第95話 マチルダ・ロキシール

「絶景かな……」

 俺がドラゴンの背に乗って、凄まじい風を浴びながら遥か下に見える森を見下ろしていると、凛さんがドラゴンの鱗にしがみつきながら悲壮な声を上げた。

「見ない見えない……」

 怯えるエルフアバターというのはなかなか見られるものじゃない。長い耳がぱたりと後ろに垂れている姿は、いくらイケメンでも――いや、イケメンだからこそ情けない感じがする。

「高所恐怖症か」

 ぼそりと呟くシロさんは、ぱたぱたと獣の耳と尻尾を風に叩かれている。その双眸はいつもと同じく悠然としていて、俺と同じで高いところは平気らしい。ドラゴンの背中は鞍なんてものはないから、ただしがみつくだけだったが、俺とシロさんだけがこの状況を楽しんでいるようだった。

「魔族領って広いな」

 シロさんが広大な森を見回しながら、遠くに見えてきた魔王城らしきものの上で目を留める。

 森の中にそびえ立つ、巨大な石造りの城。その周りにある城壁には、蔦がびっしりと絡みついていて、いい雰囲気だとも言える。

 というか、城壁が城から遠すぎないだろうか。中庭というか裏庭というか、広大すぎる空間があったが、その理由はすぐに理解できることになった。

 ドラゴンとか巨大な生き物が降り立つには、広すぎるなんてことはないからだ。


 意外とゆっくりと地面に降り立ったドラゴンは、ぶるぶると鼻を震わせてから俺たちに背中から下りるよう促してきた。

「ありがとう」

 俺はぱしぱしとその太い首を叩いてから、えいやっとばかりに地面に飛び降りた。続いて、シロさんと凛さんも。

「あー、ぐらぐらする……」

 凛さんは軽く額に手を置きながら、小さなため息をついた。そして、俺たちの視線を受けて気まずそうに笑って続ける。

「高すぎる場所は苦手なんだよ」

「意外な弱点だな。面白い」

 シロさんが笑うと、凛さんの耳が僅かに赤くなった。俺もつい揶揄いたくなって、ぼそりと呟く。

「落ちても死に戻りするだけなのに」

「そんなの関係ないし。考えてみれば、遊園地だって絶叫系は嫌いだった……」

 凛さんが恨みがましい目でそんなことを言っている間に、魔王城の中庭には動きがあった。


「あなた様が魔王様の命を助けてくれた方ですか」

 結構離れているというのに、城の入り口であろう巨大な扉が開くのが聞こえて、そこから低い声が飛んできた。

 そちらに目をやると、分厚い扉のすぐそばに見覚えのある姿があった。以前、大空に現れた巨大なスクリーンの中にあった、ワニだかトカゲだかの顔つきをした、しかしちょっと洒落た感じの服装の魔物である。

 俺たちはちょっとだけ顔を見合わせた後、ゆっくりとそちらへと歩み寄る。

 そして、そこそこ近づいた辺りで軽く頭を下げた。

「薬を渡してもらったのですが、効いたようで何よりです」

 必殺、美少女スマイル。

 俺は精一杯、可愛らしく見えるであろう仕草でそう言ったものの、どうやら吸血鬼の魅力はワニ氏には伝わらなかったらしい。平然とした表情で、彼はそっと頷いて見せるだけだ。

「……あの、それで。少し前に、お礼がどうこうとか……」

 と、俺が続けると、ワニ氏は城の入り口から下りてきた。そこは数十段の階段となっていて、両脇には石造りの柱と物々しい感じの彫刻が置いてある。多分、魔物の彫刻なんだろうが、悪魔のような翼を持った異形の生き物が牙を剥いてこちらを見ている感じのやつ。

