Episode11:最後の容疑者

 何とかホテルまで戻ったビアンカは、部屋のベッドにアダムを寝かせてようやく一息ついた。


「すまん、ビアンカ。迷惑を掛けたな。俺は君の警護役のはずなのにこれでは立場がないな」


「そんな、いいのよ。あなたは充分役目を果たしてくれてるわ。さっきのスタジアムだってあなたのお陰で私は助かったんだし」


 その結果として彼はこうして消耗してしまったのだから、ビアンカとしてはむしろ申し訳ない気持ちで一杯であった。


「ありがとう。罠を撃退したのもあって向こうも警戒しているだろうから、すぐには仕掛けて来ないはずだ。今日一日休眠モードに切り替えて回復に努めれば大分機能も戻るので、済まんが調査の続きは明日という事でいいか?」


「それは……ええ、勿論よ」


 明確な時間制限のある任務ではない。黒幕と思しきコルベル判事はまだ健在ではあるが、恐らくビアンカ1人でどうにかなる相手ではないだろう。相棒のアダムが不調である以上、今日はこれ以上の仕事は不可能だろう。



「今日はゆっくり休んで頂戴。あなたはそれだけの事をしてくれたわ。何か私に出来る事はある?」


「特には無いが……そうだな、自動で休眠モードに切り替わるのに少し時間が掛かるので、それまで側にいてくれないか。休眠中は無防備になるので、このモードに入る時はいつも少し不安なんだ」


「まあ……。勿論よ、アダム。側にいるわ」


 見た目通りの屈強な軍人で尚且つ超人的な強さのサイボーグである彼でも不安を感じる事があるのだと、少し意外に思ったビアンカは微笑みながら頷いた。何というか、彼の事がとても人間臭く感じて微笑ましい気持ちになったのだ。


「ありがとう。眠る時に誰かが側にいてくれるなど、子供・・の時以来だが……いいものだな」


 アダムはそう言って穏やかそうな表情となった。彼は何らかの改造によってサイボーグとなったのだ。当たり前だがそれ以前・・・・は人間であったはずだ。


「家族は今どうしているの?」


「両親と弟がいたが、20年近く前に事故で亡くなった。同じ事故で俺だけが生き残ったのだ。このサイボーグ化の研究の被験者となる条件が軍人である事以外に、天涯孤独の身であるという条件もあってな」


「……っ! それは……ごめんなさい」


 何気なく聞いてしまったが当然そう言う可能性もあるのだとビアンカは反省した。だがアダムはかぶりを振った。


「もう昔の事なので気にしていない。だが……枕もとで君とこうして喋っていると、子供の時に母と同じようにして喋っていた記憶が甦るな。君のような若い女性に対して失礼かも知れないが……」


「いいのよ。むしろそんな風に思ってくれて嬉しわ。さあ……今日は私も大人しくしてるから、安心してお休みなさい」


「ああ……ありがとう、ビアンカ。そろそろ……休眠モードに入る。また明日……」


「ええ……また明日ね」


 ビアンカがそう返した時には既に彼は『休眠モード』に入っていた。微動だにしなくなり、呼びかけにも答えなくなった。それを確認してビアンカは静かにアダムの枕元から離れるのだった……



*****



 翌朝には休眠モードから復帰して動き出したアダムは、昨日の態度を「警護役に相応しくなかった」として謝罪してきたが、ビアンカは彼の異なる一面を見れてむしろ良かったと思っていたので、笑って流した。


 そしてホテル内のレストランで朝食を摂った2人は、ボルチモアの北西部にある大きな公園へと赴いていた。リーキン・パークという名のこの公園は昨日訪れたフットボールスタジアムが5、6個は入りそうな程の面積を誇る公園で、広く木々が生い茂る様はちょっとした森のようで、ボルチモアという都会に住む人々の身近なハイキングスポットとして親しまれていた。


