青春短し、恋せよ乙女――ただし人狼の。

二式大型七面鳥

一万字短縮版 青春短し、恋せよ乙女――ただし人狼の。

――だって……気付いちゃったんだもの……――

 午前八時。通学中の、校門の前。

 あたし、蘭馨あららぎ かおるは、気付いてしまった。前から感じていた、その気持ちに。

「……ランちゃん?」

――山田君……あたし……――

「蘭ちゃん?蘭ちゃんってば?」

――あたし、あなたに……――

「シカトこいてへんと、蘭ちゃんってばさ」

 唐突に、あたしの目の前で、星が散った。


「目ェ醒めたか?」

 手加減抜きのハイキックを顔面にモロに食らい、鼻っ柱を押さえてうずくまるあたしに、親友にして悪友の昴銀子すばる ぎんこが声をかけた。

「みんなの迷惑やさかい、校門の前で立ったまま寝とったらあかんで?なあ?」

――この、ドクソアマ……――

 ツーンと、独特の痛みが走る鼻を押さえたまま、あたしは、腹の中で悪態をつく。

「ほらほら、お銀ちゃんも蘭ちゃんも、油売ったはったら遅刻しますえ」

 そんなあたしの様子を見ても全く意に介せず、はんなりと言ってのけて、親友にして悪友その2の八重垣環やえがき たまきが通り過ぎる。

「せやな、さっさと学校行かな」

「……あんたたち……酷くない?」

 まだ傷む鼻を押さえつつ、あたしは立ち上がる。涙でにじむ視界の中、銀子と環は振り向きもせずに校門をくぐって行った。


「で?朝は何考えて突っ立ってたん?」

 昼休み。校庭の隅で弁当を広げつつ、銀子があたしに聞いた。

「何って……」

 ちょっと恥ずかしくて、体育座りのあたしは口ごもり、自分で作ったお弁当を箸でつつきながら、答える。

「……山田君、の、事……」


 あたしは、蘭馨あららぎ かおる。身長は百七十センチ、高一の女子にしてはかなり高い方だってのは知ってる。

 あたしの前に居るのは、昴銀子すばる ぎんこ。関西出身。身長はあたしよりさらに高い百八十センチ。木陰でクッションの上にしゃなりと横座りになっているのが八重垣環やえがき たまき、この子も関西出身。身長は百六十センチ。

 あたし達三人は同じクラス。多分、先生達は、わざとそうしたんだと思う。何故そう思うかというと、あたし達には共通する特徴があるから。

 それは、髪の色。

 あたしの髪は、栗色。銀子は狐色、環に至っては、白い。もちろん、染めたり脱色したりしてるわけじゃない。あたしも銀子も地毛だし、環は髪以外も白いし、目は紅い。

 そんな、普通の娘と見た目で違いのあるあたし達だから、先生達は同じクラスにかためたんだと思う。そんなあたし達は、入学式のその日に、その場で友達になった。

 だって、あたし達には、見た目以外の共通点があったから。


「山田って、ヤーマダ君の事?」

 自分のお弁当をつまみながら、銀子が聞き返す。

「ヤーマダ君の事て、もしかして、隅に置けへん話どすか?」

 環が質問を重ねる。あたしは、箸を咥えたまま、頷く。

「まあ……」

「うっわー、ランちゃん、そうやったん?」

 もう一度、あたしは頷いて、ペットボトルのレモンティーをがぶ飲みする、景気づけに。

「……だって!」

 顔を上げて、あたしは力説する。

「しょうがないじゃん!好きになちゃったんだから!」

「……蘭ちゃん……」

 あたしの勢いに押されたのか、銀子が、呟くように静かに言った。

「……お茶、握りつぶしとぉで」

「……あっ……」


 山田君、山田江南えなみ君を初めて見かけたのは、やはり入学式の時。見るからにハードロック系で、あたしよりちょっと背が高くて痩せ型。

 学校が始まって少しして、銀子がバンドやりたいって言い出して、校内の掲示板にメンバー募集の張り紙出したら何となくメンバーが集まって、その中にその山田君が居た時は、ちょっとびっくりした。

