十三首目 つくばねの
おはようございます。十三首目です。
・詠み人:陽成院
・つくばねの峰よりおつるみなの川 恋ぞつもりて淵となりぬる
・訳:筑波山という二峰からなる山の、みなの川と言う川は、はじめは僅かな湧き水ですが、流れるほどに淵は深くなります。わたしの密かに思い染めた貴方への想いも、今では深い深い想いになっています。
そう、一句読んじゃうくらいにね。
この歌は陽成院さんから釣殿の皇女に宛てたラブレターだそうです。
後に結婚したらしいですよ。
筑波山は流石に名前くらいは知っていると思います。
茨城県にある霊峰です。
なので、詠み人が茨城の人なのかと思ったら、陽成院さんは宮中の人なので、当時は文化が低いとされていた東国には行ったことがないと言うのがもっぱらです。
筑波山は訳にも書かれいるように、二峰からなる山をまとめて筑波山と呼びます。
標高が高い方を女体山。標高が低い方が男体山になります。
歌に出てくる、みなの川が一つの山を徐々に削って、二つの峰になるほどに淵が深くなったのかと思ったら、どうやらそうでもないらしいです。
少し調べるとこの筑波山には『歌垣』と呼ばれる風習があるのが分かります。この風習があったのが、万葉集でもよく歌に詠まれた理由の一つだそうです。
あとの理由は『紫峰』と呼ばれるほど美しかったからとか……など。
『歌垣』は春と夏に男女が集まって神を祀り、求愛の歌を歌って自由な性行為を楽しむ風習だそうで、なぜ一人の女性に向かって恋心を詠む歌に採ったのか謎ですね。
陽成院さんは脳を患っていたらしく、宮中でも狂態を演じたとか演じなかったとか。
でも、どうなんでしょう? 正気と狂態って、どう言う判断基準なんでしょうね?
特に昔のことですし、感覚も違っていたはずです。
今ですと男女が集まっての自由な性行為は、乱行と言われてしまいそうですが、出生後の肥立ちが悪い昔は、自由な性行為に寛容だった。そう言う違いがあるように、陽成院さんの狂態も今なら狂態とは呼べないかも知れません。
それに狂態だったとして、陽成院さんにとっては、どちらが本当の自分で、どちらの自分でいたかったのでしょう?
『みなの川』は『男女川』と表記されるそうです。
『水無川』が元々で筑波山を源に『男女川』に表記を変えたのではないかと言われています。
陽成院さんは『水無川』と言うことを知っていたのでしょうか?
深い淵を作っていたと思っていたのに、水無だった。
だとしたら、ちょっと切ないですね。
はい。それでは。
「恋ゆえに淵となりぬる」
結婚後も奥さんに沢山の歌を詠んであげたのでしょうか?
読んで上げていたとしても、それでもやはりその愛は、淵になるような愛ではなくて、積み上がって行く愛ではなかったか、そんな風に思います。
でわ、おやすみなさい。
*「学研:実用特選シリーズ 見ながら読む歌の宝典 百人一首」を参考にしています。
人物については、ネットのサイト等での独自の調査になります。
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