Location9 ヴァージン諸島
Episode1:罪と罰
彼女……オリガ・ゼレンスカヤの人生は、
オリガ自身その評判を知っていたし、その自覚もあった。その自覚は自信となって表れ、彼女をより一層輝かせた。村や町の同年代の少年たちはこぞって彼女を讃え、憧れの眼差しを送った。同年代だけでなく少し年が上の少年たちもだ。
オリガは自分が
しかしイリヤは幼い故ではあろうが、自分の容姿の美しさを活かす術を知らず、常にオドオドした印象の少年であった。その為に他の少年たちからやっかみ半分にいじめられる事も多かったようだ。オリガはその事は特に気にしていなかった。可哀想だとは思うがそれはイリヤ自身の問題だし、何より彼が周囲から孤立する事で増々自分に対する依存を深めさせられるかも、という打算があった。
しかし……それがいけなかったのだろうか。ある時、苛めに耐えかねたイリヤは『暴発』した。といっても凶器を振り回したりした訳ではない。いや、それなら
その日通りを歩いていたオリガは、少年達の緊迫した悲鳴を聞きつけて何事かとその場に向かった。そしてそこで驚愕の光景を目にする事となった。
何人もの少年たちが……
こんな場所でこんな子供たちが、一流の奇術師がやるような手の込んだトリックなど出来るはずもない。しかもその少年たちが明らかにその状況を楽しんだり、自らの意思で浮かんでいるのでない事は、その恐怖に歪んだ表情と泣きわめく声ですぐに分かった。
そして、一人だけ浮いていない少年がいる事にもすぐに気づいた。それが彼女の
そして彼女は更に信じがたい情景を見る羽目になる。イリヤが薄笑いを浮かべたまま手を動かす。すると浮いている少年たちが一斉に同じ方向に動いたのだ。少年たちの悲鳴が木霊する。
これはつまりこの驚異的な現象を起こしているのがイリヤだという事を意味していた。しかも彼は……それを
オリガに気づいたイリヤは目を丸くして少年たちを解放した。彼らは無様に落下すると、泣き喚きながら家に駆け戻っていった。後には彼女とイリヤだけが残された。
「オ、オリ――」
イリヤは彼女に向かって手を伸ばす。自分にもあの能力を使う気かと、オリガはビクッと身を震わせた。
「ひっ!? こ、来ないで、
恐怖と嫌悪からオリガは拒絶の言葉を吐いて踵を返した。そして一目散にその場から駆け去っていく。イリヤがその時どんな表情をしていたかなど、考える事もしなかった。
その後少年達やオリガ自身の口からイリヤのあの恐ろしい力の事が暴露され、またイリヤもあの力を隠せなくなり、彼は家族と共に村を追われるように引っ越していった。あの時の恐怖があってオリガはついぞ一度もイリヤと言葉を交わすのは愚か、顔も合わせようとしなかった。
早く恐怖を忘れたかったオリガは、イリヤの事を意図的に記憶の隅に追いやった。その後は彼の事を思い出す事もなく、順調に小学校を卒業した。しかし……順調だったのはそこまでであった。
元々賭け事が好きで依存しがちであった父が多額の借金を抱え込んだのだ。それも庶民が返却できるような額ではない。父は最初は小さかった借金を誤魔化そうとかなりタチの悪い業者から金を借りたらしく、借金は瞬く間に膨れ上がった。
当然オリガも学校に行けるような状態ではなくなり、一家で夜逃げしようかという所まで追い詰められていた。そんな状況のある日、父が久しぶりに上機嫌な様子で笑いかけてきた。こんな嬉しそうな父を見るのはしばらくぶりであった。
「喜べ、オリガ! 父さんの借金は無くなったぞ!」
「ええ、ほ、本当に!?」
「ああ、
「……え?」
オリガは思わず父親を仰ぎ見た。そこで彼女は父が、嬉しさだけでなく
「彼らが借金を全て払ってくれたんだ。お前の身柄と
「……!?」
オリガは信じられない面持ちで父を見上げた。つまりは自分の娘を借金のかたに売ったという事か。男達が進み出てくる。
「さあ、一緒に来るんだ」
「…………」
ここで泣き叫んで拒否してもどうにもならない事くらいは彼女にも分かった。それに正直父が借金の為に自分を売り払ったという事実に絶望していたので、もうこれ以上父と暮らす事は精神的にも出来なかった。
