Episode29:戦い終わって

「や、やった……!」


 ヴェロニカも、そしてローラも、霊力を使い果たして激しく喘ぎながらも、消滅していく悪魔を見て安堵の息を吐いた。これでようやく目的を果たす事ができた。


「……やったわね。流石ね、ローラ」


「……! ミラーカ、大丈夫!?」


 ローラの恋人であるミラーカが傷ついた身体を引きずりながら歩いてきた。体中を切り刻まれて傷だらけの彼女は、人間であれば死んでいてもおかしくないレベルの重傷を負っていた。しかしそこは不死身の吸血鬼。急所さえ無事なら命に別状はなく、時間さえかければどんな重体からでも回復できる。


「私なら大丈夫よ。ジェシカ達もね。セネムも魔物から受けた傷なら回復できるわ」


 見るとジェシカとシグリッドも重傷を負いながらも何とか起き上がっていたし、セネムも霊力を集中させて一心に回復に努めていた。それを見てローラはホッと息を吐いた。気絶していたモニカもヴェロニカが介抱してくれていた。どうやら何とか全員無事に済みそうだ。



「……終わったわね。あなた達なら必ず出来るって信じていたわ」


 一般女性たちを庇って後ろに下がっていたビアンカも、決着がついたと見て近づいてきた。それを見たミラーカが若干警戒した目を彼女に向ける。


「あなたがローラに何か言ったの? どういう事か説明してもらうわよ?」


「……あの悪魔が現れたのは私のせい・・・・なの。そしてあいつら『カバール』はウォーカー大統領の目下最大の敵なのよ。あなた達がカバールの悪魔を倒したという『実績』が、大統領への説得・・にどうしても必要だったの」


「……! 大統領を説得ですって? それに奴が現れたのがあなたのせい? あなたは一体……?」



「――ああ、なるほど。そういう事か。それで敢えてこいつらにカバールを倒させたって訳だな」



 ミラーカが疑問を呈するのに被せるように、納得したような男の声。ユリシーズだ。隣にはあの中国人の男リキョウもいる。彼らも見事ベルクマンを討伐したようだ。これでLAは『リーヴァー』の脅威から解放された事になる。


「ベルクマンを討伐してくれてありがとう。リンファもきっと喜ぶと思うわ」


「……! いえ、こちらこそ……。貴女方にカバールの悪魔を討伐できるとは思いませんでした。お見それ致しました」


 リンファの名前に若干反応したリキョウはそう言って気障に一礼する。するとミラーカが彼にも警戒した視線を向ける。いや、彼女だけではなくシグリッド達もだ。


「あなたも……大統領府のエージェントね。そこのユリシーズやあのアダム達のように私達を捕まえる気?」


 仔細は不明だが、やはりここに来るまでにユリシーズ達と一悶着あったらしい。だがリキョウはかぶりを振った。


「まさか。貴女方のようなレディーに対してそのような無体は働きませんとも。例え大統領の命令であったとしてもね。そもそも私は彼らと違って大統領直属の部下ではありませんので」


「そ、そうなの。それは良い心がけね」


 躊躇いなく即答するリキョウの姿に若干毒気を抜かれたらしいミラーカが唖然とする。それからユリシーズに視線を戻す。



「それで……どういう事なの?」


「簡単だ。どうやらもうそっちには伝えてるようだから明かすが、彼女……ビアンカはウォーカー大統領の実子・・なのさ。それも唯一の、な」


「な……じ、実子!?」


 ミラーカが目を瞠った。いや彼女だけでなくヴェロニカやシグリッド達もだ。


「ああ、そして彼女は『天使の心臓』という特殊な器官を抱えていてな。そいつは人間社会に巧妙に潜むカバールの悪魔どもを炙り出す効果がある。その効果のほどはあんたらも今、実際に体感しただろ?」


「……!」


 ミラーカ達は揃って絶句した。あの強大な悪魔がビアンカに釣られて出現したという事に驚いているらしい。その当のビアンカが頷いて説明を引き継いだ。


「私の『天使の心臓』はカバールの壊滅を願うお母様・・・にとって今や、なくてはならない要素だという自負があるわ。それらに加えて、あなた達が実際にこの街に現れたカバールを撃退する力があると証明できれば……」


「……大統領を説得できる、と?」


「あなた達がカバールを倒した事は、彼らが証人となってくれるわ。これは望外の大手柄なのよ。あとは私に任せてくれれば、必ずあなた達の良いように計らうと約束するわ」


 ビアンカはユリシーズとリキョウを指し示しながら、自信を持って断言する。



「それと、ユリシーズ達のした事は心から謝罪するわ。でも彼らも任務である以上ああするしかなかったの。お母様を説得さえ出来れば、二度とあなた達を煩わせる事はないと誓うわ」


「そうなの? 少なくともあのイリヤという少年は、私達を傷つける事に躊躇いを感じている様子はなかった。あの子供は私達を殺そうと容赦なく襲ってきた。だから私達も全力で戦って撃退・・したわ。その事について大統領やあなた達の心証・・が悪くなったりはしないのかしら?」