 で、入学してから二ヶ月。

 あたしは、山田君を意識している事に、最近、気付いた。


「……で。そのヤーマダ君のどこが、そない気にいってんねんな?」

「どこって……」

 真正面から聞かれて、あたしはちょっと、戸惑う。

「……って言うか。一目惚れ、なのよ……」

「……はい?」

「あたしね、自分でも考えてみたんだけど」

 あたしは、潰れたペットボトルに残ったレモンティーを飲み干してから、言う。

「あのね、多分、入学式で見かけたときからきっと、ゾッコンだったのよ」

「あー、ああ、そうだっか……」

「だって!愛に理由と時間は不要って言うじゃない!」

「誰が言うてん?」

「誰かよ!」

「……誰かが、フェロモンでも出しとるんとちゃうんかい……」

「何よ!あたしが発情期みたいな言い方しないでよ!」

「あー、春先はイヌネコがさかる・・・時期やねんもんな!」

「……ごちそうさまどした」

 行儀良く箸を置いたたまきが、はんなりと、しかしきっぱりと言い切った。

「二人とも、ケンカはあきまへんえ?」

「……はい」


「まあ、それはおいておいてやな」

 気を取り直して、銀子が話を戻した。

「ホンマの話、どないするつもりやねんな?」

「どうって……どうにもならないけど、せめて、気持ちだけでも、伝えたいなって」

「……って、まさか蘭ちゃん、告白するつもりなん?」

「……うん」

 問いただす銀子に、あたしは、答える。

「告白して、もしOKやったら、まさか付き合うつもりなん?」

 銀子が、重ねて聞く。

「正体、隠して?」

 直球勝負で。一番重要な事を。


 あたし達三人に共通する、「髪の色が黒くない」以外の共通点。

 それは。あたし達が、獣人けものびとである事だ。

 そう。あたし達は、人として暮らしてはいるけれど、けものとしての本性を持った、獣人。

 あたしは、入学式の当日、すぐに気付いた。だから、あたしはすぐに二人に声をかけ、すぐに友達になった。狐である銀子と、白蛇である環と。


「正体は……そりゃ隠すわよ。正体ばらしてメリットある?」

「そらそうやけど。いやな、ウチの言いたいんはそういうんとちゃうねんけど……」

「……初恋なのよ、あたし。多分、これがあたしの初恋」

「いやあの、ランちゃん?」

「あたしは、蘭馨あららぎ かおるは人狼の娘。所詮、同族以外とは、人間とは結ばれない運命……それはわかってるの」

「蘭ちゃん?あの、かおるさん?」

「でも、でもね?あたしも女の子だもん、誰かを好きになるのは止められないわ……銀子、あんただって女の子だから、わかるでしょ?だからね」

「もしもーし?」

「だから、あたし、決めたの」

 意を決して、あたしは宣言する。

「せめて今だけ、せめて気持ちだけでも、伝えようって……」

「立派なお覚悟どすなぁ。うち、応援しますえ」

「……まあ、うちも女の子やし、分からん事もないけどもやな」

 環は応援してくれて、銀子も、半分諦めたみたいな口調で言い足す。

「でしょ!」

 あたしは、恥ずかしいのと不安なのとでドキドキしてた所に同意がもらえて、嬉しくて、安心して、二人を見つめる。

「……あのな、蘭ちゃん、よー聞きや。ヤーマダ君のクラスの娘から聞いた話やねんけどもな」

 眉を寄せた銀子が、低めの声で言う。

「……ヤーマダ君な、イヌ、嫌いらしいで?」

「……は?」


 放課後。バンドの練習用に借用申請した音楽準備室。

「やあ諸君!」

 聞き慣れた、よく通る、ちょっと高めでハスキーな声。準備室の引き戸を開けて、ギターケースを担いだ山田君が入ってくる。

「練習にはげんでいるか、ね?……え?」

 笑顔でそう言った彼の、その笑顔が、動きが、凍り付く。

 次の瞬間。山田君はその場から消え失せた。一瞬遅れて、ギターケースが床に落ち、倒れる。

「何?今の?」

「……江南えなみだったようだけど……あ、ギター置いてってら」

 キーボードの由紀子ユキとベースのダイが、引き戸の外を確認している。二人には、山田君の動きは素早すぎて目にとまらなかったらしい。

「……な?蘭ちゃん見てたか?」

 銀子が、呆然としているあたしに、言う。

「ヤーマダ君、アレ・・見ただけで、あの反応やで?」

 二人に聞こえないよう、銀子は声を潜めている。もちろんあたしには、はっきり聞こえている。

 山田君が見たもの。それは、白くて小さい、生後三ヶ月くらいの、仔犬。あたしには認識出来たけど、由紀子と大には見えていない。銀子にとっては、その程度の幻術は朝飯前だ。

