4 伊吹は関の想いを利用する
◆ 前書き
前回のエピソードを張り間違えていたので、直しました。
念のために前回分も読み直して頂けると幸いです。
◆ 本文
伊吹は真っ先に降りて、
今にも跳び出しかねない関の前に出て「待って」と両腕を広げる。
「私も連れていって」
「安心しろ。
アイーシャを救いだしたら、お前の家に届けてやる」
関はちらと伊吹の顔を見た後、直ぐに視線を落とした。
様子が変だ。
華奢な伊吹が遮った程度では何の障害にもならないはずなのに、
押しのけようともしない。
何事だろうと思いよく見れば、
関の握りしめた拳が小さく震えている。
「アイーシャがお前と一緒にいた方が良いというのは分かったつもりだ。
だから連れ帰る。お前は待っていろ」
「連れ帰るだけじゃ駄目なのよ。
私はアイさんを傷つけてしまった。
きっと悲しんでいる。
あの子の心を救えるのは私だけなの。
私が行く必要があるの。
私が行かないと、私の元に連れ戻すことは出来ないわ」
「戦いになれば、お前は足手まといになる」
「私のことは放っておいてくれればいいわ」
「駄目だ。
俺は、お前の心臓がイレーヌさんのものだと信じてしまった。
俺にとってお前という存在の起源はイレーヌさんだ。
俺は、お前の窮地を見過ごすことは出来なくなった。
お前は、俺にとって枷になってしまったんだ」
せっぱ詰まった声に反応したかのように、伊吹の胸が柔らかく鳴る。
伊吹はイレーヌの心臓がアイだけでなく、
関との絆も繋いでいたことを今更に思い知った。
午前中は敵対していたのに、
随分と素直で協力的な態度をとるようになった理由を初めて意識した。
「勘違いするなよ。
俺がイレーヌさんに好意を抱いていたから、
お前を護りたいとか、そういう理由じゃあない。
俺たちのような『贖物使い』と呼ばれる異能者は、
その起源に縛られる。
お前は、イレーヌの心臓を身に宿したことにより、
『俺の弱点になる』という異能力……いや、性質を身につけている。
俺達はこの縛りに逆らえない」
「それは……」
イレーヌにとって関は、三年前の逃走で手助けしてくれた恩人だ。
おそらく関は、イレーヌを救えなかった無念を三年間も抱き続けてきたのだろう。
(ああ……。確かに私は関にとって、護らなければならない弱点だわ……)
だが、薄情かもしれないが、伊吹にとってイレーヌは夢の中の登場人物だ。
命を受け継いだことへの感謝は大きくとも、死を悲しむような思い入れはない。
だから、イレーヌを想う関には共感できない。
「私は貴方の枷にはならないわ……」
伊吹は柚美に聞こえないように、声を小さくする。
常人よりも聴力が優れているという関にだけ届くように。
「私の余命は一年。
イレーヌの心臓は、私には適合しなかったのよ……。
だから、ね。護らなくてもいいのよ」
関の目が大きく開いた。
やはり耳がいい。
伊吹は、関が何か言うよりも先に、自分の都合を告げる。
「私、意図していなかったとはいえ、
デパートでアイさんのことを嫌いと言ってしまったの。
……泣いていた。
アイさんは傷ついたのよ。
最後に見た姿が泣き顔だなんて、悲しすぎるわ」
伊吹は涙が溢れそうになったのを堪えて、無理やり微笑んだ。
アイに自分がどれだけ愛しているか伝えてあげなければならない。
「最後なのよ……」
震える小さな体を強く抱きしめてあげたい。
涙で冷えた頬を自分の頬で温めてあげたい。
乱れた髪に手櫛を入れて整えてあげたい。
「私にとっても、最後なのよ」
溢れる思いとともに、視界の端を舞う輝きがあった。
緩やかな風に乗り、沈みかけた陽が髪を淡く輝かせる。
関が目を見開き何かを小さく呟く。
伊吹には聞こえなかったが「イレーヌさん」と唇が動いたように見えた。
伊吹は関の想いを利用すると分かっていても、その瞳を覗きこむしかない。
「私の娘を助けたいの。力を貸して」
伊吹にとって重要なのはアイだから、
関の事情は切り捨てるしかない。
「私の命は、今日のためにあったのよ」
「……」
「こんな偶然、有り得ないでしょ。
イレーヌの心臓を移植された私が、アイさんと出会うなんて」
「……分かった。連れていってやる」
