第4話 小さなおねだり、だったんだけど

 いつものように伊上の運転で、連れてこられたのは、ごくありふれた焼き肉屋。桁が違うような高級焼き肉店、ではなく、ごく普通の繁華街にある店。

 意外なチョイスに驚きもするが、敷居の高いところに連れて行かれては、腹に収まるものも収まらない。


 これは彼なりに、天希の性格を把握しての選択だろう。しかしいいコートやいいスーツを着ているのに、よくこんな煙くさい場所にためらいもなく。そんな考えも浮かぶ。


 通されたのは、少し奥まった席でカウンターの二人掛け。隣に座るのが少しそわそわするけれど、いまは腹の要求がうるさい。


「好きなもの好きなだけ頼んでいいよ」


「……俺すげぇ食うけど」


 席に着くなりメニューを手渡されるが、天希にも遠慮というものがある。いくら桁違いに稼いでいそうな男の財布でも、自分の胃袋と相談が必要だ。


「そうなの? じゃあメニューの端から全部頼む?」


「ば、ばっかじゃねぇの! 食べ物を無駄にすんな」


「そういうところ、あまちゃんらしいね。じゃあなにがいいの?」


「うーん、カルビ三人前とタン塩を二人前と、ご飯大盛り。サンチュ、野菜焼きと、……豚トロ、レバー、ハラミ。あとビールの大ジョッキ」


「若いっていいねぇ」


 次々と頼んでは焼いて、どんどんと皿を空にしていく様子に、ほのぼのとした顔で伊上は笑う。口いっぱいに肉を頬ばる天希は、あまり話を聞いていない。

 けれどふと彼の手元を見て、首を傾げた。


 ずっとウーロン茶しか飲んでいない。肉は天希のおこぼれをほんのわずか、食べるくらい。普段いいものを食べているから、平凡な焼き肉屋では舌に合わないのか。

 そう思いもしたが、それにしても――


「あんた酒は飲まないの?」


「ん? 飲むよ。人並みには」


「……偉いなら、車くらい誰かに任せたりしねぇの?」


「んー、人の運転する車は落ち着かなくてね」


「ああ、自分の車も、他人に預けるの嫌なタイプだろ」


「そう、よくわかったね」


 小さく笑った伊上に曖昧な相槌を打ちながら、天希は黙って肉を口に突っ込む。

 知る限り、彼は通勤のほとんどが車だ。バイト帰りの天希をほぼ毎日送ってくれていた。そんな生活でいつ、酒を飲む機会があるのだろう、と余計なことを考える。


 家で一人酒? それも似合うけれど。

 一人寂しい感じはあまりしない。

 もしかしたら家に、待っている人がいたりするのかも、しれない。


 人の私生活を覗き見ようとする詮索は、胸をモヤモヤとさせる。ガツガツと肉と白米を掻き込んで、飲み下そうとするのにするりと落ちない。

 悔しい――このなにを考えているのかよくわからない、そんな男に天希は惚れている。


 だからこそ悔しいと思う。

 いつかぽいと、飽きたおもちゃのように手を離されそうで、自分がちっぽけで、悔しい。

 だが思えば自分からなにかを問いかけることがない、それにも気づく。


「あまちゃん、もうお腹いっぱいになった?」


「ビール」


「よく飲むねぇ。まあ僕も若い頃はそんなだったよ」


「……あんた、いまいくつ?」


「僕? 今年、三十九になったとこ」


「え! もっと若いと思ってた」


「うちの界隈じゃまだまだ若いよ」


 見た目だけならば、まだ三十前半くらい見える。酔っ払ってきた頭で、天希は指折り数える。自分との年の差は十八個。

 伊上が高校三年生の時に生まれたのか、そう思うと言葉が出ない。けれど伸びてきた手に頬を撫でられて、少しだけなだめられた。


「あまちゃん、プレゼントはなにがほしい?」


「プレゼント?」


「ほら、明後日、クリスマスイブだろう?」


「別に、いらねぇ」


「なんでもいいよ」


「……ほんとになんでも? じゃあ、あんたの家に行ってみたい」


 ぽつりと呟いた天希の言葉に、珍しく伊上は目を見開いて、驚いた顔をする。そしてなぜかまじまじと凝視してきた。その視線に不満をこめて、天希が睨み返すと、また頬に手を当てられる。


「飲み過ぎた?」


「人を酔っ払い扱いすんな、馬鹿」


「あまちゃんって、天然の小悪魔だったんだなぁ。おじさんびっくりだよ」


「こんな時ばっかり、じじいぶるんじゃねぇよ!」


 なだめすかすみたいに頭を撫でられて、その手を勢いよく払う。そんな天希の反応に、伊上は目を瞬かせた。


「今日はこの辺にしておこうか」


「え?」


「クリスマスと言わずに、いますぐおいでよ」


「ええ?」


 頬を撫でていた手がするりと顎先を掴んで、くいっと持ち上げられる。その仕草に疑問符を浮かべていた天希だが、伊上の瞳に熱が灯ったの感じて、一気に顔を紅潮させた。


「ち、ちげぇよ! 変な意味で言ったんじゃ」


「天然ちゃんには、ちゃんと教えてあげないとね」


 ここが店内だと言うことも忘れて、叫び出しそうになったけれど、それは伊上の指先に押し止められる。きゅっと唇を摘ままれ、不敵に微笑んだ男の色香にあてられ、天希は頭がくらりとした。


 ただ少し、伊上の私生活を覗いてみたい、と言う小さな気持ちだったはずなのに。なぜだか嬉々とした彼に店を連れ出された。


 酔っ払いの戯れ言だ。本気にするほうがどうかしている。

 そう異議申し立てをしたのだが、まったく聞き入れてもらえなかった。それどころか、後部座席に押し込められた途端に襲われる。


「んっ、ん」


 初めての日ぶりの深いキス。あの時はまだ気遣いがあったけれど、いまは飲み込まれてしまいそうな口づけに、翻弄されていた。

 息を継ごうと口を開くたびに、口内をまさぐられて、まともに呼吸ができない。


「はあっ、ん」


「あまちゃんが気持ちいいこと好きな子で、良かった」


「ちがっ」


 思いのほか酔いが回っているのか、抵抗しきれない。ビールは何杯飲んだ? そんなことが頭の片隅をよぎる。しかしすぐにそんな考えは消し飛ばされた。


「ぁっ」


 カチャカチャとベルトを外される音が、車内にやけに響いた。自分の上擦る声と、何度も自分を呼ぶ伊上の声で、頭がごちゃごちゃになる。


「あまちゃん、可愛いね」


「……ふっぁ、うるせぇ、よ!」


「はあ、ほんと可愛い。可愛くて頭から丸呑みしたいな」


「んっ、出る、出るからっ、離せ馬鹿!」


 身体を押さえ込まれて、まったく身動きできなかった。ジタバタともがく天希を見下ろす伊上は、獲物を前にした肉食獣のように、舌先で唇を濡らす。

 ぞくりとするような雄の気配。それだけで快感が広がる。


「んっ、んんっ……っ」


 過ぎる快感をこらえるように、伊上の腕を力一杯掴んだ。すると声を飲み込んだ天希を咎めるみたいに、舌で唇をこじ開けられた。

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