第3話
いきなり身体を片腕に抱き上げられ、乱雑にバスタオルを掴み取った伊上に、ベッドへ連れ去られる。そのままベッドへ下ろされそうになり、天希はなんとか引き止めた。
いくら夏でもろくに髪を乾かさずにいれば、風邪を引く可能性がある。
ふて腐れた顔をする子供じみた恋人の髪を精一杯タオルドライし、自分も同じように乾かすが、そのあいだも時間が惜しいと言いたいのかキスの雨が降った。
普段は余裕な態度を見せる彼にしては珍しい反応に、戸惑いつつも天希は黙ってそれを受け入れてあげた。
人に弱みを見せることを良しとしない環境のせいか、伊上は天希にもはっきりとした本音はこぼさない。言葉に本音が織り込まれていることもあるけれど、なにげなく聞いているとそのまま流してしまいそうになるくらいだ。
そんな彼がいま甘えたいという態度を隠していないのが、ひどく愛おしかった。
「伊上、ストップ。顔が見たいから、向かい合わせ」
後ろから天希を抱き込んでいる甘えん坊の腕を叩き、振り返ると唇を奪われる。触れていないとなにか起きるのか、とツッコんでやりたい気持ちを笑いとともに噛みしめて、身体を浮かせて伊上の足にまたがった。
正面から顔を見つめると、もの言いたげに見つめ返される。
「……」
「ん? なんだよ。どうした? 伊上? ……あ、紘一?」
「なに?」
「っ、なにってか。可愛いかよ」
「あまちゃんには負ける」
顔を見合わせて笑いながら、誘われるように口づけを繰り返して、身体を寄せれば優しく伊上の手が天希の肌を撫でる。くすぐるような手つきは、次第に内に眠る官能を惹き寄せ始めた。
いつの間にか照りつけていた陽射しが和らぎ、空に橙色が滲み始めている。
ブラインド越しに感じる陽の光はまだまだ強い。享楽に耽るには早い時刻ではあるが、目の前のご馳走にかぶりつかない選択はお互いになかった。
唇が肌を滑るたび、ゾクゾクとする感覚をこらえ、天希はすがるようにアッシュグレーの頭を抱きしめる。胸元までたどり着いた柔らかなぬくもりに、小さく尖った弱い部分を刺激されて、薄く開いた口からは掠れた声が漏れた。
分厚い濡れた舌にもてあそばれると、じわじわと愉悦が込み上がり天希は紛らすように伊上の耳にかじり付く。
きつく噛みしめられずに、甘くしゃぶる仕草は幼子を思わせる。快楽に打ち震える艶めかしい姿態とは裏腹なアンバランスさ。
喉を鳴らした伊上は抱きしめていた身体をシーツに縫い止めた。驚いて見上げた天希の目は涙で潤み、余計に恋人の熱情を燃え上がらせる。
ベッドに沈んだ無防備な身体を食い尽くす勢いで貪られ、自然と浮かんだ涙が天希のこめかみを伝い落ちた。
「すごいね。どんどん溢れてくる。あまちゃん、すぐにイキそうだね」
「ぁっ、や、まだ……」
性急に高みへ押し上げる伊上の手管で、天希の口からはひっきりなしに甘い声が上がり止まらない。
それでもまだ恋人が与えてくれる快感を手放したくない天希は、いやいやするように身をよじった。
「イってもいいんだよ?」
「や、だ、だめ」
「いくらでも気持ち良くしてあげるから、ほら」
「こっち、俺ばっかり気持ちいいの、やだって」
「……いつも言ってるね。あまちゃんはほんとに可愛いね」
自分から誘うように脚を開けば、困り顔で笑った伊上は天希の頭を抱き寄せ、そっと額に口づけた。頬をすり合わせて優しく髪を撫でられると、想いが染み込んできて大切にされているのを感じる。
「ん、だってあんた。いっつも自分は後回しだろ」
我慢の限界でぐいぐい来ることがあっても、伊上は大抵天希を気持ち良くさせることを優先する。散々イカされてとっぷり快楽に浸った頃、ようやく身体を繋げるのだ。
理性が頑丈なのは素晴らしいけれど、天希的にはもっとたくさん求められたい気持ちがあった。
「でも僕のペースに任せてたら、もたないよ?」
「うっ、まあ、あんたはかなり性欲強いけど。毎日会えるわけでもないし、ちゃんと俺で満たされて欲しい」
「それはなかなかの殺し文句だね。うーん、僕のほうがあまちゃんなしで生きていけなくなりそう」
