第93話 凄い美人
「……難しい問題ですが」
長い話が進むにつれ、ギルド長の顔は先ほどまでの上機嫌さが消え、代わりに苦渋の色が強くなった。彼は薬師のガブリエルが座っていた場所に入れ替わりに腰を下ろし、やがて深いため息をつく。
その背後に立ったガブリエルも、ミカエルやセシリアのこれまでにあったこと――神殿にまつわる疑惑、フォルシウスの外にある森の中の『餌場』について語っていくと表情が強張っていった。
「放置はできないと我々も考えているのです。だから、こちらも秘密裏に探らせていました」
ギルド長の口調もすっかり改まってしまった。
まあ、セシリアが見事にミカエルとポチがこの国の王子であると暴露したからでもある。セシリアが軽口交じりに説明したから、多少はギルド長たちの表情も柔らかくなったが、それでも緊張しているのが目に見えた。
「ただ、セシリア様がご存知の通り、ここは神殿の街と呼ばれています。神殿の力が強すぎて、我々も下手に身動きが取れません。ただ……王家が後ろ盾になってくれるというのならば」
「あー、その辺りは大丈夫!」
セシリアは頭上で丸くなっている聖獣の首の後ろを掴んで、ギルド長に見せつける。「こっちには聖獣もいるし、わたしは精霊魔法も使えるし、陛下も強いし、それ以上にそっちの子たちが強すぎるから。神殿の聖騎士たちが何人まとめてかかってきたとしても、楽勝よ楽勝」
じたばたと足を動かす聖獣には気高さの欠片もないし、俺もサクラもカオルも見た目は美形、美少女、幼女。戦力としては心許なく感じるのかもしれない。
ギルド長は低く唸って少しだけ考えこんだ後、それでも王家がバックアップにつけば有利だと結論付けたようだった。
最終的には、お互い協力することを約束してギルド長とセシリアが握手をして終わった。
ソファから立ち上がり、俺たちが応接室から出て行こうとすると、ガブリエルがそっと俺に近寄ってきた。
誰があの薬を調合したのかは明言しなかったものの、彼女は間違いなく俺が『そう』なのだと確信しているようだ。他にどんな薬を持っているのかとか訊いてきたから、答える代わりに俺はアイテムボックスに放り込んだままの薬草を彼女に渡した。
「実は、他の街の薬屋で見てもらうか悩んだんですけど。この薬草ってこのせ……街にもあるわけですよね?」
俺が渡したのは、俺がよく調合で使うリュウノキと呼ばれるやつだ。アイテムボックスの中は時間がとまっているから、採取して随分時間が経っても青々としたままだ。
「リュウノキですか」
彼女の瞳がまたあの文字列で輝いたから、鑑定したんだろう。そしてすぐに、嬉しそうに微笑んで見せる。
「見た目はそっくりですが、これも失われた種からできたものでしょう。止血や鎮痛、化膿止めとしてリュウノキはよく使われる薬草です。でも、このリュウノキは少し違う。これで調合すれば一般的に出回っているものより効果が段違いのはずですよ」
「なるほど……」
「他の街でこれを出されなくてよかったです」
「え?」
「こんな薬草が出回れば、今頃大騒ぎですよ。提供したあなたは一躍時の人ですね」
なるほど。見せるの思いとどまってよかった。
そう俺が心の中で考えていると、ガブリエルはさらに身をこちらに寄せてきた。近い。
「いくら出したら、この薬草を分けていただけますか?」
「え?」
「こんなに素晴らしい薬草があったら、わたしだって調合したくなります。謝礼は言い値で払います。何か欲しいものとかありますか?」
あまりにもぐいぐいくるものだから、俺は思わず後ずさる。女性とはいえ、俺より身長が高いから圧が凄すぎるのだ。
サクラとカオルも興味津々でこちらの会話を聞いているが、基本的に何も言わない。セシリアもポチも同じような態度、ミカエルだけが心配そうに俺を見ている。
俺は少しだけ考えこんだ後、自分の視線が彼女の喉に向かうのを感じた。
「綺麗な喉をしてますね」
つい、俺はそう呟いてしまう。
え、と彼女が困惑したように息を吐くと、俺の背後からミカエルが抱き着いてきた。
「駄目です。それは駄目というか、私の特権なのでは」
ミカエルは察しが良すぎて困る。必死な口調で言ったミカエルの腕を何とか振り払うと、俺は頭を乱暴に掻いた。
だって本音は男性より女性の血の方が美味しいかなって思ったから興味があるわけで。ミカエルの血を飲んで思ったのは、カオルの血とは全然違うってことだ。
何と言うか……アバターじゃなくて本物の人間の方が美味しい。その後の体調の良さも、段違いだ。
だから、ガブリエルみたいな美人を押し倒せるチャンスがあるなら狙うしかないと思ったのに、ミカエルがいる限り無理そうだと肩を落とす。
