#4 本題章 その3

 キッチンに戻ったわたしは、事態が上手く飲み込めなかった。


 どうして怒られたの? どうして嫌われなくちゃいけないんだろう……、

 わたし、一体なにをしちゃったんだろう!?


「今の二人になにを聞いても、答えてくれなさそうだけど――」


 でも、ここでもたもたしているよりは、心が楽だった。

 だからわたしはキッチンから部屋に戻ろうとして、


「あれ?」

 気づく。

「キッチンの扉、しまってたっけ?」


 しまっていたなら開ければいい。簡単な事。

 でも、嫌な予感がした。躊躇っている間に、別の異変にも気づく。

 一瞬、眩暈がした。くらっと、足が体を支えられなくなったような。


「あ、れ……、なに、これ――」


 膝から崩れ落ちる。体に力が入らず、扉を背に、座り込んでしまった。

 立てない、力が入らない。

 今のわたしの顔はたぶん、青くなっている。目元が、黒くなっていると思う。

 心が荒んだような……。


 助けを求めようにも、ベリーとショコナは扉の先だ。

 声が、出ない。助けを呼ぶ事もできなかった。


「あ……」


 ぷつん、と、なにかが切れた感覚が、胸の奥でした。


「――はっ!?」

 とわたしは目を覚ました。


 汗で服がびしょびしょに濡れていた。肌に張り付き、不快だった。


 上半身を起こす。

 すると、くらっと、眩暈がした。

 ぐわん、と視界がぶれて、揺れる。


 上半身を起こし続ける事ができずに、背中から倒れた。

 ふかふかのベッド。わたしのベッドだ。ここで、眠っていた……。


「嫌な夢、見ちゃったなあ――」


 ベリーとショコナが家にいて、サンドイッチを作ってあげた……、

 それが夢だったと言っているんじゃなくて。

 わたしの全身を砕いた、あの骸骨の手の平。

 砕かれた感触。全てが一度、終わってしまった感覚――。


 夢だと、言い切りたい。

 だけど、どうしても――、


「夢じゃない、よね……」


 わたしは死んだ。一度、徹底的に、跡形もなく砕かれて、終わったはず。

 原因は意識の混濁だろう。

 いざ死ぬとなったら、魂を持っていく手が現れた。

 わたしはそれを、夢として見たのだろう。


 死んだのは事実だけど、わたしはこうして生きている。

 蘇生したわけではない。たとえ大量の魔力エーテルを持って、

 質の良い魔力を持っていたとしても、死んだ人間を、生き返らせる事はできない。

 それは、絶対に竜が許さないからだ。


 じゃあ、なぜ、わたしはこうして生きているんだろう……。


 答えは簡単だった。


 死んだ事を体験したのに生きているのは、

 結果が現実に反映されていない、って事だと思う。

 考えられるのは、一つしかない。


「『条件下空間エゴイスタ』……」



 森林街が広がる巨木シャンドラの根元。

 そこには亜人と人間が住んでいる。

 そして、巨木の上に広がるのが、貴族街――『ゴールドラッシュ』だ。


 そこには亜人の中でも名高い精霊が集まって住んでいる。

 そして精霊の中でも、地位の高い名を持つ者でなければ家を持てないという、

 厳しめの審査があるのだ。


 シャーリック、ナスレード、デスティーノ。

 この三大名家が、今のシャンドラの貴族街を仕切っていると言ってもいい。


 三つとも、ドラゴンドーターだ。


 世界の神として崇められている『竜』の『精』というのは、

 神の子、という認識をされている。


 自覚しているからこそ、だから偉そうで、竜の精以外を下に見て。

 わたしはそれが嫌だった。そんなわたしも竜の精であり、名家シャーリックなのだけど。


 貴族街に住む貴族カルディアが、

 下界民ニースを見下しているのは、言わずもがなって感じ。

 中でも亜人はそうでもないんだけど、人間への当たりがなぜか強かった。


 すぐに武器を取り、暴力を振るってくる人間を野蛮人シミアと言い、

 近づく事さえもしない。まるで汚物のような扱い方だった。


