第10話 妹は、目の前のニンジンに飛びつき、巻き込まれる。 ①



 アタシは月曜日がキライだ。

 そして、そんな日に、朝から騒がしいヤツはもっとキライだ。


 「ねぇ~、寝癖が直らないんだけど、どうしよ~」


 アタシの住むボロ家には、洗面所が一つしか無い。しかも、人一人が立てるほどの小さなスペースしかないのだけれど、毎回のようにうちの姉が占拠しているもんだからたまらない。


 「しらん。どいて」


 ただでさえ平日の朝は戦争なのだ。遅くまで寝ていたい派のアタシは、目覚めてから学校に行くまでの時間をギリギリまで削っている。

 さらに、しっかり朝ご飯を食べないと母が激怒するので、朝の身支度は本当に修羅場なのだ。

 このままでは埒があかないからと、姉の脇から無理矢理身体をねじ込み、アタシは歯ブラシをとる。


 「あ、ちょっと、やめなさいよ! 」


 うるさいな。濃いめの溜息がこぼれた。

 確かに柔らかい髪質の綺麗な黒髪だ。姉も顔の造形だけは優秀だし、すらりと長い手足も相まって、ロングはとても様になっていると思う。

 だけど、いささか髪が長すぎるではないだろうか。毎日毎日、ボッサボサの髪と戦う時間がもったいないと、普通なら考えてしまうのだけど。

 例えば、アタシくらいショートにしておけば、寝癖なんてちょちょいのちょい。多少のハネはご愛嬌。しかも、なぜか教室で友達が整えてくれるし、毎回の手間暇を差し引くと、やっぱりショートが最強ではないだろうか。

 それに朝っぱらからブンブン、ゴーゴーと、隣でドライヤーを振り回わされる身にもなってみろ。ウザったらしくてしかたないと言いたい。


 ……なんて、今でこそエラそうに言ってはいるけれど。


 かくいうアタシも、誰に似たのか筋金入りの面倒くさがりで、興味の無いことには無頓着。ほんの数年前までは伸ばしっぱなしでかなり長かった。

 だけど、いつぞや姉と美容室に行ったとき、このバカが『この子をもっと可愛くしてください』なんて言うもんだから、今の髪型はその時からか。

 アタシとしては、もう少し短くてもいいけれど、髪型変えたら絶交するなんて、友達数人がどこかウットリした顔で言うもんだから面倒くさくてそのまんま。

 まぁ一番の理由は、あの兄ちゃんが、アタシを見るなり可愛い・美人・似合ってるって大絶賛してくれたから。

 その時は、もう嬉しくて抱きつきたいほどだったけど、その隣でハムスターのように頬を膨らませ、アタシも美容室行ったんだけど。と、不機嫌アピールしていた姉の手前、態度には表せなかった。今思えば、抱きついておけば良かったかなと後悔している……なんちゃって。

 そんなこんな姉と押し合いへし合いで、なんとか身支度を済ませる頃には、もう家を出る時間。中学校までは自宅から歩いて二十分ほど。

 リュックを背に鏡の前、セーラー服のリボンを整えて、よし。今日も普通だ。アタシは『いってきます』と家を出――


 「待って! 」


 ……出たいのだけど、敷居をまたぐ格好のまま――アタシのリュックが姉の手に捕まっていた。


 「離して」


 「お願いだから、待って」


 つくづく思う。我が姉ながら、よくもここまで化けられるものだ。

 派手な髪色でもないし、高校のブレザーを着崩している訳でもない。化粧も目立たないくらいしかしていない。だけど、制服に身を包んだ姉は、紛う事なき美人なのだ。

 そんな美女が、お願い。なんて困り顔で頼むのだ。普段を知らない人ならばコロリと騙されるだろうね。

 でも、アタシにはこれといった効果があるわけでもなく。よく見ると、口をもぐもぐさせてるし、もう片方の手には、歯形の付いた食パンが。

 こういうところも、男どもが見れば、可愛い! なんて叫ぶのかもしれないけれど、当然、妹であるアタシには微粒子レベルで通用しない。


 「ヤだ。絶対にヤ」


 むしろ、こういう時の姉ほどやっかいなものはないのだ。それをアタシは身をもって知っている。

 姉の頼みはホドホドに。それが我が家の家訓である。

 だが、姉の方も邪険にされることに慣れたもので、アタシが断ることを想定済みなのだろう。残ったパンを口に押し込むと、どこかひきつった、それでいて切羽詰まった顔で、――人差し指を立てた。


 「……今日の宿題、やったげる」


 姉とアタシ、ふたりしかいない玄関先で、――考えるまでもない。即答だった。


 「乗った! 」


 乗った、乗った、乗りますともさ。

 そこまで言われちゃ~仕方ないか。

 そりゃぁさ、アタシも鬼ではないわけだし、たった一人の姉の頼みなら、二つ返事でよろこんで引き受けましょう。

 アタシの手のひらは、まさにグルリグルリと高速大回転。

 渡りに船とはこのことか。先日買ったゲームで忙しく、宿題なんてやってる暇はないのだ。もちろん母に知られれば地獄を見るだろうが、バレなきゃなんということはない。

 アタシは、ヘタクソなウインクをおまけに、ほとんど脊髄反射で親指を立てた。


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