 ああ、そう。山田君、イヌ、ダメなんだ……

 あたしは、ただ呆然と突っ立っていた。なんか、何も考えられなかった。

「やぁ、えらい逃げ足どしたなあ……ランちゃん?顔色、ようおへんえ?」

 環があたしの顔をのぞき込んで、聞いた。

 どうもこうも。

 この瞬間。あたしの初恋は、何一つ進展する事なく、空しく砕け散ったのだった。


「あのなあ……」

 銀子が、あきれた様な、困った様な表情で、言う。

「普通、こないな所で酒盛りやせえへんねんで?なあ?」

「うっさいわねぇ!」

 あたしは、やけになって答える。

「失恋のやけ酒なのよ!どこで呑もうとあたしの勝手よ!いーじゃない!」

 我ながら、ダメだとは思う。けど、呑まなきゃやってられない時ってのもあるのだ。

 ……いや、高校生が呑むのがまずダメだってのは置いておいて。

「よろしやおへんか、お銀ちゃん」

 優雅にコップ酒を傾けながら、環が言う。

「ええお月さん出てはりますさかい、たまにはこないなのもよろしおすえ?」

「そーよ!折角いい月出てるんだから!」

 あたしも、環の言葉の尻馬に乗る。お空の上には、まん丸なお月様。

「これが呑まずにやってられますかってーのよ!」

 銀子の術で見た目を誤魔化して買った安酒をどんぶりであおりながら、あたしは言い切っていた。

「……知らんで、ウチ。たまちゃんと同じペースで呑んだりしたら……」


「あーもう!我慢出来ない!」

 アルコールってのは、要するに脳のブレーキを効かなくするんだって聞いた。この時のあたしは、まさにそれだった、のだと思う。

 やおら立ち上がったあたしを見て、銀子は、

「え?ちょ、蘭ちゃん?何を?」

「あたし、やっちゃう!」

 言い切って、あたしは胸いっぱいに空気を吸い込む。

「まさか、いやちょっと待って蘭ちゃん!アカンて!それはアカン!」

 咄嗟に銀子は印を組んだ。にゅっ、っと、銀子の少し癖のある、ふわりとした髪から狐耳が跳び出す。

「行くわよぉ……」

 二度ほど深呼吸して。

 あたしは、吠えた。


「……アカンて、もぉ……」

 銀子が、あちゃーって顔でこっちを見てる。

「いやぁ、えらい声どしたなぁ」

 ニコニコ顔で、環が言った。あの娘にとっては、こんなの余興でしかない。

「ギリ間におうたからええけど、次からちゃんとウチが空間閉じてからにしてぇな……蘭ちゃん、こら、聞いとるか?」

 銀子が、あたしに釘を挿す。けど、その時のあたしはそれを聞いていなかった。

 あたしはその時、眼下の校庭の一点を見つめていた。

「……蘭ちゃん?どないして……」

 あたしの視線の先を追いながら問いかけた銀子の声も、そこで止まる。

 全力の遠吠えのあと、肺の中の空気を吐き出しきったあたしは、そのまま俯いて、校庭を見下ろしていた。

 そして、そこで、あり得ないものを見た、見てしまった。

 それは。

 驚愕の表情で校庭からこっちを見上げてる、山田君だった。


 後で聞いた話だけど。その時、山田君は、あの時音楽準備室に置き忘れたギターを取りに学校に来ていたんだって。

「……ったく……仔犬ごときにビビってギター忘れるとは……」

 恥だぜ、か何かブツブツ言いながら、山田君は回収したギターを背に、音楽準備室のある校舎棟から校庭を通って校門に向かおうとしていたところだったらしい。

「……にしても……なんで、校舎内に仔犬なんて居たんだ?」

