第3話 僕は、無様な負け犬だけど、ほんの少しだけ悪あがきしてみた。②
――僕は今、どんな顔をしているのだろうか。多分世界で一番情けない男の顔をしているに違いない。
彼女は豆鉄砲を食らったように目をパチパチさせ、……くるりと回れ右。最初の時のように、僕のベッド脇に座り直した。
数分か、はたまた数秒か。
短いようなそれでいて長い沈黙のあと、よし。と彼女は自身の両頬をパチンと叩く。
そして、こちらに背を向けたまま、
「……明日の放課後なんだけど、……開けといてね」
唐突に、明日の予定を聞いてきた。
なぜ、今そんなことを聞くのだろう。思わずベッドから体を起こしてしまう。
どうしたものか、質問の意図がわからない。自分史に残る一世一代の大しくじりをかました後で、頭も絶賛混乱中である。彼女の長い髪が邪魔して表情は見えず、コイツがいよいよ何を言わんとしているのか、わからない。
ぐるぐると回る頭の中で、そうだな、とりあえず彼女の質問への返答を。混乱もいよいよ混沌を呼び、えっと、今日は日曜だから明日は――月曜か。
「あっと、……すまん。明日は委員会の活動日だから……火曜じゃダメか? 」
そう言った僕に、彼女は心底腹立たしげに、床を叩いた。
「っ! もうっ! あんたはほんとにもうっ!! 」
そして、二、三度大きく肩で息をすると、
「……まぁいいわ。じゃぁ、明後日の放課後でいい」
「どこか行くのか?」
明日は何かあっただろうか。明後日でも良いというし、お店のフェアや、イベントなどがあるのだろうか。何らかの約束なんてしていた覚えはないし、日にちを思い出しても、曜日を思い出しても、とんと見当がつかない。
ただ一つだけ、経験上、放課後のこいつとの寄り道は金がかかるという事だけは見当がつく。
だが、惚れた相手に格好いい所を見せたいと考えるのは男の常だ。全部払ってやりたいと思うのは当然。……当然なのだが、いかんせん急な出費となると、小遣い日を目前にした今、はたしていくら残っていただろうか。
「……アタシはさ、もしかしたらそうかも。ううん。そうだと良いなって、ずっと思ってたの。……だけど、自分からは言えなくて、」
向こうから言ってくれないかなってね。
なんて、薄い財布のポテンシャルを気にしていると、静まり返った部屋に、――彼女の声だけがあった。
「でも、待っても待ってもずーっと待っても、全然なんだもん。もしかしたら、やっぱりアタシの勘違いだったのかなって」
ポツリと漏らしたその声は涙に濡れていて、その雰囲気に、突然胸がズキリと痛み、僕の身体は、まるで時間が止まったかのように動かなくなって。
「でも、なんだ。やっぱりそうなんだって、さっき気づいちゃったわけ」
そして、彼女は立ち上がり、背中を向けたままパーカーの袖口で涙を拭うそぶりを見せると、
「アタシ、告白しようと思うの。ずっと好きだったヤツにね」
そう言って振り向いた幼馴染の顔は、――僕の心に大きくトドメを刺した。
すでに、わかってはいた。中三のあの時に理解していたはずなのに、僕の心臓はまるで切り裂かれたように、痛んだ。
――ずっと好きだった少女は、幸せそうに微笑んでいたのだ。
「っ……」
こんな時、こんな状態で、僕はどんな顔をしていれば正解なのだろうか。ひどく耳鳴りがする。頭もキリキリと締め付けられて、のどは渇き、鼻の奥が痛い。
いやだ。やめろ。告白なんてするな。
僕の本音はこれだ。でも、感情にまかせて彼女を説き伏せようとしても、その行為に意味は無い。そんなものきっと彼女も望まない。ただただ迷惑なだけだ。
それに、ようやく彼女は告白を決意したのだ。それを邪魔するなんて僕にできるはずがない。だって僕は、告白の重さを知っているのだから。
自分の様々な感情がとぐろを巻き、もうどうにかなってしまいそうだ。
告白の成功と失敗をそれぞれ願う、相反した二人の自分が体の中で暴れ回っている。
でも、それでも彼女は僕を頼ってきているのだ。
言葉の足りない口下手の彼女だけど、長い間、僕は隣にいるんだ。こいつの言わんとするところはわかる。心細いから一緒に来てくれと、きっとそう願っているのだ。
学校での彼女はおとなしい文学少女。そういう事をするタイプではないのだから、僕以外お願いできる人がいないに違いない。
そうだ。言ってしまえば、彼女の手助けをするそれこそが、幼なじみである僕だけの特権ではないのか。
こんな時こそ気の利いた言葉でもかけてやれば、彼女の支えになるのだろうけど、でも今は、震える唇をこらえるのに必死で、――何も言葉が出てきそうにない。
「……アタシ、泣き虫だからね」
そんなのとっくに知ってる。だけど、僕はうなずくことしかできない。何か言おうものなら、言葉より先に、涙がこぼれるだろう。
「すぐ泣くわよ」
ずっと前から知っている。どれだけの時間一緒に居たと思っているんだ。どれだけ僕がおまえの事を想い、見てきたと思っているんだ。
「覚えときなさい、」
彼女は少しだけ言葉を詰まらすと、目をそらし、何かにおびえるように、
「アタシ、フラれたら大泣きするからね」
かすかに震える彼女の手に気がついて、もはや感情のままに立ち上がった。そして、彼女の手を握って、
「――そのときは、僕が幸せにしてやる」
とっさに出た言葉の、なんとまぁクサいことか。でも、これが僕の本心だから。聞こえの良い言葉なんてすぐに出てくるもんか。本当に長い間大切にしてきた気持ちだから、もう止めることができない。僕は彼女の大きな瞳から目をそらさずに、言ってやった。
「好きだ。好きだ。愛してる。だから……」
ずっと押し殺してきた感情が、堰を切ったように溢れ出した。もう彼女の顔は目と鼻の先。
「だから、おまえを泣かすヤツなんてクソだ。すぐに忘れて、僕の所にこい」
――もう今までの関係を続けるのは無理かもしれない。
息をのむ音の聞こえる、そんな距離で彼女の顔を見つめながら、正直やってしまったなと感じた。
でも、言った。言ってやった。やっと言えた。長い間溜に溜めた胸のつかえがするりと取れた。なんだろうどこかすがすがしさを感じる。勢い任せで何を言ったのか半分くらいしか覚えていないのもこの爽快感の理由の一つかもしれない。
それに、
「ぷっ、ははは」
「……なによ」
こんな場面なのに、思わず吹き出してしまう。
「おまえ、すごい顔してるぞ」
「……うるさい」
――ふわりと暖かな風がカーテンを揺らす、見慣れた僕の部屋に彼女と二人。デロデロに溶けそうなほどの真っ赤な顔が、目の前にはあった。
「……うるさいのよ、ほんとに」
もう、何も言わないでおこう。こういう愛があってもいいじゃないか。一方的な愛情を抱えたまま、僕は彼女の恋を応援しようと心に決めて、照れ隠しだろうか、ついには抱きついてきた少女の頭を、もう最後になるかもしれないなと、優しく撫でてあげた。
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