第5話 運だよ、運
イベント当日、午前十時から闘技場の特設ページは開く。
日曜日だから、大学は休み。俺はイベント開始時間の前から、ヘッドセットをつけてマチルダにログインした。
時間まで適当にマチルダ・シティの中を歩く。ヘッドセットの中に映し出される世界は、とにかく美しい。バーチャルリアリティもここまできたんだな、って思うくらい、何もかもが現実味を帯びた光景だった。
たくさんのユーザーが集まる大広場は、いつだって賑やかな音楽が流れていたし、誰もが知り合いのアバターとボイスチャットをしているせいで、いかにも『都会』というか、シティの中心だ。
派出な建物が立ち並び、色々なところに彫刻が立てられている。その傍にはユーザーのアバターが座って会話できるテーブルセットもたくさん並んでいた。
ちょっとだけそこでぼんやりと辺りを見回していると、視界の下にチャットのメッセージウィンドウが開いた。
『アキラ、どこにいんの?』
カオルがパソコンのキーボードでメッセージを打ち込んでいるらしい。俺が軽く手を上げ、メッセージウィンドウの傍に現れた平面のキーボードを操作して返事を出す。
『大広場にいるよ』
『俺は闘技場に行くから、そこで待ち合わせな』
『了解』
そこで俺はキーボードを指先でスライドし、『収納』した。すると、メッセージウィンドウも消える。
そして、改めてマチルダの地図を呼び出し、闘技場のアイコンをタップしてそこに移動する。
移動は簡単。
あっという間に俺の前には闘技場のフロアが現れる。
通常の闘技場へと続く巨大な扉は開いていて、そこに入っていくアバターも多い。でも、今日はイベント専用扉ができているから、その前にもうすでに大人数のあばたーが立っているのが見えた。
『こんにちは』
俺もイベントの扉の前に立つと、近くにいた男性アバターが声をかけてくる。これはボイスチャット。直に俺の耳に届く声は、やっぱり彼のアバターに似合う声優の魅力的なものだ。実際に発音した声を、勝手にマチルダの機能が声優のものへと変換してくれる。
それにしても、キーボードを操作しなくて済むのは、やっぱり楽だ。
『こんにちは』
一応、声をかけられたから礼儀として返事はしておく。
すると、目の前の彼――金髪の騎士アバターの彼はにこりと笑って続けた。
『吸血鬼アバターってなかなか見ないよね? 過去ガチャ?』
『えー、はい、そうです。モンスターガチャっていうのがあったんです』
『そうかー。俺、最近始めたばかりだからよく解らないんだよね』
初心者か、と俺は頷いて見せた。
何しろ、騎士というのはガチャから出やすく、レア度は低い。身に着けている鎧も剣も煌びやかで美しいが、耐久度で言えばかなり難があると言える。せめて剣だけでも強い武器であるならいいのに、彼のものは――言わぬが花だろうか。
『周りを見てると皆強そうだよね』
苦笑しながらぼりぼりと頭を掻く彼。アバターだから解りにくいが、どうやらシステムに慣れていなくて困惑しているんだろうと見て取れた。
『賞品が焼肉とガチャ券ですからね。皆、本気を出してくると思いますよ』
『そうなんだ』
騎士はさらに何か言いかけたけれど、ちょうど俺の背後辺りから別の声がかかった。
『アキラちゃんじゃね? 吸血鬼アバターでそれって、そうだよね?』
振り向くと、全く知らない男性アバターが手を上げてこちらを見つめていた。どうやら彼もモンスターガチャでアバターをゲットしたらしく、背の高い狼型の獣人の格好をしていた。もふもふの耳、銀色の瞳。立派な尻尾。尻尾だけでもいいからモフりたい。
対してこちらは吸血鬼美少女。そして、目立つ銀色のナイフを――ミニスカートの下、左の太腿のところにナイフホルダーと一緒に着けていた。ちょっとエロくて可愛いこれ、先日の動画で紹介していたから、見覚えのあるユーザーがいてもおかしくなかった。
『え? もしかして君って有名?』
騎士が困惑した声を上げた瞬間、俺たちの前に小さい塊が現れた。銀色の猫アバター。
つまり。
『お待たせにゃ!』
カオルがノリノリで小さな躰を揺らしつつ、右手を高く上げてアピールである。小柄だから可愛いけど。
『にゃって何だよ』
俺が思わずそう言ったが、すぐにカオルは俺の手を掴んで歩きだした。
『ごめんにゃ! 友達だから連れていくよ!』
『え』
『残念』
背後にそんな声を聴きつつ、俺は闘技場の隅へと連れていかれた。そして、カオルが俺を見上げながら小声で言う。
『何、ナンパされてんの』
『やっぱりナンパか。めんどいな』
『初心者と下手に仲良くなると、アキラは色々プレゼントしそうだし、やめとけ。一度やったら、ずっと続くぜ?』
『うーん』
言われてみると、確かにその通りではある。俺のアイテムボックス、結構色々なもので埋め尽くされているから、断捨離ってやつでちょっとくらい誰かにプレゼントしてもいいんだが……確かにきりがなくなるような気がした。
『ああ、いたいた!』
そこに、サクラも合流した。遠くから俺たちの姿を見つけ、周りにいる女性アバターたちをかき分けてこちらに走ってくる。
相変わらず、イケメンアバターは女の子にモテる。動画を配信していることもあって、中身は女だとバレているんだろうに、何だか男装の麗人みたいな扱いをされているようだ。
『そろそろ始まるね』
サクラがイベントの扉の方へ目をやりつつ、わざと髪の毛を掻き上げる。すると、遠くからこちらを見ていた女の子アバターがきゃいきゃい騒いだ。
何だコレ、妹モテすぎだろ。俺なんか、女の子と付き合ったことないのに!