 ミラーカが皮肉げに口の端を歪めると、ビアンカは心苦しい表情になる。


「それも……彼に、自分の思うように・・・・・行動していいと深く考えずにに許可を与えてしまった私の責任よ。彼がまだ精神的に未成熟だという事を考慮していなかった。あの子は私の言う事なら聞くわ。もうあなた達に手出しはさせない。約束する」


「ミラーカ……」


 それでもまだ厳しい目でビアンカを睨んでいたミラーカだが、ローラが縋るような目で見ると、ため息を吐いてかぶりを振った。


「はぁ……解ったわ。自分達の恨みに拘泥してローラの件の説得・・が上手く行かなくなったら本末転倒だし」


「ミラーカ、ありがとう……!」


 ローラは自分の為に譲歩してくれた彼女に感謝する。シグリッドやヴェロニカ達も彼女らなりに納得してくれたようだ。しかしその時ミラーカが少し悪戯っぽい表情になった。



「でも……あなた達に引っ掻き回されっぱなしというのも面白くないわね。こちらも少しくらいお礼・・をさせてもらわないとね」


「ミラーカ?」


 ローラが訝しむ前で彼女は刀を地面に置いてから、敵意のない動作でユリシーズに近づく。そして……彼の腕に自分の腕を絡めてしなだれかかるような体勢となった。


「……!?」


「お、おい、何を……?」


 ユリシーズが戸惑ったような、焦ったような何ともいえない表情で身を引こうとするが、ミラーカは彼に絡みついたまま離れず、それどころか妖艶で蕩けた目で彼を見上げる。それを見たビアンカの柳眉が吊り上ったのがローラには分かった。


(ミ、ミラーカ、もしかして……?)


 伊達に500年生きていない。彼女はこの短いやり取りの中だけでビアンカとユリシーズの関係性を見抜いたのかもしれない。相棒の意図を察したローラは内心で少し呆れた気持ちになる。確かにこれはある意味で最高の意趣返し・・・・かも知れないが……



「ふふ、ねぇ、ユリシーズ・・・・・? あの夜、バーで私の事を情熱的・・・に口説いてくれたわよね? 戦いも無事終わったし、今なら私もフリー・・・よ?」



「あ、ああ、そうだな。いや、まあ、あれはその、なんというか……。いや、別に冗談とかじゃなく本気で……あ、いや」


 それまでの壮健さが嘘のようにしどろもどろになるユリシーズ。引きつったような笑みを浮かべる彼の意識が自分の背後・・に集中している事は間違いない。


「……ふふ、そうだったわ。そういえばその事・・・について詳しく聞くのを忘れていたわ。ねぇ、ユリシーズ? あなた任務にかこつけて随分お楽しみだったそうじゃない?」


「……!!」


 後ろから妙に迫力のある静かな声が聞こえてきてユリシーズがビクッと身体を震わせる。

 

「い、いや、ビアンカ。あれはあくまで任務上必要だったからであって、別に楽しんでた訳じゃ……」


「あら? 私に高いカクテルを奢ってくれて、『アンタのような美女と親密になりたい』って言ってくれたじゃない?」


「っ!? お、おい! そこまでは言ってないぞ!」


 ミラーカの言葉に目を剥くユリシーズ。しかしそれは更なる燃料を投下したに過ぎない。


「へぇ、『そこまでは』? という事はそれに近い事は言ったって訳ね。それに私、あなたから一度もお酒なんて奢ってもらった事がないけど? 悪かったわね、その人みたいな『絶世の美女』じゃなくて」


「い、いや、おい、そういう事じゃなくてだな……」


 ユリシーズが必死に取り繕うが、さりとてミラーカを振りほどく事も出来ないでいる。『絶世の美女』が刺激的な格好で胸を押しつけながらしなだれかかっているのだ。男の悲しいさがといった所か。



「ふ、無様ですね、ユリシーズ君。普段から女性に対して誠実でないからそういう事になるのです。これを機に素行を改めては如何ですか?」


 成り行きを見ていたリキョウがユリシーズの様を嗤う。すると何故かビアンカが今度は彼の方に向き直った。


「リキョウ? そういえばあなたも私に報告してない事があるんじゃないかしら? ローラから聞いたわよ。彼女の部下の女性と何度も会ってたそうじゃない。あなたの口からその報告が無かったのは何でかしら?」


「……!! そ、それは……敢えて報告するような事では……」


 いきなり矛先が自分に向いて焦るリキョウ。それを見たユリシーズが格好の囮を見つけたとばかりに口の端を吊り上げる。


「は! 何だ、偉そうな事言っといて、お前も誠実・・じゃなかった訳か」


「あなたと一緒にしないで下さい。まずはその女性の腕を振りほどいてはどうですか?」


 ビアンカを挟んで急に子供じみた言い合いをはじめる超人的な戦闘能力を持つはずの男2人の姿に、ローラだけでなくヴェロニカやシグリッド達も呆気に取られるのであった……




*****




 LAの街を恐怖に陥れていた『リーヴァー』の犯行はこの日を境にぱったりと止み、街は徐々に元の平穏を取り戻していった。またニュースやSNSなどでLA在住の投資家で富豪のロバート・イングラムの失踪・・も報じられた。


