えないわけで。


 「なによぉ。もっと驚きなさいよね」


 ワー、スゴイネー。


 「もう! 」


 きっと姉の欲しかった反応と違ったのだろうけど、そんな少女漫画のような赤ら顔で言われても、


 「いやいや、昨日のあれで気づかないほうがおかしくない? 」


 アンタ、あれだけの騒ぎを起こしておきながら、少しも気づかれていないと思っていたのか。いやはや、どんなおめでたい脳みそしているのかと姉の頭を心配してしまう。

 しかも兄ちゃんからの告白を、この姉が断るわけがない。こんなもの一種の出来レース。正解を知っているクイズや、オチの分かりきった漫才のどこがおもしろいのかと逆に聞きたい。


 「プ、プロポーズもされたんだから」


 「そんなん、いつかはされただろうさ」


 神に誓ってもいい、兄ちゃんが姉に愛想を尽かすことなんて、絶対にありえない。同時に姉が、兄ちゃん以外の人とどうにかなるなんて、間違ってもあり得ない。

 結果、そのプロポーズうんぬんも遅かれ早かれいずれ来る約束された未来なのだから、鼻で笑ってしまう。そんなもの、いちいち誰が驚くものか。


 「そんなんその場でオッケー出して、はい終了でしょうが。誰が驚くの。むしろ、アタシはお姉ちゃんがなんて返事したかが知りたいよ」


 もしかすると馬鹿みたいに取り乱して、クソみたいに可愛くないことを言っている可能性すらあるし、むしろアタシとしては、そういう残念な話が聞きたくて仕方がないのだけど。

 アタシがニヤついた顔のまま、姉ににじり寄ると、姉は目を泳がして、しまいには先ほどのアタシのように畳へと視線を逃がした。


 「ほら、ここまで話したんだから、もったいぶらずに最後まで言いなよ」


 いつもなら、今日アイツがどうしたこうしたと、聞いてもないのにべらべらべらべら。兄ちゃんの事となると嬉しそうに話すあの姉が、今回は、えらく口が重いのだ。

 いよいよこれは何かやらかしたなと、アタシは面白くて仕方がない。

 姉の今までの行動パターンから推測すると、大きく分けて二つ考えられる。

 パターンその一。アンタがそこまで言うなら付き合ってあげるわ。せいぜい感謝しなさいよ。といったクソ生意気に上から来るパターン。

 パターンその二。とりあえず素直にオッケーするけど、感情が大爆発して取り乱して収拾がつかなくなるドタバタ活劇パターン。

 昨日の昼の雰囲気では後者かと思ったが、兄ちゃんが不機嫌だった今朝の感じでは、前者の可能性も捨てきれない。

 はてさて、目の前で畳に『 の 』の字を書き続ける口を尖らせた赤面少女は、いったいどういった行動をとったのか、アタシとしてはそこが気になって仕方がない。――仕方がないのだが、


 「……返事は、してない」


 ――耳が、どうやらおかしくなったみたいだ。


 だって、もし万が一にもこの耳が正常だと仮定すると、――まさかまさかのパターンその三が登場である。

 突然降って沸いた明後日の回答に、アタシは久しぶりに頭の中が真っ白になってしまう。

 え? 兄ちゃんは告白したんだよね? プロポーズもしたんだよね? なんでこの姉は返事をしてないの? それとも何か? 勝手にアタシたち外野が姉の気持ちを勘違いしていたとでもいうのだろうか。


 ……どうしよう、頭が回らない。今までの常識を根っこからひっくり返されたような、そんな言い表せない混沌が、アタシの中で渦巻いている。


 たっぷりの時間をかけたけど、それでも意味が分からなくて。アタシの出来の悪い脳ミソでは姉の回答が素直に呑み込めない。


 「え? あの、え? ちょっと待って? お姉ちゃんは、に、兄ちゃんのこと好きじゃないの? 」


 思わず聞き返してはみたものの、こちらと視線を合わせないまま、姉は金魚のように口をパクパク動かすばかりで、その様子からはどっちなのか判断つかなくて。

 確かに、直に姉の口から兄ちゃんの事が好きだと聞いたことはない。ただ、誰が見てもわかるほどバレバレな、あの言動はなんだったの? どう受け取れば良いの?