俺だってイケメン魔人アバターだったらチャンスがあったのかもしれないのに。
そんな複雑なことを考えていたら、ちょっとだけムカムカしてきた。この苛立ちをイベントにぶつけよう、と考えていると。
『戦略ある?』
カオルがそう問いかけてくる。
今回のイベントは、今日の深夜零時まで十回チャレンジできる。
一対一の対戦スタイルで、必殺技でコンボを重ね、得点数を上げていく感じのものだ。この必殺技も、やっぱりレア度が高いと得点数も上がる。
闘技場へ行ったら、まずは戦闘待機ボタンを押し、対戦相手とのマッチングを待つ。
そして、ランダムで選ばれた相手と戦うわけだ。しかし、ランダムとはいえ、似たような戦闘力の相手から選ばれるようで、強い奴と初心者がぶつかるというのは少ないと思う。
だから、それなりにいい試合になる、と思うんだが。
まあ、上位を狙うならできるだけ弱い相手とぶつかりたいものだ。
無理だろうけど。
『戦略なんか立てられないだろ。対戦相手は運だよ、運』
俺がそう言うと、サクラが苦笑した。
『運で言うなら、お兄……アキラちゃんには敵わないな』
ボイスチャットは他人には聞き取りにくく設定されているとはいえ、誰がこちらの会話を聞いているか解らないからか、わざとサクラは俺の呼び方を変えた。
……ええと、俺も口調を女の子らしくした方がいいのか?
俺は少しだけ悩んだものの、敬語を使ってりゃ大丈夫だろうと結論付けた。
そして、開き直ってイベントに参加したわけだ。
どんなアバターにも、初期設定として勝った時の決め台詞というのが存在する。こちらが言おうと言わまいと、勝手にボイスが言ってくれる中二病みたいなセリフ。
『あなたの血は最高だわ』
と、吸血鬼美少女アバターの俺、戦闘に負けて地面に伏した男性アバターを睥睨する。そして、手にしたナイフを格好よくナイフホルダーに収めつつ、ツインテールを揺らす。
やべえ、現実の世界で言ってみたいわ、これ。恥ずかしいから言えないけど。でも一度くらいなら。
と、ある意味やばいことを考えていたら、本当にそうなったとはこれいかに。
魔人アバターのサクラは、俺よりもっと突き抜けている。開き直った俺の妹は、まさに魅力でもチート。必殺技も派手で、決め台詞も無駄に格好いい。っていうか、声優に恵まれすぎだろ。あの渋い声で『こいよ』とか言われたら、男女問わずサクラのプレイに見入るだろう。
カオルは――うん、マグロを振り回していて格好いいね。通常は、腰にあるナイフホルダーに小さい魚が差さっている。技を出したときだけ、魚が巨大化して武器となる。
それを振り回しつつ――。
『マグロはやっぱり大間産』
とか言うのやめろ。
うん、猫だから可愛いけど、どちらかと言うとお笑い枠である。お疲れさま。
そして、早々に十戦を終えた俺たちは、見事にランキングのトップの方に固まっていた。やっぱり俺は運が強いのか、対戦相手はそこそこ強いけどいい感じの必殺技は持っていないようだった。だから、ちょっと邪魔すればコンボも途中で途切れてくれる。
その代わり、俺は余裕を持って戦えたからコンボを繋げるのも楽だった。だから、考えていた以上に点数が稼げたんだ。
だから。
夜中までに俺たちより点数を稼ぐ奴が出てこなければ、きっと高級焼肉セットに手が届く。
『いえー』
『にゃー』
『お疲れ様ー』
俺たち三人、アバターのままハイタッチして、自分のホームへと戻る。そして、また深夜にログインしようと言って、それぞれテレビを見たりご飯食べたりお風呂に入ったりして――。
マチルダにログインしようとして、俺は自分の部屋に戻ったと思う。パソコンの画面を目の前にして――。
だが、その後の記憶がない。
一体、何があったんだろう。
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