 その数日後。LA郊外にある小さな公園。そのベンチに一人の中国人女性が腰かけていた。リンファだ。


 彼女は何かを待っているようで、妙にそわそわと落ち着かない様子であった。そんな彼女の背後に、唐突に人の気配が現れる。



『――お待たせしました、ツァイ小姐ピンイン



「……!」


 アメリカの只中にあって流暢な北京語で話しかけてくる男性の声。リンファは反射的に振り返った。そこには彼女が想像していた通りの姿があった。彼女もまた北京語で返答する。


『任さん……。本当に来てくれたのね?』


『ええ、女性との約束を違えるのは私の信条ではありませんから』


 それは紛れもなく、彼女を幾度も『リーヴァー』の魔の手から救ってくれた男性……レン麗孝リキョウであった。彼は本当に約束を守ってくれたのだ。という事は……


『じゃあ本当に……もう『リーヴァー』はいない・・・のね?』


『はい、間違いなく。この街にあの悍ましい怪物が出現する事は二度とないでしょう』


 リキョウははっきりと首肯した。それを聞いたリンファはホッと安堵と歓喜の息を吐いた。やはり彼はやってくれたのだ。


『今日はあなたにそれだけはご報告したくて、こうして参りました。そしてそれが終わった以上、私は帰らなくてはなりません。もうこの街に我々は必要ありませんので』


『……! そう、よね』


 リンファは複雑な表情で頷いた。彼はもうここにいる理由はないのだ。ただリンファとの約束を果たすためだけにこうして足労してくれたのだろう。



『あなたは……何者なの? せめてそれを教えてもらう事は出来ない?』


 リンファは駄目元で聞いてみる。何か大きな組織に所属している事だけは間違いない。それもFBIやCIAのような全国を股にかける連邦組織だろう。リキョウが微妙な表情になった。


『……むしろFBIやCIAとは対立・・している間柄なのですがね』


『え……?』


 顔を上げると彼はうっすらと微笑んでいた。


『あなたの上司・・は既に知っていますし、教える事は構いませんよ。私はDCにある大統領府・・・・から派遣されてきたのです。この街を脅かす魔物を討伐するためにね』


『だ、大統領府……!?』


 リンファは目を瞠った。中国の上仙である彼がどのような経緯でアメリカの大統領府に所属しているのか。


『私は亡命者・・・なのですよ。かつては本国で党の高官としてシー正威ジンウェイ首相に仕えていました。しかしあなたもご存知かも知れませんが、許首相はあのチョウ国星グオシンめに謀略で追い落とされてアメリカへの亡命を余儀なくされました。そこで彼を保護してくれたのが当時は上院議員であった現大統領のダイアン・ウォーカー氏であったという訳です』


『…………』


 それはリンファも本省人として聞いた事があった。尤も彼女が聞いたのは、許が周の国家主席就任を不服としてクーデター・・・・・を起こそうとして粛清されたというものだったが。だが実際にはリキョウが言う事の方が正しいのだろう。彼は許と一緒にアメリカに亡命してきたのだ。


『その後は上仙としての腕を買われて、たまにこうして大統領の裏の任務・・・・のお手伝いをさせて頂いているという訳です』


 全ての事情が繋がった気がした。同時に彼が大統領府に所属している理由も納得できた。



『大統領府という事は、あなたは普段ワシントンDCにいるの?』


『そうですね。まあ特殊な立場で許首相ともども中国統一党に命を狙われている身なので、詳細な住所までは明かせませんが』


『そう……なのね』


 頷くリンファの手をそっと取るリキョウ。


『では……今度こそ本当にお別れです、蔡小姐』


凛風リンファと呼んで。前に一度呼んでくれたわよね?』


 彼女が『リーヴァー』に襲われてあわやという時に飛び込んできたリキョウは、確かに彼女の事を下の名前で呼んだ。


『……! そうですね。では、凛風。あなたとお会いできて良かったです。どうかお幸せに』


 彼はそう言ってほほ笑むと、そっとリンファの手の甲に口づけした。そして身を離すと、後は振り返らずに素早くこの場から走り去っていった。彼が今住んでいるDCへと帰っていったのだ。彼が再びこの街を訪れる事は二度とないだろう。だが……



(DC、という事は……首都警察よね。まさか、こんな偶然ってあるのかしら?)


 リキョウが消えた方角を見つめながらリンファは、DCの治安を担当するコロンビア特別区首都警察で中国語が話せる刑事・・・・・・・・・・という条件で全国の自治体警察に転属募集が出回っており、自分の所にもスカウトの話が来ていた事を思い出していた……

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