 ちょっと、雰囲気があるなあ、と思いながら階段の下で見上げていると、ワニ氏の背後でまた動きがあった。


「待ちかねておったぞ! 娘たちよ!」


 どーん、という音とともに、城の入り口の一部と分厚い扉が吹っ飛んで宙を舞った。ばらばらと石の破片が地面に降り注ぎ、俺たちは思わず腕で顔を庇う。

 何となくこの後の展開の予想はついた。


「魔王様ー!」

 格好つけて歩いていたはずのワニ氏が、おたおたした様子で背後を振り返り、絶叫する。

 舞い上がった土埃のようなものが消えると、俺たちも腕を下ろして『それ』を見る。

 入り口で倒れている魔王様――幼女の姿である。

「やっぱり、マントが長すぎるのよー! また踏んだじゃないのー!」

 がばりと上半身を起こした幼女が不満げにそう叫ぶのと同時に、ワニ氏が額に青筋でも立ててるんじゃないかと思えるくらいの勢いで声を上げる。

「修繕班ー!」

 すると、城の中からワニ氏と似たような体系の魔物たちが姿を見せる。顔立ちはワニ氏と同じくトカゲに似たものだったり、獣人と思われる姿。彼らは白いシャツにマントといったきちっとした格好で、壊れた壁に近寄ると魔法だか魔術だかであっという間に直していく。

 俺たちの背後では、ドラゴン氏も呆れたように静かにそれを見守っている。


「よし、改めて」

 よいしょ、と立ち上がった魔王様は、俺たちを見下ろしながら長いマントを振り払うように右手を格好良く上げた。「我が魔王である! お主が届けた薬は誠によく効いた! 大儀であった!」

「えーと、ありがとうございます?」

 俺は困惑しつつ、そう言っておく。幼女のその口調、似合ってないし。偉そうに見えるように言っていると解る、わざとらしさがある。

 ワニ氏もどこか疲れたように額に手を置いて、魔王様のさっきの失態を忘れようとしているようだ。ぶつぶつと何か口の中で呟いていたが、それは小さすぎて俺たちの耳には届かない。

「お主たちには礼を取らすつもりで呼んだのだ」

 えっへん、と胸を張る魔王様だったが、身体が小さいせいか威厳というものを全く感じない。「何でも望むものはあげ……じゃなかった、くれてやるつもりなのだが……そういえば、お前たちは正確に言えば人間ではないのだな?」


 そこで俺は目を細めて幼女を見つめる。

 魔王様も、そして気を取り直したらしいワニ氏も、少しだけ興味深そうにこちらを見つめているのが解る。

 だから、俺は手っ取り早く訊いてみた。

「マチルダという人にこちらの世界に呼び出されたんですが、それをご存知ですか?」

 魔王様もすぐに頷いた。

「もちろん、知っておる! 教えてもらった!」

 ――誰に、と訊かなくても解る。

「教えたのはマチルダという人ですよね?」

「んん? マチルダは『人』ではないぞ?」


 それは知っている。

 というか。森の奥に住む魔女、クリスタが教えてくれた。マチルダというのは『魔王』。別の世界に飛ばされた元・魔王なのだ、と。

 しかし、それを疑ってしまっている俺がいる。

 目の前にいる幼女が新しい魔王だとして、正直なところ――そこまで強いと感じないのだ。いや、新しい世界を作る神様のようには思えない、という意味で。

 次元を超えて地球という世界にマチルダ・シティ・オンラインを作り、俺たちをこちらの世界に呼び出した。元、でしかない魔王がそれだけの力を持っているなら、現在の魔王がそれを超える力を持っていてもおかしくはない。

 だからこそ、俺は疑う。

「本当は、マチルダという女性は神様なのではないですか?」

 そう疑っていることを言葉に出すと、幼女が困惑したように首を傾げた。

「神様?」

 ふと、幼女が苦笑する。「アレが神様とは」


 そして、修繕された城の入り口から、呆れたような声が飛んできた。

「あら、随分と評価して貰えているみたいね」

 その声の方へ目をやると、長い黒髪の女性が立っていた。

 ただし、この世界では似つかわしくない格好で。

 どこかの会社の秘書ですか? と訊きたくなるような、黒いスーツに白いブラウス、黒のストッキングに黒のハイヒール。均整の取れた体つきだから、それがとてもよく似合う。背中を覆うくらいのまっすぐな黒髪であったけれど、何故か髪が先端に行くにつれ、白髪のように真っ白になっている。

 ただそれ以上に、一度見たら忘れられなくなるくらい、凄まじい美女だった。長い睫毛に赤い唇、高い鼻筋と白い肌。年齢は二十歳前後に見えるけれど、きっとそれは見た目だけだろうというのは老成した瞳の輝きが語っている。

 彼女は白い指先で自分の胸元を押さえ、嫣然と微笑んで見せる。

「わたしの名前はマチルダ・ロキシール。このロキシール魔族領の元・魔王であることに違いないわ」

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