「ありがとう。まーくん」
関はばつが悪そうに視線を逸らした。
その態度を見て、伊吹は出会って一日も経っていない男に、
随分と気易い顔を見せてしまったと気づいた。
みょうに恥ずかしいから、照れ隠しのために居丈高に振る舞う。
「おんぶでいいわ。私が貴方の背中に乗ってあげる」
「お前、その性格は治せよ。
将来、ろくな大人にならないぞ」
余命がないと告げた直後に将来の話をされたことが妙に嬉しくて、
伊吹は軽口をきく。
「心配ないわ。
私は、貴方の初恋の相手みたいな美人になるわよ」
「なっ」
「あっ。やっぱりイレーヌが初恋の相手なんだ。
相手は人妻だったのよ?」
関が真っ赤になって分かりやすい動揺を見せてくれたので、
伊吹はにんまりと満足した。
伊吹は柚美と絵理子に挨拶してから出発しようと振り向く。
伊吹は「ん」と顎を引き、ふたりに話しかけてとアピールする。
「ううっ……」
「何よ。
唸っていないで、ほら、激励するなり応援するなりしなさいよ。
それとも、行っちゃ駄目って止める?」
「止めないよ」
「あら意外。
てっきり泣きながら、
行っちゃ駄目ってしがみついてくるかと思っていたのに」
「そんなことしないよ。だってさ……」
「だって?」
「伊吹ちゃん、いい顔しているもん」
「私が美人なのは生まれつきよ」
「や、そうじゃなくて……。
自分で気づいていないかなあ。
……さっきまで凹んで下ばかり見ていたのに、
アイちゃんのことを意識したら急に元気になってきたって」
「暗闇の中にいれば行き先がおぼつかなくて足下ばかり見てしまうわ。
でもね、希望の光が昇れば人は顔をあげるのよ」
「ほら、そういうとこ。
さっきまで、そういう変なこと言いだす元気もなかったでしょ」
伊吹は柚美の指摘に納得できるところがあったので、
少しテンションを押さえようとしたが無理だった。
アイの手掛かりを見つけたのだから、
逸る気持ちを抑えられない。
胸の中心が熱を帯びている。
意気込む伊吹とは裏腹に、柚美の表情は陰る。
「……私、いつも言っているよね。
伊吹ちゃんにまた剣道を始めてほしいって」
「ええ」
「ずっと、また昔の伊吹ちゃんを見たいって思ってた。
何度も説得して、今日、ようやく試合を見に来てくれた。
でも、悔しいな……」
「見に行ったじゃない。
そのおかげでアイさんと出会えたんだから、感謝するわ」
「今の伊吹ちゃん、私がずっと見たかった顔をしている。
私が三年もかけて出来なかったことを、
アイちゃんがたった一日でやっちゃったんだもん。
悔しい。
だから、本当は行く、駄目。
伊吹ちゃん、危ない、私、やだ」
「どうして途中から片言なのよ」
「ばかっ、ばかぁ……」
「ちょっと、泣かないでよ」
伊吹が対処に困って絵理子に視線を逃がすと、
乾いた呆れ笑いが返ってきた。
絵理子は柚美みたいに抱きついてくる気はないらしく、
運転席から降りた位置で車に寄りかかって微笑んでいる。
「伊吹、気をつけてね」
「ええ。
絵理子さん達が追いつく頃には全てを終わらせておくわ」
「柚美ちゃん理論だと、私も悔しがらないといけないのかな。
でも、ま、今の伊吹の表情、好きよ」
「ありがと。私とアイさんを乗せて帰るために迎えに来て」
「うん。分かった。
それと、言わなくても分かっていると思うけど、
アイちゃんが変える場所は養護施設だからね?」
「……え?」
「当然でしょ」
「その話は追々……」
「……はあ。どうしてこんな子に育ったんだろう。
くれぐれも無茶は控えめにね」
「うん。まだ死なないから」
「ん」
控えめなら無茶をしても良いと言ってくれた絵理子の気遣いが嬉しくて、
伊吹は頬が弛むのを我慢しきれなかった。
「私には良き理解者がいる。
だから、今度は、独りぼっちで震えているアイさんにも、
貴方を抱きしめてあげる人がここにいるって伝えてあげなくちゃ」
伊吹の胸を温かくするものは、イレーヌの心臓だけではない。
柚美や絵理子がいるから、伊吹は戦える。
「関。行きましょう」
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