54話 告白

「はぁっ……は……」


 全速力を出しすぎて、マイアは森の入り口でいったん下に降りた。ヒギンズ家の自室に飛び込んで、マイアはドレス姿のまま風のマントを身につけた。そして……鏡を見たマイアはハッとして小花のネックレスを外すと、アシュレイから貰った翡翠のネックレスに付け替えた。


「つ……疲れた……」


 綺麗に結った髪はぼろぼろ、額には汗が滲んでいる。すっかり息が上がってしまったマイアは木の下で小休憩を取る事にした。


「でも……気持ち良い」


 さらさらと下草は揺れ、森の濃い緑の匂いがする。久々のランブレイユの森は、マイアを抱きしめてくれているようだった。思わず目を瞑り、寄りかかった樹に頬を寄せる。


「昔はあんなに怖かったのに……」


 そう、真っ暗で木の葉の揺れる音やフクロウの声が怖くてびくびくしながら夜の森でうずくまっていたのだ。……そんな時にアシュレイが来たのだ。


「誰かと思ったら……」


 そう、そう言いながら。マイアは懐かしくて薄く微笑んだ。


「マイア……なんで……」

「……ん?」


 マイアは瞑っていた目を開けた。そこには、思い出の中のアシュレイではなく……本物のアシュレイが立っていた。


「アシュレイさん……」

「マイア……」


 二人は目を見開いたまま見つめ合った。アシュレイはなんだか少しやつれた感じがする、とマイアは思った。


「……その格好は?」

「え、あ……」


 一方でアシュレイはマイアがドレス姿で森にいることに驚いていた。マイアの薄青のドレスは月の光を受けてキラキラと輝いている。


「あの……パーティの途中で……」

「駄目だろう、抜け出しては」

「そうなんですけど……」


 違う、こんなことを言いたくて森まで飛んできた訳じゃない。マイアが俯くと、アシュレイは急に慌てたようにマイアの肩を掴んだ。


「なんだ? 何かパーティで嫌なことでもあったのか!?」

「えっ」

「誰だ! 言ってみろ、こてんぱんにしてやる」

「違います! 違いますったら!!」


 マイアは大変な剣幕で怒り始めたアシュレイを見て慌ててその手を押さえた。


「……ふふふ」

「なんだ」

「やっぱり、アシュレイさんは優しいです」


 いつだってマイアを守ってくれるアシュレイ。一番にマイアのことを考えてくれるアシュレイ。マイアはそんなアシュレイがやっぱり大好きだ。


「あの……どうしてもアシュレイさんに言いたいことがあって来ました」

「言いたいこと……?」


 マイアは一歩アシュレイから離れて、大きく深呼吸した。


「アシュレイさん、私……アシュレイさんが居ないと駄目みたいです」

「え……?」

「前は街で見るもの触れる物、みんな珍しくて楽しかったのに、今はアシュレイさんが居ないと思うとちっとも楽しくないんです」

「それは……そのうち……」


 慣れるさ、とアシュレイが言う前にマイアはアシュレイの胸の中に飛び込んだ。


「私、アシュレイさんと一緒にいたいです。なんにもいらない……ずっとこの森でアシュレイさんと……」

「マイア……」


 アシュレイはしがみついているマイアの背中をそっと抱きしめた。


「駄目なのは俺の方だ……」


 マイアはティオールの街で元気に暮らしていると思っていた。そしてそれに自分が干渉してはならないと、必死に我慢しているところにマイアが飛び込んで来た。アシュレイにとって愛しい、ただ一人の存在のマイアが。


「お前が大事だから街にやったのに……台無しじゃないか……」

「アシュレイさん、それって」

「俺だって、お前が居ないと駄目だ。もう……元の暮らしになんて戻れない。マイア……お前に側に居て欲しい」

「アシュレイさん……」


 マイアの眼から一筋涙がこぼれる。ああ、アシュレイも同じ気持ちで居てくれたのかと。ならば伝えないと。とても恥ずかしいけれど。


「私、あ……あい……」


 マイアが顔を赤らめながら震える声で思いを伝えようとすると、アシュレイはその唇を人差し指で制した。



「俺に言わせてくれ。マイア……愛している」

「私も……愛しています」


 マイアとアシュレイは見つめ合った。言葉にしてしまえば、こんなに簡単。だけど随分遠回りした。あまりにお互いが近すぎて、互いに一緒にいるのがあたりまえ過ぎて。


「……マイア」


 アシュレイは彼女を抱きしめたまま、そっとマイアの唇にキスをした。マイアはそれで頭がどうにかなりそうだった。腰をぬかしそうなマイアをアシュレイは抱き上げた。


「マイア、さっき何にもいらないって言ったな。それはいかんぞ」

「え……」

「マイアが街で得たものはマイアのものだ。それを奪ってまで俺はマイアの側に陣取りたくない。魔道具作りも友人も大事にしろ」

「あ、あれは……勢いというか……」


 マイアはしどろもどろにそう答えた。


「それで楽しそうなマイアを見るのが俺は好きなんだ」

「ありがとう、アシュレイさん」


 マイアはアシュレイの首にしがみついた。もう離れたくない。


「マイア……これは贈り物だ」


 そんなマイアを抱いたまま、アシュレイは顔を上げた。その紫紺の瞳がうっすらと輝く。すると空に、銀色の花火の幻影が森を覆いつくさんばかりに上がった。ランブレイユの森が昼間のように輝く。その光は森はもちろん、ティオールの街からもよく見えた。


「綺麗……」


 マイアは、一生その光景を忘れないと思った。


「アシュレイさん……大好きです」

「……ああ、俺もだ」


 アシュレイは微笑んで、もう一度マイアにキスをした。――この森で、ずっと二人で暮らす誓いのキスを。

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