Episode18:狂気の憂世者

 『肉剥ぎ殺人事件』、通称『リーヴァー』事件は佳境に入りつつあった。少なくとも最前線の現場で捜査を担当しているリンファにはそう感じられた。


 恐らく『リーヴァー』の誕生に関係しており、この事件の裏にいると思われ、今や最有力容疑者として捜索の対象となったオットー・ベルクマンという名の研究者。彼が所長を務めていた民間の研究所は『リーヴァー』によって破壊し尽くされて、関係者と思われる所員たちも生存者は誰もいない状態であった。


 だが警部補であるローラの命令で、研究所に何か手がかりが残されていないか徹底的な鑑識作業が行われた結果、数少ない電源の生きていたターミナルから他の所員によるものと思われる、経緯の記録されたログが発見された。


 ログにはいくつか欠損も見られ、復旧作業とその閲覧にはかなりの労力を要したものの、何とか解読・・に成功していた。


 それによるとやはりローラやリンファ達が推測していたように、ベルクマンは『昆虫食プログラム』という名目・・で出資を募って資金を集め、実際には『リーヴァー』の開発・・に勤しんでいたらしい。


 所員たちもその多くがベルクマンとグル・・であったらしい。だがベルクマンは『リーヴァー』を自分にしか制御できないように改造し、その力をもってまずは騙していた債権者達を殺した。


 当然所員たちはすぐに殺された人々の関係性に気付いてベルクマンを問い詰めた。その詰問の結果・・については当然ログに残されてはいなかったが、研究所の惨状を見れば何が起きたかは一目瞭然だ。


 残念ながらログはその所員の主観的事務的な日記のような形であり、何故ベルクマンが『リーヴァー』を開発するに至ったのかの動機・・や、その開発手段・・・・については記録されていなかった。


 だがこれで事件の大まかな背景や経緯についてローラ達の予想が、明確な証拠として裏付けられた事になる。ローラは正式にオットー・ベルクマンを指名手配にかけて、その行方を全力で捜索する事となった。勿論それは実際に現場で捜査に当たるリンファ達の仕事だ。


 現在の所ベルクマンの自宅は勿論、別の州にある実家や数少ない交友関係の相手先の自宅など、奴が潜伏する可能性のある場所に次々と捜査員が派遣されて、張り込みや聞き込みなどに精を出している状態だった。



 だが残念ながら今の所目ぼしい成果は挙げられていなかった。それを受けてローラは捜査方針の転換を指示してきた。


「……ベルクマンが『リーヴァー』を自在に操れるとしたら、潜伏先はほぼ無数・・・・にあるわね。市内の各分署にも通達して、隣人達が『最近急にそこの住人の姿を見なくなった家』等がないかどうか、徹底的に洗い出して頂戴」


 要はベルクマンが『リーヴァー』を使ってどこかの家の住人達を殺し、そこに潜伏しているのではないかと疑ったのだ。人外の怪物の脅威を正確に、そして冷静に認識しているローラならではの視点であった。


 勿論人気のない廃工場や倉庫、ジャンクヤードといった逃亡犯が潜伏しやすい物件なども引き続き捜索は並行する。



 そしてそんな捜査が続いたある日、分署の1つから怪しい情報が寄せられた。LAとしては最北端にある住宅街の更に外れにある大きな邸宅。広い駐車場やプールなども付いているそれなりの豪邸だが、現在は昔ながらに住んでいる偏屈な老夫婦だけが居住していた。子供たちはこの両親と折り合いが悪く、全員外に出てしまい現在は疎遠なのだとか。


 ただ新聞購読と朝の柴刈りだけは欠かさなかったらしく、新聞配達のアルバイトが毎朝その姿を見ていた。しかしここ最近ぱったりとその姿を見なくなったらしい。庭の芝生も伸び放題となっていて、放り投げられた新聞も溜まる一方だ。


 元々偏屈で人嫌いの夫婦であったために、付近の住民もそこまで関心を抱いていなかった。精々夫婦でどこか旅行にでも行ったのだろう程度の認識であった。だがこのアルバイトの少年から話を聞いた分署の警官達が家に行ってみると、夫婦の車はガレージの中にあり動かされた形跡が全く無かった。


 分署から報告を受けたローラは、絶対に警官達だけで家の中に踏み込まずに見張りに留めるよう念を押して、丁度付近を捜査で回っていたリンファ達に現場に向かうよう指示を出した。指示を受けたリンファ達は直ちに現場へ急行する。