父に『売られた』オリガだが、最初はてっきりどこかいかがわしい娼館のような所にでも連れて行かれるかと思ったが、予想に反して着いたのは広大なシベリアの只中にある殺風景な軍事施設のような場所であった。ここに連れてこられるトラックの荷台には他にも老若男女、多くの人間が乗っていた。話を聞いてみると、全員に共通するのは『借金のかたに親類縁者に売られた』という点であった。オリガは嫌な予感に動悸が早くなるのを感じた。
同じようなトラックは他にも何台かあったようで、オリガも含めて数十人の人間が施設のホールのような場所に集められていた。周囲には銃を持った軍人のような男達が監視している。どう考えても尋常な状況ではない。
「やあ、諸君。遠路はるばるご苦労。私が誰かは言わなくても解るね?」
「……っ!?」
集められた人々の前に進み出てきた1人の男を見てオリガは目を瞠った。いや、彼女だけでなくほぼ全員がだ。当然だ。まず直に会う機会など一生ないと思っていたこの国の
その男……現ロシア大統領ウラジスラフ・ミハイロフは、オリガ達に向かって両手を広げるような姿勢を取った。
「ようこそ、SVR特殊訓練施設へ。君達は皆、私に
「……!!」
嫌な予感は的中した。シベリアの隔離施設。銃を持った兵士達。そして大統領。この3つが揃っていて何も悪い事が起きないはずがない。ざわめく人々に対して兵士達が銃を向けてくる。
「言っておくが君達に拒否権はない。そのために態々君達のような立場の人間を国中から探し集めたのだからね。恨むなら端した金で君達を売った縁者を恨むのだね」
そしてオリガにとって地獄の日々が始まった。強制的に脳外科による手術を施され、脳に何らかの
彼女はこの力に覚えがあった。あのイリヤが使っていた『力』だ。あれよりはずっと弱いようだが、彼女も同じような力を持っていた……のではない。
明らかにあの脳に施された手術が原因だ。今もうなじの上あたりにある痛々しい手術痕。この処置によって彼女はこの力を使えるようになった、いや、
「……っ! う……おえぇぇぇぇっ!!!」
それを理解した時、オリガは激しく嘔吐した。自分がかつて手ひどく拒絶して排斥したあの少年と
(主よ……これは罰なのですか? イリヤにあんな態度を取って彼を見捨てた……私に対する、これが罰なのですか!?)
ロシア正教会の敬虔な信者であったオリガは、自らの境遇を嘆き、自身の『罪』をひたすらに懺悔し赦しを請い続けた。最早彼女に出来る事はそれしかなかった。
地獄の日々はその後もしばらく続いたが、ある日唐突に
「喜べ。もうお前らの役目は終わりだ。十分な研究データの蓄積が出来たのでな。後はこのデータやお前らへの実験結果などを元に、『トリグラフ』の正式な隊員達へ
「え…………」
オリガに地獄の責め苦を与える悪魔そのものであった研究員がある日突然、一方的にそう告げてきた。そしてその悪魔が笑った。
「他の実験体どもは殆どが
「ば、売却……?」
再び嫌な予感が彼女を支配する。この地獄から抜けられても、それは新たな別の地獄が待っているだけだ。その予感があった。
「
「……っ!!」
オリガは目を見開いて身体を震わせた。奇しくもここに連れてこられる前に思い描いた『いかがわしい娼館』のような場所に売られるという事か。
借金で無一文から親に売られて、政府の秘密施設で実験体になり、用済みになったら怪しげな娼館に売り飛ばされる。
オリガは自らの余りの転落ぶりに、驚きや悲しみを通り越して可笑しさすら覚えた。やはりこれは彼女に与えられた主からの罰なのだ。彼女はあの時イリヤを見捨てるべきではなかったのだ。彼の人生を狂わせ崩壊させた自分が、やはり人生を狂わせ崩壊させる。これが因果応報の罰でなくて何なのか。
研究員が一方的に告げるだけ告げて上機嫌に立ち去った後の独房で、オリガは乾いた笑いを虚ろに響かせ続けるのであった……
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