「そしたら俺が最後まで面倒、見てやるから。いまはもっと俺に夢中になって?」
「どこまでも一緒に堕ちてくれる?」
「いいよ」
想像のできない世界だが、一緒に堕ちる先が地獄でも迷いなくついて行ってしまいそうに思えた。ただそれは選択肢の一つで、どうせずっと一緒なら少しでもこの男が笑っていられる場所へ行きたい。
もしもの時は死ぬ気で地獄から引き上げてやろう、天希は密かに心に誓った。
「……はあ、あまちゃん。辛くない?」
「んっ、きもち、いい」
結局天希の主張を受け入れ、いつもの十分の一かと思えるくらいの愛撫で繋がった。だというのにまったく問題なく身体は快感を拾っている。
膝の上に抱えられて揺さぶられるたびに、気持ち良さで勝手に腰が揺らめいた。目の前の身体にしがみつくと、舌が溶けそうなキスでなだめすかされる。
「そんなにいいの? 自分でいいとこに当ててるのかな?」
「あっ、あっ、そこっ! そんなにしたらまたっ」
「可愛い。甘イキしっぱなしだね。ずっとこのまま繋がっていられそう」
「だめ、こーいちもイって」
「あまちゃん相手なら、朝までもやぶさかじゃない」
耳元に響いた甘やかな声にぞくりとする。肌を伝う汗に混じった伊上の匂いに、快感中枢を刺激された気がして、ベッドに身体を沈められ激しく穿たれれば、てっぺんに上ったきり戻ってこられなくなった。
「あまちゃん、気持ちいい?」
「きもちいい、もっと」
「気持ちいいの大好きだね」
「んっ、ん、紘一、すき」
「っ、……気持ちいいのより、僕のほうが好きなの?」
「好き、こーいちと、するのが、すき、だ」
「もう僕を殺しにかかってるよね」
重たいため息のわりに嬉しそうな声。きついくらいに腕に抱き、何度もキスをして、こらえきれないように「好きだよ」と囁く恋人は、天希が意識を飛ばすまでずっと愛してくれた。
惜しむらくは泣きそうに震えた声がこぼれた時、抱きしめ返せなかったことだ。
***
いつも天希に向けられる声には甘さが含まれていた。言葉で直接伝えられなくとも、愛していると言われているような気になる。
自分と他人との違い。それはおそらく天希にしかわからないだろう。
たとえばいま、まさに決定的な違いが感じられる。
ふっと意識が浮上した天希は重たいまぶたをゆるりと上げて、視界の暗さを認識した。完全に日が暮れている上に、ぐっすりと眠った感覚。日付はもう変わっただろうかと視線だけを動かす。
間接照明のみの空間はぼんやりとした暖色が広がっている。
たっぷりと睦み合った恋人は、現在仕事モードで誰かと通話しているようだった。
どこか冷ややかで感情の起伏を感じさせない平坦さ。人を使い命令する立場に慣れているこの物言いが、伊上紘一という人物像の普通に当てはまる。
人当たりのいい大人を装う場合があっても、天希に対して見せる温かみはそこにはない。伊上をよく知る組長の志築が言っていたくらいだ。
いくつもの仮面を被っている彼の素顔はどれなのか。願わくば自分に見せるあの笑顔が本物であればいい。
ゆっくりと天希が身体を持ち上げると、気配に気づいた伊上が振り返りソファを立つ。
早口に一方的に話を打ち切り、スマートフォンをテーブルに投げ出したかと思えば、まっすぐにベッドへとやって来た。
「大丈夫かい?」
「ああ、うん。平気だ。腰がダルいけど。それよか腹減った」
「そう、なら料理を温めようか」
顔色を確かめるみたいに手のひらが頬を撫で、まぶたに口づけが降る。それを受け止めながら天希は口元を緩めた。
――ほらやっぱり違う。
甘やかな眼差しといたわる声。触れる手は優しくて、浮かんだ笑みは至極自然だ。そこに確かに恋情の熱を感じる。
「伊上」
「ん?」
「好き」
「……僕も、君が誰よりも愛しいよ」
夏の焦げてしまいそうな熱気よりも、恋人の甘く溶けてしまいそうなほどの想いが熱いと思った瞬間。
溶けてしまいそうな夏の日/end
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