 ふと気付いた疑問に、山田君は足を停めた。そのまま歩き去ってくれていれば、あたしが吠えるより前に、銀子が閉じた空間の外に出ていたかも知れなかったのに。


「……マジ?」

 あたしの視線の先を確認した銀子が、呟いた。

「いやぁ、これはえらい事になりそうどすなぁ」

 一緒になってのぞき込んだ環も、そう感想を述べる。

 けど、その時のあたしは、銀子の呟きも、環の感想も、全く耳に入っていなかった。

「あ!ちょ!蘭ちゃん!」

 銀子が止める間もあらばこそ、あたしは、屋上のフェンスを跳び越えていた。


「……うわぁ!」

 突然、 三階建ての校舎の屋上から飛び降りてきたあたしが目の前に着地したとき、山田君はびっくりして身をかわし、そのまま尻餅をついた。

 高さにして十メートル以上、それなりの勢いで未舗装の土の校庭に着地したあたしは、衝撃で立ちのぼった土煙に包まれる。

「……ねぇ、山田君……」

 酔っ払っていたあたしは、この時、あたしも既に耳と尻尾が出ている事に気付いていなかった。

「一つ、教えて……」

「は……はい、なんでしょう?」

 突然降ってきた、というか落っこちてきて、巻き上げた土煙の中からゆっくり立ち上がりつつ聞くあたしに、山田君は怯えた顔で後じさりしながら、答えた。

 そりゃまあ、怯えると思う、今考えると。

 でも、その時のあたしはそんな事、ミリほども考えず、感情の赴くままに、聞いた。

「あたしの……」

「……はい?」

「……あたしの何処がいけないのォ!」

 あたしの爪が、はしった。


「そーいうとこがあかんのやないかい……」

 屋上から見ていた銀子は、そう呟いて頭を抱えたそうだ。

「ほんまにもぉ、手間のかかる……たまちゃんはここで待っときや!」

 そう言って、銀子は階段に向かって駆け出した。

「はいな、あんじょうお気張りや」

 環は、そういってひらひらと手を振ったんだって。


 山田君は、返事する代わりに、逃げた。

 どういうわけか、確実に手が、爪が届く所に居たはずなのに、山田君はそのあたしの爪をキレイにかわすと、一瞬であたしの目の前から消えていた。

 でも、その時のあたしはほら、「脳のブレーキがアルコールでぶっ壊れてる」から。

 獲物が逃げたら追う、獣としてのその本能に、火がついちゃった。

 ……ごめんね、山田君。今更だけど。


 あたしは、山田君が、さっき出てきた校舎の中に消える、その最後の一瞬を、ちらりとだけど、見た。多分、その時のあたしは、それを見てものすごい顔で笑っていたと思う。

 鬼ごっこね。いいわ。絶対、逃がさない。だって、大好きだから。そして、絶対、捕まえる。そして、大好きなあなたを、全部、食べちゃう。

 そんな事を、その時のあたしは、アルコールで濁った頭で考えていた、ように覚えている。

 もちろん、本来の意味で「食べる」なんて、いくらあたしが肉食系だって、そんな事をするわけない。

 じゃあ、どういう意味かなんて、そんな事、乙女の口からは言えない。

 とにかく、あたしは、山田君を追って、校舎に向かった。クスクス笑いながら、ゆっくりめに。


 昼間、たくさんの生徒がひしめく校舎内は、その残り香が充満していて、あたしの鼻を鈍らせる。直線的に追う事の出来ない校舎の構造は、あたしの脚を、スピードを殺す。

 でも。アルコールでたがが外れているとしても、あたしは人狼ひとおおかみ。極限まで耳を澄まし、鼻をきかせれば……ほら、三階の踊り場から非常階段の方に向かう、微かな足音。