「何だかよく解りませんが、わたしができることは何でもします。わたしは基本的にこのギルドの奥の調薬室で働いていますので、いつでも来てください。あなただったら大歓迎ですから」
ガブリエルが熱意のこもった声でそう言ってくれたから、俺はそっと頷いて見せた。まあ、期待はしないでおこう。
「へえ、何だかとんでもないことになってるんだね」
凛さんは俺の話を聞いて、感嘆の息を吐いた。シロさんも相変わらず飄々とした感じだ。風があるせいで、彼の毛皮がふわふわと揺れるのが綺麗だと思った。
その日は快晴。気持ちのいい朝の空気。
久しぶりに俺は一人で最初の村、アルミラに寄っている。マチルダ・シティでログインボーナスをもらって、畑で収穫したり色々やったりした後のことだ。
アルミラに寄った目的は、神殿とやり合うことになったらこの二人も一緒に戦ってもらえないかと声をかけることだ。戦力は多い方がいい。
「敵は神殿、かあ。魔物と戦うのとは随分と違うだろうけど、別に私はいいよ」
俺の話を聞いた凛さんは呆気なく頷いて、そっと辺りを見回した。「随分とこの村も安全になったと思うし、ちょっとくらい留守にしても問題ないし」
俺も彼の視線を追ってアルミラを見回すと、まあ……何と言うか、凄いよな。前見た時よりもさらに進化して、ちょっとした要塞かな、ってくらい高い壁ができている。どうやらこの二人、この街が魔物に襲われないように頑張りすぎたらしい。この塀の向こう側には堀もできていて、ちょっとした魔道具の罠も仕掛けてあるようだ。魔物も人間も、襲ってくると手酷い目に遭うだろう。
「俺が行っても問題ないんだろうか」
ただ、シロさんは警戒している。アルミラ以外の村や街に行くのは、相変わらず腰が引けているんだろう。
だから俺は明るく言う。
「ギルドの人たちはカオルによくしてくれてますよ。でも、戦う相手は獣人に対して偏見持ってる奴らばっかりみたいだから、戦うとなったら堂々とぶん殴って憂さ晴らしできますけど」
「いいねえ、やっちゃえ、シロ!」
ばしばしとシロさんの肩を叩く凛さんは、凄く楽しんでいるようだった。何だか前に見た時より、彼の性格は明るくなった気がする。というより、仲良くなったんだろうか。シロさんは僅かに凛さんを睨んだ後、仕方ないと言いたげに笑った。
「解った。必要になったらいつでも呼びに来てくれ」
そう言葉を引き出すことができて、俺はほっと息を吐いた。
「……そういえば、アキラ君」
そろそろフォルシウスに行くか、と考えた頃、凛さんが少しだけ真剣な顔で俺を見た。
「はい」
「魔族領には行った? ほら、魔王様とやらがお礼をくれるとかいう奴」
「あー、そういうのもありましたね」
ばたばたしていて忘れていたが、確かにそんな話があった。
今現在、セシリアたちは国王陛下とやりとりをしながら神殿とやり合う準備を進めている。戦うとなれば怪我人が出るし、俺も暇さえあればマチルダ・シティに寄って調合を繰り返している。
採取した薬草は、少しだけガブリエルにも流している。そのため、フォルシウスのギルド内限定だが、今までよりも質のいい治療薬が出回るようになった。
三峯は魔道具制作をしている人間のところに入り浸っていて、そろそろ神殿への魔道具の納品が全て終わるんだとそわそわしている。
色々と一気に事態が動き始めそうなので、下手に俺も動けなかったんだが。
「少し前からさ、魔王様を助けたのは自分だ! って言って、何とか報酬をもらおうとしている不届きものがいるらしいよ」
「マジか」
「でも、嘘だとバレて追い返されてるみたいだけどね」
凛さんの言葉は、まあ、予想の範囲内ではあった。でも、俺がもらえるかもしれない謝礼が誰かに奪われるのは納得がいかない。
そして、凛さんは少しだけ首を傾げながら続ける。
「追い返されなかった人間もいるとか……まあ、それはただの噂に過ぎないけど、でも」
「でも?」
「それを見たっていう人の話では、魔族領に入ったのは凄い美人だったんだって。一度見たら忘れなくなるような」
「美人」
それは……俺だって見てみたいけど。
でも何となく心のどこかが引っかかる。それはどうやら、凛さんも同じのようで。
「マチルダっていう人、凄い美人らしいよね」
彼の言葉に、俺もつい頷いてしまう。
そして唐突に思う。
マチルダと会っておいた方がいい。何とかして会わないといけないんだ、と。
「それで、アキラ君。もしも大丈夫なら、なんだけど」
ふと、その凛さんの声で我に返る。笑顔での言葉なのに、どこか緊張感がある感じだ。
「何ですか?」
「もし、魔族領に行くなら一緒についていってもいいかな? もしもマチルダっていう人に会えたら、少し……話ができたらって思ってるんだけど」
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