 もし、兄ちゃんの気持ちを知っていて、それでいてわざと思わせぶりな行動をとっていたんなら、アタシはコイツを許さない。

 兄ちゃんからの好意を、面白おかしく自分の自尊心を満たすためだけに利用していたのなら、それこそ絶対に、何があっても許さない。

 でも、仮に。

 ほんのわずかな可能性だけど、もし仮に、万が一にもそれがアタシの勘違いだとしたらどうだろう。その思わせぶりな態度には腹が立つけれど、あの天然な姉が無意識にやったことならと、普段の行動から鑑みるに納得できなくもない。

 そう、はじめから、姉は兄ちゃんをそういう目で見ていなかったのなら――だとしたら。

 アタシは胸がざわついて、苦しい。だって、もしそうならアタシはもう我慢しなくて良い。そして、もう誰にも遠慮なんてしなくて良いのだから。

 一言、『なんとも思ってない』もしくは、『恋愛感情なんてない』そう姉の口から聞けるなら、失恋した兄ちゃんには悪いけど、ごめんなさい。これをアタシはチャンスと捉えてしまっている。

 でも安心してね、アタシは兄ちゃん一筋だから。心変わりなんてしないから。

 アナタが望むなら姉みたいに髪を伸ばすし、胸は、……無理かもだけど、頑張るから。少しでも好みに近づけるよう努力する。約束する。

 突如として降って湧いた棚ぼたに、アタシは気が急いて仕方ない。

 だから、この沈黙を長びかせるものかと、アタシの手は、姉の腕を掴んではなさない。

 絶対に逃がすもんか。言質を取るまでは決してはなすもんか。

 だって、もしお姉ちゃんが、兄ちゃんをいらないって言うんなら、次はアタシの番だもん。ずっと我慢してきた、兄ちゃんへの気持ち。そう、今度こそ、やっとアタシの番だもん。

 そんなアタシの顔に、姉はようやく観念したのだろうか、これまたたっぷりの時間をかけて、いよいよ溶けてしまいそうな顔のまま、絞り出すように、


 「……キライ、の反対」


 ……ふざけたことを、ぬかしやがった。


 「じゃぁなんでっ!! 」


 なんで! どうして! ふざけんな! 


 ……結局は、ほんの少しの可能性はやはり可能性でしかなくて。そんなのはじめからわかっていたくせに、アタシはやはり、まだどこか期待していたのだろう。だからこその、この憤り。

 

 だって、まったく理解できない。

 兄ちゃんは、告白したんだよね? お姉ちゃんも好きなんだよね? じゃぁ、なんでさっさと言わないの? それじゃあまりにも、あまりにも兄ちゃんが、――可哀想だ。


 「兄ちゃんは、どっちって聞いてこなかったの!? お姉ちゃん、返事してないんだよね!? 」


 それでもせめて返事をしない、もしくは遅らせる理由くらいは説明したのよね!?

 その質問に、姉がゆっくりと首を左右に振る。そして、それがどうかしたのといった表情に、アタシの脳裏をもう一度兄ちゃんの顔がよぎって、――沸々と、腸が煮え始めた。

 落ち着け落ち着けと自分に言い聞かせ、吸って吐いて呼吸を整えて、それでもアタシの手の中で、丸めたノートがギシリと悲鳴を上げる。

 そもそも、なんですぐさま返事しないのか。しかも、返事を待たせる理由すら説明していないとなると、いよいよ酷い。それじゃぁ、あの兄ちゃんのことだから、きっとこう考えたはずだ。

 あぁ、やっぱりそうか。僕の事なんて、はじめから――


 「――理想の告白ってあるじゃん? 」


 姉の回答に、――全身が震えたのはいつ以来だろうか。


 「……バカかよ」


 とっさに考えていることが口から出てしまったんだけど、だって、そうでしょ。アタシは開いた口が塞がらない。

 ついでに手に持ったノートで姉の頭を全力でハタいてしまったのも、誰が止められようか。


 「なんで叩くの!? 」


 「っ!! このバカタレっ!! 」


 突然の攻撃に、姉は目を白黒させながら頭を押さえている。だけど、そんな察しの悪い姉に何だかいよいよ本格的に腹が立ってきて、アタシはもう一度、そのバカの頭をハタいた。


 「二回も叩いたっ!! 」


 「うるさいっ!! 」


 この姉、自分のしでかしたことにまだ気が付いていないのか。アタシは身体が震えて仕方ない。この調子でボコボコにぶん殴ってやろうかとさえ思う。

 これはそう、……怒りだ。


 「な、なんで怒ってんのよ……」


 こいつ、まだわかってないのか。さすがの姉もいつもの姉妹喧嘩と違うアタシの剣幕に何かを感じたのか、意味が分からないという表情でこちらを見てくる。

 だが、それがまた、アタシの癇に障ってしかたない。

 アタシは、姉の前でいよいよ立ち上がると、吹き上がる怒りを堪える。そして、出てしまいそうになるこぶしを握り締めると、代わりに姉の顔をにらみつけた。


 「……自分と兄ちゃんの立場置き換えてみな」


 姉はいよいよ委縮したように、クッションを体の前に持って、まるで盾にするかのような構えをとっている。

 アタシは、我慢できずにドスンと一度、床を踏みしめた。多分階下にも音が届いたと思う。この音が続けば母がやってくるだろう。でも、だからといってこの感情を、アタシは目の前のこの馬鹿姉にぶつけなければ気が済まないところまで来ているのだ。だって、