「せ、先輩、大丈夫ですかね? もしその家にベルクマンがいたら……。他にも応援を呼んだ方がいいんじゃ……?」


 現場に向かう車の中で相棒のアマンダが運転しながらも不安そうに問い掛けてくる。


「まだここにベルクマンが潜伏しているとは限らないでしょ。他の皆はそれぞれ他の怪しい場所を調べてるんだし、その度に応援呼んでたら捜査が進まないわよ」


 アマンダの不安を一刀両断して、現場に向かう。現場は住宅街だが一軒一軒の距離が少し離れており、特に件の邸宅は奥まった場所にあるので確かに潜伏には都合がいいかもしれない。そこから先は自然公園という外端にある為、周囲には木々が生い茂っていて邸宅を覆い隠している。


 庭は確かに芝生が生い茂っており、全く手入れを怠っている状態だと一目で分かる。家の前の道路にはパトカーが一台停まっている。捜査本部に報告してきたという分署の警官達のものだろう。


 リンファ達は車から降りると周囲を見渡す。日中だというのに人の気配がせず静まり返っている。閑静な住宅街といえばそうなのだろうが、リンファには妙に気になる静けさであった。


 まず家を見張っているだろうパトカーに歩み寄って警官達に状況を聞こうとする。そして気付いた。パトカーはもぬけの殻であった。


「……!」


 パトロール中の警官は通常必ずペアで行動しているはずであり、監視などの任務中に2人共がパトカーを空ける事はまずあり得ない。


「せ、先輩……」


「……まだよ。判断するには早いわ。でも念の為銃は抜いておいて」


 アマンダに指示して自身も銃を抜いて、慎重な足取りで家に近付いていく。家の周囲は相変わらず不自然なほど静まり返っている。玄関のドアを確認してみると、鍵が掛かっておらず抵抗なく開いた。


 リンファはアマンダに合図して、室内を安全を確認するべく中に踏み込んだ。



「……!」


 そしてすぐに目を瞠る事になった。家の中に入るとすぐにリビングが広がっているのだが、そこにあるソファに1人の男が腰掛けてこちらを見ていたのだ。リンファもアマンダも、その男が誰かすぐに解った。流石に指名手配犯・・・・・の顔は捜査員全員が把握している。


「オットー・ベルクマン……!」



「やれやれ、まさか能無しLAPDにここを突き止められるとは思わなかったよ。お陰でまた新しい隠れ家を捜さなきゃならなくなった」



 30代後半ほどの比較的若い白人の男……ベルクマンは、そう言って苦笑するとソファから立ち上がった。潜伏逃亡中の割には身なりもくたびれておらず、そのまま街中に出ても何ら違和感のない様子であった。


「う、動くな!」


 アマンダが銃を向けて警告する。リンファも勿論銃を向けていつでも撃てるようにしてある。


「……ここを見張っていた警官達はどうしたの?」


 問われたベルクマンは自分に向けられている銃口を何ら意識する事無く肩を竦めた。


「勿論、僕の子供たち・・・・の餌になってもらったよ。ああ、世間では『リーヴァー』と呼ばれてるんだっけ? 中々いいセンスで気に入ったよ。僕も使わせてもらおう」


「……っ!」


 一切の罪悪感なく嗤うその姿にリンファは背筋が凍るような感覚を味わった。直接手を下したかどうかは関係ない。この男はサイコパスの殺人鬼だ。



「アマンダ、すぐに無線で応援を呼んで! こいつは私が抑えておく!」


「は、はい! …………っ!?」


 自分達だけの手には余るかもしれないと本能的に察したリンファが促すが、その指示に飛ぶように外へ駆け出そうとしたアマンダの足が止まる。


「ああ、無駄だよ。君達が入ってきた時点でドアは封鎖・・してある。当然だろ?」


 ベルクマンの嘲笑。開け放っていたはずの玄関口を黒い塊・・・が塞いでいた。『リーヴァー』だ。出入り口を塞がれてしまった。


「……っ」


 この時点でリンファは決断した。彼女の持つ銃が連続で火を噴いた。その銃弾は狙い過たずベルクマンの胸と頭に命中した。


 緊急事態だ。犯人を悠長に確保している余裕はないと判断した。ベルクマンを殺せば『リーヴァー』は統率を失うかもしれない。そう期待しての行動であったが……



「ああ、痛い・・じゃないか。いきなり撃つなんて。僕自身が『王』になっていなかったら死んでいた所だよ」



「ッ!?」


 ベルクマンが……胸や額に風穴を開けた姿で嗤っていた。リンファはここでも想定外を認めざるを得なかった。精神性だけではない。ベルクマンは既に人間自体を辞めていたのだ。