「……みぃつけた」

 嬉しさで口角を耳まで裂きながら、あたしは、正面階段を三階まで一気に駆け上がる。

 駆け上がって、踊り場で壁を蹴ったあたしは、その反動で廊下の端の非常階段に向かって跳び出す。

「ギャ!」

 跳び出したあたしは、そこに居た銀子を跳ね飛ばした事を、全く意に介していなかった。


 これは後から聞いた話。

 その時、屋上から降りてきた銀子ぎんこは、階段を駆け上がってきた山田君と三階の踊り場で鉢合わせたらしい。

「ヤーマダ君!こっち、こっち来いや!」

すばる?」

 お前もいたのか?、とか、なんでここに?とか聞こうとしたのだろう山田君を制して、銀子は山田君を廊下の先、非常階段の方に行くよう促した。

「……ったく……一体、何が何だか……」

 全速力で三階まで駆け上がった山田君は、ちょっとだけ壁にもたれて息を整える。

「……一言では言われへんのやけどな、らんちゃん、悪酔いしてんねん。堪忍したってや」

「……悪酔い……」

 苦笑して言う銀子に、山田君はあきれて絶句した。

「……来た。いい鼻してるわ、ホンマ……」

 あたしが校舎に入ったのに気付いた銀子が、山田君を非常階段の方に押しやりながら、言った。

「ここでウチがくい止めたるさかい、ええからとにかく逃げ。上にたまちゃんおるさかい、かくまってもらい」

「……無理すんなよ」

 銀子の指示に妙に素直に従って走り出しつつ、山田君は言ったそうだ。

「ケンカじゃ狐は狼に勝てねぇからな」

「……え?」

 唐突な山田君の一言。その一言に気を取られた銀子は、その直後に、山田君しか見えていないあたしに跳ね飛ばされた。


「ほおらヤーマダ君、鬼さんが来はったえ」

 屋上の隅のフェンス際で、たまきが山田君に言う。

「悪い冗談よしてくれ八重垣やえがき、シャレになんねーから」

 及び腰で、それでも環の後ろに隠れるようなことはせずに、山田君は少しだけ環から体を離して、環に苦言を述べる。

 二人の視線の先に居るのは、あたし。屋上の階段出口の扉を開けて、満面の笑みをたたえて山田君に一歩ずつ近づく、あたし。

「あのね?山田君」

 あたしは、あたし自身、素面で聞いたら恥ずかしくなる様な可愛らしい声で、言った。

「あたし、理解わかったの。食べちゃいたいくらい好き、って気持ちの意味が」

「だからあららぎ、よそうぜそういう発言は。ホント、シャレになんねーよ」

 あたしもそう思う。だって、この時のあたしは、耳と尻尾は出てたし、爪も伸びてたし、口元だって犬歯がかなり大きくなっていた。でも、その時のあたしは、そうは思ってなかった。