 何十年も前から、変わっていない。

 実際に会えば、良い人ばかりで、毎日毎日、必死に働き、一生懸命に生きているのに。


 武器を取って暴力で解決させようとするのも、

 わたしたちみたいに魔力がないから仕方のないことだ。

 だけどわたしがそれを言っても、誰も耳を貸さない。すー、と抜けていく。


 お母さんもお姉ちゃんも、

 お隣さんの生意気な同級生も、わたしの話なんて聞いてくれない。


 あそこにいたら腐ってしまいそうだったから、わたしは家を出た。

 理由はそれだけ。たったそれだけで、裕福な地位を捨てたと知ったら、みんなは笑うのかな?


 お金のために人を見下す事に堪えられなかっただけ。わたしは、後悔していない。



 貴族で、しかも竜の精というプライドだけは一丁前。

 野蛮人と同じような、暴力で解決させるという考えを貴族は嫌っていた。

 だから生まれたのが、『条件下空間エゴイスタ』だ。


 条件を設定した空間に自分と相手を入れ、

 平等になった条件下で勝者と敗者を決める戦い。


 中で起こった怪我は現実世界に持ち帰らない。

 全てはエゴイスタの中で起こった事――そこだけで完結する、便利な空間。


 傷跡は残らず、だけど苦痛だけは残るため、

 拷問部屋には持ってこいではあるんだけど……、

 だからこそ、暴力よりもタチが悪いとも言える。


 そして引き継がない怪我は、死亡さえも当てはまる。

 エゴイスタの中でたとえ死んでも、現実世界で死ぬ事はない。

 死ぬ時の苦痛を伴っても、死んだ事にはならない。


 まさに、さっきのわたしだった。



「エゴイスタが展開されてるって事は……やっぱり――」


 ベッドの上、わたしの足元に二人の妹が横向きで、向かい合うように眠っていた。

 胎児のような体勢で、二人、手足を絡ませている。


 さっきは気づかなかったけど、枕の横に乾いたタオル。

 ベッドの近くにはバケツに、水が半分ほど。

 二人が看病してくれていたらしい。

 風邪じゃなくて死んでいたんだけど、と指摘するのは野暮なので言わない。

 ありがとう、と二人の髪を撫でる。


 さて、と、わたしは二人を起こさないように足を抜く。

 ベッドから下ろし、立ち上がった。

 ちょっとくらっとするけど、大丈夫。歩けないわけじゃなかった。


「ベリーとショコナ、二人が、たぶん無意識に展開させたエゴイスタなんだろうなあ――」


 無意識。貴族で竜の精とは言っても、二人はまだ十一歳。

 魔力があってもそれを上手く扱えるとは限らない。

 わたしでさえ、エゴイスタを作るのは難しいんだから。


 たとえるなら、複雑なミニゲームを、プログラムで作るような感じ、なのかな。

 感覚だけで作れるわけじゃない。

 やっぱり、勉強もしなくちゃいけない。

 サボってばかりのわたしが作れるわけがなかった。


 それを無意識で作れてしまうのは、実はすごい。

 暴走、でなければいいんだけど……。


 暴走、というか、不具合、みたいな。

 設定した条件が変だったりすると、空間が壊れるはず。

 それがないという事は、最低限の設定はできてるって事だから、バグはないはず――、

 だと、思う……。うーん、これは専門外なのでわたしじゃ手に余るなあ。


 こういうのは白衣を着て、それっぽく見えるフルッフお姉ちゃんじゃないと。


 とにかく! 


 ベリーとショコナ。

 もしくはどちらか一人が無意識に作った、このエゴイスタから抜け出さなくちゃいけない。


 思えば最初から、エゴイスタは発動していた。

 開かない扉と窓。途中の小さな多数の事故は、偶然で片づけられる、けど、

 最初のあれだけは偶然とは言えない。

 外に出られないって、偶然以前の問題で、どゆこと!? って感じだし。


「よし! 名探偵タルトの出番だよ!」


 名探偵じゃなくて、迷探偵な、というお姉ちゃんたちの声が聞こえた気がした。

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