Episode2:トラブルシューティング
帰りにヴィクターと一緒に喫茶店に寄っていくが、ここでトラブルが発生した。といってもビアンカ達に対するトラブルではない。
テラス席にいた女性の二人連れに対して、ガラの悪い男達が三人ほど執拗に絡んでいるのだ。男達は日中から酒でも飲んで酔っているのか、それともドラッグでもやっているのか、少し正常とは言い難い状態であった。
「ち……きっとカムデンから来た連中だな。ここはやめようぜ、ビアンカ。関わり合いにならない方がいい」
ヴィクターが不快気に眉をしかめてビアンカを促す。
フィラデルフィアは比較的治安の良い街だが、デラウェア川を挟んだ対岸にあるニュージャージー州カムデンは対称的に荒んだ危険な街として知られていた。カムデンの住人が広い隣街でトラブルを起こす事は、頻繁とまでは言わないがそこまで珍しい事でもない。
「でも、あいつら何かちょっとおかしいわね。このままだと彼女達が危険だわ」
「お、おい、ビアンカ!?」
ヴィクターが制止するのも聞かずにビアンカは自分からトラブルに介入する。店員や他の客、通行人などは皆ヴィクターと同じような態度だ。今から警察に通報しても間に合わないだろう。彼女はそう判断していた。
「ちょっと、あなた達。TPOって物を考えてくれないかしら? 公共の場で見苦しい光景を見せられる側の気持ちにもなって欲しいわね」
「ああ? 何だと?」
男達が一斉に彼女の方に向き直る。絡まれていた女性達は露骨に安堵していた。彼女は女性達に目線だけで、今の内に避難するように合図する。女性達が頷いてそっと離れていく。だが男達の注意は既に全員ビアンカにのみ注がれていた。
「ヒュゥ! おい、何だよ。こっちの方が全然上玉じゃねぇかよ」
「あんたが俺達の相手してくれんのか? だったらTPOってヤツを考えてやってもいいぜ」
男達がニヤニヤしながらビアンカを取り囲む。ショートパンツから剥き出しの太ももやシャツを盛り上げる胸に好色な視線が向けられる。予想通りの展開に彼女は溜息をついた。
「はぁ……やっぱりこうなるのね。あなた達、鏡を見た事があるの? どう考えても私とは釣り合ってないって解らない? それにこんな真っ昼間から酒やドラッグを極めて粋がってるようじゃ、どうせまともな職にも就いてないんでしょう? 不細工で無職で金も無くて、おまけに常識も無いときたら、もう人生終わってるわね」
「な……」
複数の男に囲まれている若い女性が、自分達を全く恐れる様子も無く毒を吐く様に、男達は一瞬唖然とする。なまじ容姿が美しいだけに、その悪罵はより鋭利な刃となって男達の胸を抉った。
「てめぇ、このアマ……!」
男達の1人が激昂してビアンカの服の胸倉を乱暴に掴む。そのまま引っ張ろうとするが、その前にビアンカが相手の手首を手刀で打ち据えた。
「いっ……!?」
男の動きが痛みで停滞し、胸倉から手が離れる。当然格好の隙だ。ビアンカは下半身で安定した姿勢を取ると、怯んだ男の鼻面に正拳突きを叩き込んだ。試合と違って防具もグローブもない完全なフルコンタクトだが、幸か不幸かビアンカが素手で人を殴るのは初めてではなかった。
正拳をもろに喰らった男がもんどりうって倒れ込む。残った2人が慌てる。
「こいつ、ふざけやがって……!」
「ふざけてるのはそっちでしょう?」
男の1人が掴みかかってくる。体格は当然向こうが上だが、ビアンカは正面から取っ組み合いを演じる気など無い。男の足元に強烈なローを蹴り込む。
「……!」
肉の薄い脛に強烈な打撃を受けた男が怯んで一瞬硬直する。ビアンカはそのまま右腕を折り曲げると、至近距離で相手の顎に肘打ちを振り抜いた。硬い肘の骨で顎を打ち据えられた男は脳を揺さぶられて、意識を飛ばしてその場に崩れ落ちる。
若い美女が瞬く間に2人の暴漢をKOしてしまった映画のような光景に、周囲で遠巻きに騒ぎを見ていた野次馬達から歓声が上がる。
「このアマ、ふざけやがって。殺してやる!」