 しかしそんな市民の憩いの場もまた、異常な老衰殺人の現場となってしまっていた。



「ここでは2人の被害者が発見されている。この見通しの悪い森の中は悪魔にとっては格好の隠れ蓑となっているようだ」


「……そして誰かを襲撃するにももってこいの場所という訳ね」


 2人は公園内を走る、木漏れ日が差し込む遊歩道を歩きながらそんな会話を交わす。歩道の周囲は森の木々が立ち並んで視界を遮る。異常な殺人があっと事も影響して、歩道には他に人の姿が見受けられなかった。そしてそんな状況にも関わらず、2人は先程から自分達と同じルートで後ろを付いてくる足音に気付いていた。アダムだけでなくビアンカも気付くくらいなのでかなり露骨だ。


 2人は目配せし合うと、ほぼ同時にそれぞれ歩道の両脇に生える木の陰に身を隠した。そして足音の主が追い付いてくると一斉に飛び出した。


「……ッ!? な、何!?」


「……!」


 木陰から飛び出してきた2人を見てギョッとしたように身を竦ませたのは、1人の白人女性・・であった。30代後半くらいの年齢と思われる。ビアンカはすぐにその女性に見覚えがある事に気付いた。流石につい数日前に写真で見た顔を忘れるような事は無い。


「アディソン市長!?」


 それはビアンカの記憶が確かなら、このボルチモアの市長アビー・アディソンであるはずだった。女性であるという事でとりあえず容疑者から外れた人物。何故彼女がここにいるのか解らなかった。念の為アダムの方に視線を向けるが、彼も戸惑ったように肩を竦めるだけだった。



「な、何なの、あなた達!? 強盗!? 私を市長と知ってて襲おうという気!?」


 本気で警戒した目を向けるその態度を見る限り、演技という事もなさそうだ。ビアンカとアダムはとりあえず臨戦態勢を解いた。


「い、いえ、すみませんでした、市長。人違いだったようです。私達は強盗じゃありません。てっきりコルベル判事かと思って……」


「……!! コルベル判事ですって? どういう事? 私、彼にここに来るように呼び出されたんだけど。あなた達、彼と知り合いなの?」


「な、何ですって? 判事があなたをここに……?」


 どういう事か解らなくてビアンカは混乱する。だがこのタイミングで自分達が黒幕と睨むコルベル判事に呼び出されたというのが偶然とは思えない。


「……市長、説明は後でします。とりあえず今すぐこの公園から出てお帰り願えますか?」


 アダムも同じ予感に囚われたらしく、アディソンに帰るように促す。だが彼女はかぶりを振って後ずさった。


「い、嫌よ。何で私が、誰かも解らないあなた達の言う事を聞かなきゃならないのよ? 判事はとても重要な用件・・・・・・・・で私を呼び出したのよ。ここで彼に会わずに帰る訳には行かないわ」


「重要な用件?」


 ビアンカがオウム返しに尋ねるが、アディソンはバツが悪そうな表情で視線を逸らしただけだった。


「あなた達には関係ないでしょ。さあ、どいて頂戴。判事と関係がないならあなた達に用はないわ」


 取り付く島もない様子でビアンカ達を押しのけて先に進もうとするアディソン。ビアンカはこのまま行かせてしまって良い物か判断に迷った。



 だが……幸か不幸かそれを判断する前に事態が動いた。


「……!!」


 アディソンの足が止まる。彼女と同じ方を見たビアンカとアダムも目を瞠った。



「やあ、時間通り来てくれて嬉しいよ、アビー。それに『エンジェルハート』達も歓迎しよう」



 穏やかとも言える落ち着いた声が聞こえた。3人の前方、遊歩道の先に1人の男性が佇んでいた。若干頭頂部が寂しい事を除けば声と同じように柔和そうな印象の壮年男性であった。縁のある丸眼鏡が特徴的だ。


 その姿を見たアディソンが目を吊り上げる。


「コルベル判事! あのメールは一体どういうつもり!? 私を脅迫しようとでも言うの!?」


「おやおや、アビー。君はあれを脅迫と受け取ったのかい? まあ無理もないか。この街で絶大な影響力を持つトライトン・グループの現会長・・・愛人関係・・・・にある事が一目瞭然の写真など添付されれば君がそう思うのも仕方がない。あれが世に出たらマスコミが放っておかない。君の社会的信用は失墜するからね」


