第79話 言っちゃえ言っちゃえ
階段の方へ心残りがありそうな三峯の服の袖を掴んだまま、俺はじりじりと後ずさりする。どうも三峯は好奇心が強すぎる。危険だと解っていても、せっかくここまできたんだから少しだけでも階段を覗き込みたいと考えているようだった。
「好奇心は猫を殺すんだぜ」
俺が必死にそう言うと、三峯は「カオルも連れてくるべきだったか」と冗談めかして笑った。それに、俺の後ずさりに抵抗して階段の方へ身を乗り出している。
「階段なんか見るより聖女様の部屋を探す方が有意義だろ」
そう意識を別のところに向けさせようとすると、単純な三峯はぱっと顔を輝かせた。
「そうだな! よし行こう、今すぐ行こう!」
チョロい。
俺は小さく息を吐きながらも、ほっとした表情をしたんだろう。三峯が少しだけ気遣うように俺を見て、「大丈夫か」と声をかけてきた。
伸びた犬歯を消すこともできないし、頭がくらくらする。
気づくと三峯の喉に向かってしまう俺の視線にも気づいたんだろう、だんだん彼の表情も冴えないものにと変化する。
そして結局、俺たちはそこで神殿内から撤退することに決めたのだった。
「こういう風になるの、初めてか?」
三峯が元来た廊下を戻りながら言う。酔っぱらったような千鳥足の俺を、さりげなく庇うように支えてくれるのがありがたい。
「ない。空腹が我慢できなくなることはあるけど……さっきの血の匂い、何か変だ」
「んー、ちょっと気になるな」
「やめとけよ?」
「一人では見に行かないって」
三峯が苦笑しながらも少しだけ躊躇い、思い切ったようにこう訊いてくる。「お前、いつも誰の血を飲んでんの? サクラちゃん?」
「カオル」
「んー、まあ、見た目が幼女だからアリかな」
「いや、むしろ幼女だから犯罪的な感じがする。だから申し訳ないと思ってるし、罪悪感はあるぞ? 吸血鬼アバターの欠点ってこれだよな」
俺は石床を見下ろしながら、またため息をこぼす。
魔人も猫獣人も、他人に迷惑をかけるような習性を持ってはいない。天使アバターの三峯だってそうだ。狼男のシロさんも、エルフの凛さんも、少なくとも人間を傷つけることはないはずだ。
「王子様はどうなん?」
「え?」
「ずっとカオルの血を飲むのか? あの王子様と結婚するならその辺、伝えておかないと」
「結婚しねーっつの」
「いや、時間の問題だと思うけどなあ」
「それに、言えないだろ、こんなの」
俺は横目で三峯を睨む。彼もにしし、と変な笑い声を立てた後に何か言おうとして。
ふと、前方に人間の気配を感じて足を止める。
どこかの部屋から出てきたらしい複数の足音がする。
「……こういう場合、バカップルのふりをしてやり過ごすってことができないから、神殿って場所は面倒だよな」
三峯が俺の耳元で小さく囁き、俺が何か返す前にまた抱きかかえられて天井辺りへと移動するわけだ。
だが、急に俺の胃が暴れる。
気持ち悪い。
やっぱりこれ、酔ってる感じがする。飲みすぎて今にも吐きそうになってる感じの――悪酔いの後の感覚だ。
三峯の右腕でしっかりと抱え込まれているというのに、どこかに落ちそうだと感じてしがみつくと、三峯が「胸が当たってる」と複雑そうな声を上げた。しかし、それに突っ込みを入れる余裕はなかった。
俺はいつの間にか目を閉じていて、廊下を誰かが通り過ぎる気配を感じながら意識を失った。
で、目を開けたら神殿の外である。
意識が飛んでいたのはそれほど長い時間ではなかったようで、三峯が俺を荷物のように抱えながら夜道を歩いているという状況。
人通りが多い道なので、やっぱり俺たちは少しだけ他人の目を引いているようだ。まあ、カップルのいちゃいちゃだと誤解しているような、生暖かい視線がほとんどだったが、むしろその方が俺の心に突き刺さる。
「あ、ごめん、降りる」
そう言って三峯の肩を軽く叩いた時だ。