「子供たち……『リーヴァー』がただの人間の意志に従うはずがないだろう? 彼等を自在に操るためには、僕自身が『王』にならなければいけなかったんだよ」



「く、狂ってる……! 一体何故……こんな事を!?」


 リンファが慄きながらも我慢できずに問い掛けると、意外にもベルクマンは神妙な表情になった。


「……今、地球の人口がどれくらいいるか知ってるかい?」


「は……?」


「80億だよ。80億。ほんの10、20年前まで50億だったんだ。それが今や80億。あと10年もあれば100億を超えると言われている。しかもその100億はどんどん豊かになり、地球上のありとあらゆる資源を食いつぶしながら更に増殖していく。100億人の人間が豊かな生活をしているだけで、日々地球にどれだけの環境負荷が掛かっているか想像できるかい?」


 唐突に語り出したベルクマン。リンファは一瞬呆気に取られる。アマンダも同様だ。


「このままでは地球は滅びる。そうなる前に人間の増殖に歯止めを掛けなければならないんだよ。だがそれには核戦争でも起きなければ不可能だが、そんな事になったら地球に更なる負荷が掛かってしまう。それでは本末転倒だ。そして私が辿り着いた答えがコレ・・だった」


「コレ? 『リーヴァー』の事?」


「そう……人類には天敵・・が必要なんだ。天敵の存在が人類の数を適正数・・・に保ってくれる。人間を糧にして『リーヴァー』はその数をどんどん増やしていく。他の動物も植物も一切襲わない。人間だけを殺し喰らう、究極の人間ハンター・・・・・・の誕生だ」


「……っ!!」


 捜査では知り得なかったベルクマンの動機・・を聞かされたリンファは、目を見開いて身体を慄かせた。これは……交渉・・の余地は皆無だ。人間を殺すという事自体が目的で、それに正義を見出しているのだ。交渉も説得も不可能だ。



「さて、そういう訳で次は君達の番だ。君達を殺せば、それだけで今後君達が地球に掛けるだろう環境負荷を減らす事が出来る。この星の為の口減らし・・・・に協力してくれたまえ」


「……! くっ……!」


 ベルクマンが殺意を剥き出しにしてくる。リンファは歯噛みしながら更なる銃撃を加える。今度はアマンダも発砲する。しかし結果は同じだった。いや、もっと悪い。


「ははは! 無駄だというのが解らないかい!」


 ベルクマンは何と撃ち込まれた全ての銃弾を掴み取ってしまった。その身体能力や感覚も既に人間離れしているらしい。


「は、は、ハハ!」


 ベルクマンが嗤いながらその口を不自然なまでに大きく開くと、何とそこから大量の黒い蟲……『リーヴァー』共を吐き出してきた!


「うう……!」


 リンファは慄きながらも必死になって黒い波動を躱す。すると一塊りになっていた『リーヴァー』達が散開して、部屋中を飛び回りながらリンファとアマンダに群がってくる。


「ひ、ひぃぃっ!? せ、先輩! 助けて……助けてぇぇぇっ!!」


「っ! アマンダ!? くそ、やめなさい!!」


 アマンダが悲鳴を上げて逃げ惑うが、勿論そんな事で『リーヴァー』を振り払う事など出来ない。どんどん黒い蟲に集られていく。それを助けたくともリンファ自身集られつつあり、とてもアマンダまで助けている余裕がない。


(アマンダが……! 駄目、駄目よ! た、助けて……誰か、助けてぇ……!!)