「……っ!!」


 揶揄するような口調であっさりと秘密を暴露されたアディソンが硬直する。なるほど、そのネタでこの場所に呼び出されたという訳だ。


「あ、あんな写真、どうやって……」


「勿論、当のトライトン・グループのバー会長自身が仕組んだのさ。私は彼とも懇意なんだよ。君は身の程知らずにもバー会長を利用しようとした。彼がそれに気付かない程愚かだと思ったのかい?」


「……っ」


 アディソンが青ざめる。ビアンカ達には余り関わりのない話が進んでいるが、先程彼女の事を『エンジェルハート』と呼んだ事からも、コルベル判事がカバールなのは間違いないはずだ。



「今日君をここに呼び出したのは他でもない。どうせならその『エンジェルハート』達と君の処理・・を同時にやってしまうのが手っ取り早いと思ってね……!」


 コルベルがそう言って両手を広げると、彼の姿が変化・・を始める。背中が異常に盛り上がって服を突き破る。その下から現れたのは巨大な巻貝・・の殻のような器官であった。ただし大の大人がすっぽりと2人くらい収まってしまいそうな巨大な殻だ。それと反比例するようにコルベルの身体は内側に折り曲がっていき、やがて巻貝の殻の中に完全に入り込んでしまう。その代わりに殻の下部……つまり殻の口からは何本もののたうつ細い触手のような器官が飛び出して蠢く。


 数瞬の後そこには、体長が優に2メートルを超える超巨大な巻貝の怪物がいた。これがコルベルの本当の姿か。だが感じるプレッシャーは昨日の中級悪魔達とそこまで変わらないように思える。


 ビアンカは臨戦態勢を取りつつアダムの方に視線を投げかける。彼はかぶりを振った。



「中級悪魔へモス……。コルベルも違ったのか……!」



「……!」


 ビアンカ達が当初睨んでいた容疑者達は全て中級悪魔だったという事になる。悪魔という意味では当たっていたが、結局こいつらの本当の主……カバールの構成員は解らず終いだ。


 だが確実に答えに近付いているという実感はあった。こちらに『天使の心臓』を持つ自分がいる限りカバールは無視できないはずだ。中級悪魔を全員倒して向こうの手駒が無くなった時……。それが黒幕との対決の時だ。


 黒幕との根競べ。その為にもまず目の前のこの悪魔を打倒する必要がある。だが問題が一つあった。



「ひぃぃっ!? ば、化け物ぉぉぉっ!?」


 悪魔の姿に変身したコルベル……へモスの異形とプレッシャーの前に、アディソンが悲鳴を上げてその場で腰を抜かしてしまう。


 そう。ここには彼女がいる。自由党ではあるが、やはりカバールとは関係なかった様子だ。それは喜ばしい事だが、へモスが彼女も殺そうとしている以上放っておくわけにも行かない。



「ビアンカ、攻撃は俺に任せろ。君は彼女を頼む」


「わ、解ったわ!」


 アダムが2人を庇うように前に進み出る。確かにへモスがどんな攻撃をしてくるか解らないのでアディソンを守る必要がある。ビアンカもまたアディソンを庇う位置取りとなってファイティングポーズを取る。


 だが……彼女はそこで先程まで取り乱していたアディソンが妙に静かな事に気付いた。


「市長…………むぐっ!?」


 振り向いて彼女の様子を確認しようとしたビアンカは、突如ハンカチのような布で鼻と口を塞がれて呻いた。強烈な刺激臭が鼻と口を通して脳天に突き刺さる。後ろから彼女を抱きすくめるのは……アディソン市長。しかしその目や表情は先程までと違って虚ろで、何の感情も浮かんでいなかった。


 ビアンカは必死にもがくが、アディソンは人間離れした力で全く振り解けなかった。訳が分からなかった。アディソンは女性だから悪魔ではないはずではなかったのか。



 ――無論女性でも悪魔の能力によっては精神を支配されて操られているというケースはあるかも知れんが――



 唐突にアダムが言っていた言葉が脳裏に思い出される。


「ビアンカ……!?」


 そのアダムが驚愕してこちらに駆け寄って来ようとしている姿を最後に、ビアンカの意識は急速に遠のいて闇に閉ざされていった……

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