第53話 離宮とドレス
「おおおおお」
そして今、俺は巨大な姿見の前で腑抜けた声を上げている。
淡い青のドレスは、レースの飾りがついているものの全体的にシンプルな感じ。元々均整の取れた体つきである上に、コルセットとかいう防具を付けた腰回りは折れそうなくらい細い。男だったら抱き寄せたくなるサイズである。
サクラ美容室にやってもらった髪型は、一度ほどかれて結い上げられているが、黒髪に青いリボンとダイヤみたいな宝石らしい飾りまで埋め込まれていて、キラキラ輝く。
露出は少ないものの、シミ一つない肌の白さは惚れ惚れしそうなほどで、つい俺は鏡の前で身体を捻って色々な角度から美少女っぷりを確認した。
そんな背後に立ったのは、可愛らしく『盛り盛り』になった猫幼女である。
幾分、死んだ魚のような目になっている気がするが、存在自体が可愛らしい上に着飾ったのだからその破壊力は半端ない。
レースとリボンたっぷりの子供向けの白いドレスは、ウェディングドレスの縮小版。ドレスの裾はそれほど長くないから、白い靴とそれにつけられた花飾りが可愛い。そして、銀色の猫耳には、それに似合うリボンがつけられている。
「……似合うねー……」
他人事のように呟く俺たちの周りには、やり切った感を出している侍女たちの群れである。急遽どこからか呼ばれたらしい、ドレスの着付け師らしい女性もいる。ドレスのサイズが違えばすぐに修正できるよう、糸やら針やら持ち込んである。
まさに流れるようなプロの手さばきにより、出来上がったのが現状である。
「……女の子って大変だにゃ……」
恐る恐るドレスを掴むカオルの手は、明らかに緊張していて。
そこに、ドアがノックされる音が響く。
「可愛い!」
と、叫びながら部屋に入ってきて、カオルを抱き上げたのがうちの変態魔人である。サクラもどこかのお貴族様ですか、と言いたくなるような黒い服に身を包み、見た目からして高級であろうという白いシャツを着ている。
短い黒髪もセットされたのだろう、軽く後ろに撫でつけられていて、無駄に格好をつけてポーズを取るものだから魅力スキルが暴発しているようなものだ。
「サクラちゃ」
じたばたと暴れるも、床から持ち上げられてどうにもならないカオルはまな板の上の鯉である。
「さすがにこの格好で剣を背負うわけにはいかないね。美意識からちょっとずれるし」
サクラはそう言いながら俺を見たが、すぐにぷぷ、と吹き出した。
おう、俺を見てその反応か。庭に出ろ。
俺がサクラを睨んで口を引き結んでいると、侍女という存在を気にして男口調に徹しながらも、魔人はとんでもないことを続けた。
「小説の中だけかと思ってたけど、やっぱりそうなのかな? ほら、自分の色で好きな人を染めたいとかいうやつだ。アキラちゃんが身に着けてるドレス、青。あの王子様の瞳の色も青。いいねー、この後の展開を考えると」
「ふお!?」
そこで俺が部屋の中をぐるりと見回すと、静かに微笑む侍女たちの瞳にぶつかる。
脱いでいいかな、とドレスの胸元に手を伸ばしたら、すぐに侍女たちによって阻止された。ファッキン。
その後、俺たちはその部屋から出て、廊下を歩く。隅々まで綺麗に掃除された大きなお屋敷、どの扉を開けても華美ではないものの洗練された内装と家具。
「こちらです」
と、案内された部屋の扉を開けて中に入ると、一番最初に目に入るのは中庭が見える大きな窓。部屋の中央にあるテーブルとソファ、用意されていたらしいお茶とお菓子。
で。
ソファから立ち上がったミカエルが、まっすぐにこちらに歩み寄ってくると微笑んで見せた。
「……とても、お似合いです」
いつの間にか、俺の手を取ってキスする大天使。殴らなかった俺を誰か褒めてくれ。慌てて手を引くと、さりげなくもう一度部屋の中を見回した。
ソファにはセシリアが座っていて、お茶を飲みながら手紙を読んでいる。こうしている間にも、侍女たちによって次々に手紙が彼女のもとに運ばれてきて、テーブルの上に積まれていく。
アルトは窓の近くに立ったままで、微動だにしない。置物のようだ。
「どうぞ、こちらへ」
と、ミカエルは俺たち三人をソファの方へと誘う。
まあ、履きなれていないヒールのある靴だから座るのは大歓迎だけれども。正直、もっと楽な格好で胡坐をかいて座りたかった。
もう、こっちの世界でジーンズを作って流行らせようぜ。ドレスなんか、成人式に着るだけでいいじゃないか。女の子だってシャツにズボンで出歩くのが許される、そんな世界を作りたい。
きっと、そういう異世界転生した人間のスローライフ生活だってどこかにはあるはずだ。
なんてことを考えているのは現実逃避だと理解している。
目の前のテーブルの上のキラキラした光景は、ちょっと別世界すぎて困惑する。
「足りないものはないか、送った花は気に入ったか、珍しい書物が手に入ったので送る、元気か、代り映えしない手紙で何よりだこと!」
唐突に、セシリアが読み終わった手紙をテーブルの上に放り投げ、イライラしたように雑な動きで焼き菓子をつまむ。
どうやら陛下とやらからの手紙らしいが……不仲なんだろうか。
彼女は口の中のお菓子をお茶で流し込むと、ソファから立ち上がって近くにいた侍女――豪華なドレスから着替えた女性、確かヘレナといっただろうか――に何やら命令しているようだった。そして運ばれてきたのは、木箱に入った高級そうなレターセットと羽ペン。
とても王族……いや側妃? と思えない仕草で、テーブルの空いたスペースで短い文章を書き殴ると、封筒に入れて封をする。魔法で出した火で蝋を炙り、手紙の上で指輪を使って圧迫して閉じる、という時代がかった流れである。
封蝋ってやつか、とまじまじ見つめている俺の視線を気にした様子もなく、彼女はその手紙を頭上にいた丸い生き物――聖獣とやらに咥えさせ、窓を開けてぽいっと外に投げた。
雑!