 為す術もなく『リーヴァー』に群がられていくアマンダ。如何ともしがたい自分。絶望と焦燥に支配されたリンファは、ただ助けを求める事しかできなかった。それが叶えられない願いとしっていながら、それでも願う以外に選択肢がなかった。だが……



「――『麟諷!!』」



 裂帛の気合。凄まじいまでの『気』の爆発。それと同時に家のドアを塞いでいた黒い蟲の壁が爆散した。そして素早く飛び込んでくる1人の影。


「……! 蔡小姐!? ……『空破・震壊!』」


 その人物が更に『気』を高めると、一緒に飛び込んできた一匹の白豹・・が吼える。その咆哮に合わせて部屋中の空気が振動し、リンファやアマンダに纏わりついていた黒い蟲共が残らず弾け飛んだ。


「……!! 何……!?」


「あ、あなたは……任さん?」


「ご無事ですか、蔡小姐!?」


 ベルクマンが目を剥いて警戒した視線をその人物と白豹に送る。一方で『リーヴァー』から解放されたリンファは信じられないような目で、その乱入してきた人物……レン麗孝リキョウを見やった。


(う、嘘……こんな……。『奇跡』って本当にあるのね……)


 リンファは夢かと疑うような気持ちで呆然とリキョウの姿を見やった。一方でベルクマンは今のリキョウの力を見て明らかに警戒しているようだ。



「……今なら解るよ。君、只者じゃないね? 君を殺すにはもうちょっと準備・・が必要だね」


「あなたがオットー・ベルクマンですか。無辜の人々を虐殺し、今また彼女達を手に掛けようとしたあなたをこのまま逃がすとでも?」


 リキョウが気を高めてベルクマンを睨みつける。同時に白豹も獰猛な唸り声をあげて威嚇する。


「君から逃げるのは大変そうだ。……ここにいるのが君だけだったらね」


「……!」


 リキョウが警戒を高めた時には、いつの間にか部屋の隅に集結して塊になっていた新たな『リーヴァー』が、倒れているアマンダとリンファの2人に同時に襲いかかる。意識を失っているらしいアマンダは勿論、リンファも消耗が激しく回避は間に合わない。


「ちぃ……! 麟諷!」


 リキョウは舌打ちして自らはリンファを守るべく割り込んで、『気』の力で蟲共を弾き飛ばしていく。アマンダの方には白豹の麟諷が割り込んで、やはり風の力で『リーヴァー』共を蹴散らす。それによって2人は守られたが……


「……逃げられましたか。まあ仕方ありませんね」


 リキョウが嘆息する。見ると窓ガラスが破られており、リキョウ達がリンファとアマンダを助けている僅かな隙を付いて逃走してしまったようだ。



「ご、ごめんなさい。私達のせいで……」


 彼女たちがいなければリキョウは、ベルクマンを捕らえるなり殺すなり出来ていたはずだ。悄然と謝罪するリンファだが、リキョウはかぶりを振った。


「どうかお気になさらずに。よもや私の方があなた達LAPDに遅れを取るとは思いませんでした。ベルクマンの居所を突き止めるのに時間が掛かった私の責任です。あなた方は職務を忠実に全うしただけです。前も思いましたが、捜査責任者が随分優秀な刑事のようですね」


「ええ、私の自慢の上司よ」


 ローラの方針に従って捜査した結果、リキョウよりも早くベルクマンの所在に行き着いたのだ。だがベルクマン自身があのような怪物と化していた事は流石のローラも予測し得なかった。これは誰の責任とも言えないだろう。



「しかしベルクマンを逃した以上、私も再びお暇せねばなりません。あなたの相棒も病院に連れて行った方が良いでしょうしね。このような機会でなければ是非一度ゆっくりと語らいたかった所ですが……」


「そ、そうね。私もちゃんとお礼を言わせてもらう機会は欲しいわ。……また、会えるわよね?」


 ベルクマンはリンファの……常人の手に負える存在ではなかった。残念だがここから先はリキョウのような超人達の領域だ。しかしそれでもこのまま彼と会えなくなるのは嫌だという思いから、やや恐る恐るという感じで問うリンファ。リキョウは薄っすらと微笑して一礼した。


「残念ながら確約は出来ません。しかし……ええ、そうですね。善処するとお約束致します」


 それが彼にとって精一杯の応えなのだろう。しかし彼の素性も知らないリンファとしてはそれで充分であった。彼女は頷いた。


「ええ、それで充分よ。私達は残念ながらここで脱落だけど……どうかこの街をお願い」


 リンファが無理に関わろうとしても、今回のように却って足を引っ張ってしまう可能性が高い。後は然るべき者達に任せ、彼女は無事に事件が解決する事を祈るだけだ。リキョウは気障に一礼した。


「……必ずや。それは確約致します」


 それだけを告げて、リキョウは再び風のような速さでこの場から消え去ってしまった。リンファはその姿を黙って見送ると、まだ気を失っているアマンダの救助とローラへの報告のために、無線機の元へと急ぐのであった……

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