聞き覚えのあるミカエルの声が遠くから飛んできて、その方向へ目をやると眉間に皺を寄せて難しい表情の彼が走ってこちらに向かってくるのが見えた。そのすぐ後ろからアルトも走ってきていて、俺たちの様子を見て困惑しているようだった。
「怪我でも?」
ミカエルが俺の顔を覗き込んだ瞬間、三峯が問答無用で俺をミカエルに押し付ける。え、と声を上げる暇もなく、俺はいつの間にかミカエルに抱きかかえられる格好になっていて、思わずばしばしとミカエルの腕を叩いて『下ろせ』と意思表示した。
まあ、無視されたけれど。
「顔色が悪いですね? 気分が悪いんですか?」
「……怪我はしてないし、歩ける。大丈夫」
敬語を使う精神的な余裕もなく言うと、ミカエルは首を横に振ってそのまま歩きだした。もちろん、三峯の喫茶店へと向かう。
「そこそこ、お客さんが入っていたみたいですよ」
後ろを歩く三峯に、アルトがそう声をかけているのが聞こえる。
「え、大丈夫だった? 何も問題なく営業できていた感じですかね?」
「大丈夫でした。あの、サクラという男性が……凄く、女性に対して頑張ってまして」
「あー」
「カオルという猫獣人も……その、女性の連れの男性に人気で。お客さん同士の多少の痴話喧嘩も見られましたが」
「あー……」
「我が女神、本当にどうしたんですか?」
俺が背後の会話に眉間に皺を寄せていると、ミカエルが心配そうに見下ろしてくるわけだが。
「まず、下ろしてください」
「厭です」
「何故に!?」
「役得という言葉を堪能しています」
「あ、さっきアキラ、金を出せば胸を揉ませてくれるって言ってた! 頑張れ!」
背後からそんな言葉が飛んできて、俺は目を見開いて叫んでおく。
「やめろ! 言うな!」
叫んだせいか、頭がくらくらする。とりあえず必死に暴れてミカエルの腕の中から逃げようとするが、大天使の腕にはさらに力が込められていた。
「……駄目ですよ? 他の男性相手にそういうことを言うのは」
「冗談だし! 揉ませないし!」
「それに」
「え?」
「女神の目と……その牙のような歯はどうしたんです?」
やべえ、と思わず口を手で覆ったが遅かった。
ミカエルは完全に俺の吸血鬼アバターの特徴を目にしてしまったし、それでも心配そうな表情は変わることはなかった。
「そろそろ、全部話してもらえませんか? これでも私、ずっと我が女神の意思で話してくれるのを待っていたんですが……無理そうですよね?」
そう笑った彼に、俺はしばらく「あー」とか「うー」とか曖昧な呻き声しか返せずにいた。
「言っちゃえ言っちゃえ、ゴーゴー! アキラ!」
背後で変な掛け声をかけんな!
俺は三峯の気の抜けるような声に頭痛を覚えつつ、今日で一体何度目だろうかと思えるため息をこぼすのだ。俺の幸運が逃げていきそうなほど、ため息ばかりの一日だった。
「神殿で何があったのかは俺から皆に説明しておく」
三峯がアルトと並んで歩きながら、そう静かに続けた。俺が何とかそっちの方へ目をやると、三峯は困ったように首を傾げて続ける。
「だからさ、ちょっとは腹を割って話してこいよ。こっちの世界で生きていくなら、必要なことだと思うぜ?」
そうだろうか。
でも三峯はそうなんだろう。この男は、この世界で生きていくことを選んだ。だから、地に足を付けて生活できるように店を持った。こちらの人間との接点もどんどん増やしていっている。
じゃあ、俺は?
こちらの人間と接点はできた。ミカエルもセシリアもアルトもいい人間だと思う。信頼できるから、こうして一緒にいる。
「……自分で歩けます。このままだと目立ちますし……その、ゆっくり歩きながら話しませんか?」
俺はそう言って、ミカエルに笑いかけた。
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