 「ずーっと、ずーっと好きな人に、勇気をふりしぼってやっと告白したんだよ」


 姉はクッションの陰から顔を半分出して、頭に『 ? 』を浮かべた顔をしている。きっとこの妹何言ってんのかしらと思っているはずだ。


 「すっごい不器用で、相手の事とかいっぱい考えて、たくさん葛藤があったはずなのに、それでもいろいろ覚悟して、どうしようもなく相手の事が好きで好きでたまらなくて、頑張って告白したんじゃん」


 「だ、だから、今度返事するって言って――」


 その姉の言葉で、アタシの中で完全にスイッチが入ったと感じた。


 「――自分に置き換えろって言ってんの! 」


 昨日電話した時の兄ちゃんの声色はどこかおかしかった。その時は姉と良いことがあったからかなと思っていた。


 「お姉ちゃんは、ずーっと好きだった兄ちゃんに頑張って告白して、……すぐに返事がもらえなかったらどう思うの? 」


 「……え? 」


 今朝、兄ちゃんの様子がおかしかったのは、きっといつもの痴話喧嘩だと思っていたけれど、もしそうじゃなかったら。

 もしかすると、全てアタシの考えすぎかも知れない。でも、アタシの大好きな兄ちゃんは、そういう人だもん。だから昨日感じた違和感と、今朝感じた違和感が、もし同じ理由を起因としているのなら、とても嫌だけど合点がいく。


 「きっと相手も自分のことを想っているなら、すぐに返事が返ってくるよね。でも、それが無かったとしたら? 」


 「……ちょっと、ちょっと待ってよ。アタシ別にそんなつもりじゃ」


 兄ちゃんは姉の嫌がることを絶対にしない人だ。姉が迷惑と感じれば、心の底から後悔してしまう、そういう人なのだ。だけど、そんな兄ちゃんが告白したんだ。どうしても自分の気持ちを抑えきれなくて、いっぱいいっぱい悩んで、勇気を振り絞ったに違いないのに。


 「何も言ってくれないのか。あぁやっぱり、自分のことなんか、好きじゃなかったんだな……」


 「違う! 違う違う違う!! そんなこと思ってない!! アタシはただ……」


 姉は勢い良く立ち上がると、その細い指でアタシの肩をつかんだ。

 やっぱりそうだ。きっと姉は、今日一日、普段通りふるまったに違いない。いや、むしろ好意にあてられて、舞い上がって、いつも以上に抱きついて、いつも以上に笑いかけて、今まで以上に好意を見せつけたのだろう。でも、そんなの酷すぎる。それはあまりにも酷な話。


 「もし、お姉ちゃんなら、次の日、――普通でいられる? 」


 それが、一度でも袖にした相手に向けたものなら、こんなに残酷なことはない。だって、今日の姉の様子を見るに、兄ちゃんがいつもと同じ態度で接したとしか思えないのだから。

 好きで好きでたまらない相手に勇気を出して告白したのに、相手は返事もせずに、また何事もなかったかのように、振る舞ってくるのだ。

 そんなの――失恋した。自分の告白なんて意に介すレベルでもないと態度で表された。アタシならそう考える。泣いている。くじけている。折れている。

 でも、それでも兄ちゃんは、姉に合わせていつもどおり、何事もなかったように振る舞ったのなら、それはきっと苦しくて、どうしようもないほど悔しくて、そして泣くほど辛かったに違いない。

 だからそれを強要した目の前のコイツは、一体何様なのかとアタシは思ってしまう。


 「どこか変だなとか、いつもと違うなとか、そういうの兄ちゃんから感じなかった? 」


 小さなころからずっとこの二人を見てきているのだ。それに、姉に負けないくらい兄ちゃんのことを、アタシは見てきているのだ。兄ちゃんの良いところ、カッコ良いところ、素敵なところを、たくさんたくさんアタシは近くで見てきているのだ。

 ホントに優しくて、アタシの事も姉と同じくらい大切にしてくれて、そんな兄ちゃんの気持ちを考えると、どうあってもアタシは、……目の前のこのクソバカを微塵も許せそうにない。


 ……この鬼め。


 「アンタ、本当に、最低だよ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る