十一首目 わたのはら
おはようございます。十一首目です。
・詠み人:参議 篁
・わたのはら 八十島かけてこぎいでぬと 人には告げよ あまのつりふね
・訳:海上はるか、無数に点在している島。その島を目指してわたしは漕ぎ出したと、都の人には告げてくれ。漁師よ、どうか皆 無事であってくれ。いつまでもこの日のように。
漁師以外の無事も祈ってください。
けれど 私は平々凡々と暮らしているので、大丈夫です。
小学生のころは、意味が分かりませんでした。
島流しの概念がありませんでしたので、どう言う情景なのかと思っていました。
参議 篁は小野 篁です。篁が隠岐の島に流されるときに詠んだ歌だそうです。
この歌は、『古今和歌集』に採られており、そちらでは『隠岐の国に流されけるときに、船に乗り出で立つとて、京なるひとのもとにつかはしける』と前書きのようなものが書いてあるそうです。
–––––大海に漕ぎ出でるぞ。
今日の今日までそんなポジティブな歌だと思っていましたが、これ、釣り船に向かって語りかけた歌だそうです。
小学生の時は、
–––––八十島(たくさんの島の意。八十島と言う固有名詞ではない)を目指して旅に出ます。漁師の皆さん、私を訪ねてくる都の人がいたら、そう伝えてね。
そんな歌だと思っていたので、作者の周りには沢山の人、……漁師さんが居るものだと思っていましたが、違いました。
だれも居ない、風が茫々と吹く浜辺に一人、篁が釣り船に向かって話しかけている。
いきなり寂寥とします。
小野 篁さんは逸話がたくさんあります。
有名どころをかい摘んで少し……
「子子子子子子子子子子子子」
子が12個です。
何と読むか分かりますか?
篁さんは、たちどころに読み解いて見せたらしですよ。
ただ、本当は「子子子子子子子子子子子子」では無かったそうです。
実際は、
「一伏三仰不来待書暗降雨恋筒寝」
これを読み解いたそうです。
今ですと、実際の方が難しく思えますが、当時の教養人なら読めて当たり前だったのかも知れません。
現代の日本人はある程度の英語なら読めますが、篁に読んで見せろと言ったら、さすがに篁でも「ちょっと勉強させて下さい」と言ったでしょう。
漢文は当時、そんな感じで、ある一定は読めて当たり前だったのかと。
因みに、小野妹子。小野小町。あと小野道風? 最後の人は良く知りませんが、祖先であり、子孫です。
もう一つ。
地獄の役人? でもあるそうです。とか、黄泉の国とを自由に行き来できたとか。
この辺りの話は、漫画『鬼灯の冷徹』を読んでみて下さい。
はい。それでは。
「地獄に行くのも意気揚々」
島流しは、やはり地獄だったと思います。
歌の意味を調べて、寂寂たる景色を見出しましたが、
それでも篁は、その寂しささえも楽しんだような気がするのです。
『鬼灯の冷徹』の篁の印象が強いのかも知れません。
*「学研:実用特選シリーズ 見ながら読む歌の宝典 百人一首」を参考にしています。
人物については、ネットのサイト等での独自の調査になります。
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