何もかもが雑!
聖獣はくるんと身体を回転させて地面の上に降り立つと、いきなり巨大化した。
ふわふわのぬいぐるみが、立派な角の生えたイケメン狼に変身した、といった感じでテンションが上がる俺。巨大な狼は、軽い跳躍で庭からあっという間に消えてしまい、もうどこにもいない。
カオルもサクラも、驚いてそれを見送ったけれど、大天使ご一行様は通常運転である。何事もなかったかのようにお茶を飲みだしてくつろいでいた。
「今、あなたたちの部屋を用意させているの」
やがて、セシリアが俺たちの顔を見回してそう言った。「出かける時は言ってもらえたら、わたしが同行する。だから、行きたい場所にだって一瞬で到着できるし便利よ? 精霊魔法、使い惜しみなんてしないから好きなだけ言ってちょうだい。恋人たちの甘い時間を演出するような夜の庭を作ることだって簡単よ簡単」
「は?」
「え?」
俺とカオルが同時に声を上げたけれど、サクラは「ふうん」と言いながらカオルを抱き寄せている。そろそろカオルは抵抗することを諦めたようだ。見た目だけで言うと幼女にいたずらをする『事案』なのだが、侍女たちは心得たもので、普通に温かく見守っている。
「まあ、今日はのんびりしましょ? 馬鹿息子の呪いなんか、放っておいてもいつか治るかもしれないし! この辺りは魔物も出ないくらい平和なところなんだけど、観光するのもいいでしょ」
セシリアは結構、とんでもないことを言っているが、当のミカエルも笑顔でそれを受け入れている。呪いを放っておいてもいいなんて言われているのに、いいのか、それで。
俺は自分のマップをこっそり確認する。
今いるこの屋敷は『レジーナ』という村にあるらしい。マチルダ・シティの入り口、最初の村のアルミラ、次の街ユルハ、これまで滞在していたナグル、これらはそれほど離れてはいない。
ロキシール魔族領の地図が新しく出現していたが、それは俺たちが進んできた方向とは全く逆の方。おそらくだが、消えた村のヨウコというのは魔族領に近い位置にあったんだと推測される。
そして、このレジーナという村はマチルダ・シティから果てしなく遠く離れた場所にある。
ナグルから北上しようとしていたのに、ぽっかり地図が抜けてしまっているから、ここはできるだけ早く探索すべきだろう。
俺、ゲームにおいても地図は完全に完成させないと気が済まないタイプである。夜中、こっそり抜け出してみようかとも考えてしまう。
そういや、王都とやらはどこにあるんだ。このぽっかり空いた場所のどこかだろうか。
俺がお茶をすすりながらそんなことを考えていると、ドアがノックされて侍女が入ってくる。彼女は手に手紙を持っていたが、それはセシリア宛じゃなくてミカエル宛だったらしい。
「手紙をお預かりしております。ずっとこの村に滞在されていらっしゃいますが、どうなさいますか」
それを受け取ったミカエルは、その署名を見て眉根を寄せた。手紙は何通もあったが、どれも同じレターセットと封蝋のようだから送ってきたのは一人だろう。
「……モテる息子で何よりだけど」
ミカエルを見たセシリアは、目を細めて軽く睨みつける。その言動から察するに、女からの手紙、もしくはラブレターか。よし、その女に頑張ってもらおう、と俺は口元を緩ませた。
「私は何とも思ってないし、相手も……多分、罪悪感からくる感情だろう」
そう小さく言ってミカエルはため息をこぼし、助けを求めるように俺を見た。そんな目で見られても、と目をそらす俺。お茶が美味い。お菓子も美味い。
「私は留守だ」
やがて、ミカエルは笑顔で言った。「当分留守だ」
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