一方後に引けなくなった最後の男は逆上して喚くと、懐から刃渡りが長めのバタフライナイフを取り出した。周囲の野次馬から悲鳴が上がる。
「やべぇ! ビアンカ、逃げろ!」
ヴィクターも慌てているが、ビアンカには全く逃げる気は無い。銃でも出されたならともかく、ナイフくらいならどうという事は無い。確かに当たった時の事を考えると恐ろしいが、だったら当たらなければ良いだけの話しだ。
男が喚きながらナイフを突き出してくる。これだ。軍人のようにナイフ術の訓練でもしていれば別だが、大抵の素人はナイフなどの刃物を使う場合、挙動パターンは大きく限定される。限定されるという事はつまりそれだけ読みやすいという事だ。
「ふっ!!」
ビアンカは大きな呼気と共に手を、まるで円を描くような軌道で下から上に向けて払った。それはナイフを突き出してくる男の腕を正確に払い落し、その突きを逸らした。
「……!?」
攻撃をいなされた男が大きく体勢を崩す。その隙を逃さず、男の顔面に掌底を打ち当てる。
「がっ……!」
男が仰け反って怯む。そこに先の試合で見せたような見事なハイキックが男の側頭部に命中し、もろに喰らった男が横倒しになった。
「さあ、どうするの? まだ続ける?」
その時には息を吹き返していた他の男達を睥睨する。
「ち、ちくしょう、テメェ……。覚えてろ……!」
ビアンカが見た目とは裏腹の強さの持ち主である事や、周囲の野次馬によっていつ警察を呼ばれても不思議ではない事から、男達は憎々し気に吐き捨てながらもほうほうの体でこの場から退散していった。野次馬達から大きな歓声と拍手が巻き起こる。
「捨て台詞まで芸が無いなんて本当に低能な奴等ね。全く……ああいう奴等ってどこにでもいるものね」
そうボヤくビアンカだが、あのままでは絡まれていた女性達が危険だったし、介入した事自体は後悔していなかった。
「ビアンカ、怪我はないかい!? ふぃー……ホント、君の無茶には毎回驚かされてばっかりだよ!」
駆け寄ってきたヴィクターが、彼女が無傷なのを確認して安堵の息を吐く。実際ヴィクターと付き合いだしてからも、例のストーカー被害も始めこういう事は何度かあった。
それでもとりあえず彼が、ビアンカに付いていけないから別れると言い出す事も無かった。尤もあの新たなストーカー(?)の黒スーツ男については、彼にもまだ話していなかったが。
「正義感が強いのも結構だけど、それで君が怪我したりしたら元も子もないだろう。もっと自重してくれよ」
「あら、ヴィクター。私、別に正義感が強くなんてないわよ? ただあいつらが目障りだったからぶちのめしてやっただけよ。試合だけじゃなくて実戦訓練もしたかった所だし」
その気持ちが多少あったのも事実だ。彼女の父親は数年前に事故で他界してしまったが、幼い頃から彼女に格闘技やその他の技術を教え込み、大人になっても「護身用」に続けるようかなり強く推奨していた。
お陰で空手だけでなくMMAや柔道、更には射撃に至るまで、多種多様な「護身用」の技術を非常に高い水準で習得するに至っていた。彼女も才能に恵まれたらしく、そういった武術の数々を学生としての学業も疎かにする事無く、次々と身に着けていった。
そんな亡き父が特に強調していたのが
といっても勿論誰彼構わず喧嘩を吹っ掛ける訳にも行かない。なので先程のような
なぜ父があれほど「護身術」の教育に熱心だったのかの理由は、結局それをはっきりと聞く前に父が他界してしまい聞けず終いとなった。勿論何かと物騒な世の中だし、女であり尚且つ容色に優れるビアンカを心配しての事だったのだろうが、それにしても些か熱を入れ過ぎていた気がしないでもない。
「やれやれ、怖い女だよ君は。いや、頼もしいって言うべきかなここは」
「そうよ。だから間違っても浮気しようなんて思わないようにね、ヴィクター?」
ビアンカが少し悪戯っぽくウィンクすると、ヴィクターは表情を引き攣らせて何度も全力で頷くのであった……
*****
「へ、へ……あのアマ、よくも俺達に恥を掻かせてくれやがったな。たっぷりと仕返ししてやるぜ」
カムデンのスラム街。日中ビアンカによって叩きのめされた3人の男達が、その時の屈辱を思い返して醜い逆恨みに身を焦がせている。
「ああ。ひひ……あの女がどんな強くても、こいつには敵わねぇだろうしな」
男の1人が嗤いながら手に持った
「どうせパクられてもお偉い弁護士センセーが、シンシンソーシツだとか何とかですぐに釈放してくれるだろうしよ。殺す前に存分に楽しませてもらおうぜ」
「ああ。外見だけはすこぶるいい女だったしな。銃で脅して縛っちまえば後は好き放題だ。へへへ、もう殺してくれって懇願するまで犯し抜いてやる」
「あそこにいたなら多分テンプル大学の学生だろ。寮を捜せばすぐに見つかるぜ」
男達が身勝手な復讐の妄想に浸って悦んでいると……
「――そいつは困るな」
「……っ!? だ、誰だ!?」
唐突に聞こえてきた男の声に、男達はギョッとして振り向いた。路地の先に、黒髪を後ろに撫でつけてサングラスをかけた黒いスーツ姿の男が1人佇んでいた。つい今の今までこの路地には自分達以外誰もいなかったはずだ。
「あの女はちょっと
「……! な、何だと、テメェ!」
「あの女の仲間か!?」
3人が一斉に銃を向ける。今の会話を聞かれていたらしい。しかもあの女の事を知っている様子だ。
だったらここで殺して黙らせるしかない。3人の目が殺意に彩られる。それを見た男は肩を竦める。その態度に暴漢達に銃を向けられているという緊張感は皆無だ。
「ふぅ、一度だけ警告するぞ? 今すぐそいつを置いて回れ右して消えろ。そしてあの女の事は忘れるんだ。そうすれば――」
――パァンッ! パァンッ!!
まだ喋ってる途中の男に向かって3丁の拳銃が火を噴く。着弾の衝撃に男の身体がよろめいた。だが……
「なるほど、これが返事か。じゃあ遠慮する必要はないな」
「っ!?」
確かに銃弾が命中したのに平然と喋っている男の姿に暴漢達が動揺する。因みに銃声に誰か住人が様子を見に来る事は無い。この街では日常茶飯事であった。
「ぼ、防弾ベストでも着てやがるな!? くそ、頭だ! 頭を狙え!」
暴漢達は慌てて狙いを切り替えるが、胴体ならともかく頭を正確に狙い撃つなど素人では難しい。銃弾は虚しく外れて建物の壁を穿つ。それでも連続で発砲する事で、その内の何発かは命中しそうになるが……
「ふん……」
男の手が文字通り目にも留まらぬ速さで動く。そして信じがたい事に飛んできた銃弾を正確につかみ取ってしまったのだ! 男が拳を広げると銃弾が地面に落ちる。
それを見た暴漢達はようやく目の前の男が尋常な存在ではないと悟る。
「な、何だこいつ……人間じゃねぇ!」
「に、逃げろ……!」
遅ればせながら男達が踵を返して遁走しようとする。だがその眼前にスーツの男が
「その選択をするのがちょっと遅すぎたな」
「……っ!!」
男が先頭にいた暴漢の顔面に拳を撃ち込む。やはり拳の先が消えるかのような速度で撃ち込まれた
「ひぃっ!?」
他の2人が思わず足を止める。そこに男が間髪入れずハイキックを一閃させる。側頭部を蹴り込まれた暴漢はビアンカに蹴られた時のように倒れる……よりも先に、余りの威力に頭部が胴体から泣き別れになった!
もぎ取られた頭がボールのように吹っ飛んで地面を転がっていく。冗談のような光景であった。
「な、な、な……何なんだ、テメェはよぉ……!」
残った暴漢が泣き笑いのような表情で喚きながら、狂ったように銃を乱射する。だがやはり男には全く効いている様子が無かった。
「獣は噛み付いてはいけない相手を本能で悟る。お前らは獣以下だよ」
男は薄く笑うと最後の
この日カムデンから3人の若者が消えたが、それを気にするような住民は誰も居なかった……
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