「……初めてなの、こんな気持ち……だから……」

「よしわかった、まあ待て、話し合おう。話せばわかる。だから……」

 政治家みたいな答弁で何とかその場をしのごうとした山田君だったけど、もちろん、その時のあたしが聞く耳を持っているわけがない。

 満面の笑顔のまま、あたしは、三メートルほどの間合いを、一跳びで詰めた。


――これは、死ぬ。アイツの爪と牙にかけられたら、間違いなく死ぬ――

 その時、山田君はそう思ったって、後からあたしは聞いた。

――嫌だ。俺だって蘭の事は割と好きなのに。こんなので死ぬなんて、嫌だ――

 それは、嬉しい。出来るなら、あの時のあたしに聞かせてやりたい。

――嫌だ。俺は、こんな……このまんまなんて、これで終りなんて、絶対に嫌だ!――

 あたしは、その時の事は、その瞬間の事だけは良く覚えている。

 山田君から少し離れた所に居るたまき、あたしを追って階段口から跳び出してきた銀子ぎんこ

 あたしを見る山田君の視線。大きく見開かれていた、その山田君の目に映るあたしと、あたしの背後の、大きな、まん丸なお月様。

「嫌だああっ!」

 あたしの爪が山田君に届く直前。山田君は叫んだ。

 そして。

 あたしは、屋上のフェンスの外にほっぽり出されていた。


 天地のひっくり返った視界の中で、何が起きたのか理解出来ていないあたしは、見た。

 見た事のない、あたしの知らない獣人けものびと――人狼ひとおおかみがフェンスの向こうに居るのを。

 目を丸くして、その人狼を指差して唖然としている銀子を。驚いて、両手で口元を覆っている環を。

 そして、理解した。その人狼が、どうやらあたしを投げ飛ばしたらしい事を。

「……えええええーっ!」

 あたしは、その人狼の居る場所は、確かに直前まで山田君が居たはずだと思って困惑し、山田君がどこに行ったのか、その人狼がどこから沸いたのか理解出来ずに混乱して、ただ驚愕の声をあげながら、再び屋上から校庭に落ちた。

 今度は、着地どころか受け身も取れなかった。


「俺がまだ、小学校に上がる前の話なんだが……」

 山田君は、すっかり酔いの醒めたあたしと、銀子と環の三人を前に、話し始めた。

「両親に連れられて、初めて田舎――つまり、俺たちの「人狼の里」に行ったんだ。俺のじーちゃんの家に泊まって、夜、トイレに起きたんだけど。ほら、田舎のトイレってさ、夜、すっげー怖いじゃん?しかもその頃のじーちゃんの家のトイレ、ボットンだったんだぜ……で、な。寝小便する方が嫌だから、怖いの我慢してなんとか用を済ませて、手を洗おうとしたわけだ。そしたらな。鏡の中に、バケモノが居たんだよ」

 山田君が言うには。トイレの鏡に、ちいさな狼男が居たそうだ。

「……どうも、俺、トイレが怖くて無意識に獣人化してたらしいんだ、これが」

 ごつん。あたしの隣で、結構すごい音をたてて銀子ぎんこが屋上に突っ伏した。

「そら、えらいなんぎどしたなぁ」

 たまきが、はんなりと返す。

「いやもう、怖かったのなんの。わかるか?あららぎ?」

「……山田君……もしかして、あなたそれまで自分が人狼だって知らなかった……?」

 山田君に尋ねられたあたしは、核心的な一言を、聞き返した。

「……知らなかったんですねぇ、これが」

 へらっと、頭を掻きながら、山田君が答える。

「あー……」

 あたしの口から、気の抜けた返事が出た。

「……そんでな?まだ続きがあってな。真夜中に田舎のトイレの裸電球で、古びた鏡に狼男だぜ?おれ当時五歳だぜ?驚いて、怖くて、号泣しながら猛ダッシュで親父達の所に戻ったさ!とーちゃーん!お化けが出たー!って。そしたら……」

 山田君が、言葉を切る。あたし達は、固唾を呑んで次の言葉を待つ。すると。

「……親父とお袋、寝ぼけて、獣人の姿で起きて来やがった」

「お父はんとお母はん、田舎帰りはって、リラックスしてはったんどっしゃろなぁ」

 いや環ちゃん、そこじゃないから。

「もうね、俺がどんだけ怖かったか。わかるかお前ら?」

 ……まあ、その気持ち、想像は出来ない事もないけど。

「でな?俺、それ以来ショックで獣人化出来なくなっててな……気配が人狼なのに獣人化できないと、他の部族に因縁つけられたりして、それはそれで大変なんだよ。なんで、知り合いに「おまじない」してもらって、気配も人と変らないようにしてもらってな」

「……せやから、ウチらがヤーマダ君の事、気付かへんかってんか……」

「まあな。ただ、俺の目鼻や耳は能力そのまんななんだ。だから……」

 衝撃の告白。あたし達は、一瞬、言葉に詰まり、そして。

「……ぇええー?じゃ何、山田君、最初から知ってたのォ?」

「そりゃ無いでぇヤーマダ君、なんでそれ言うてくれへんの?」

「そうどすえ、らんちゃん、そらもお、ぎょーさん苦労しぃはって……」

「いやぁ、悪かったけどよ。だってよ、女子三人の所に俺が割り込んでって、タイミング難しいじゃん?それにほら、俺、獣人化出来ない人狼じゃん?それって、マジモンのお前らの前に出るのって、すっげー気が引けてさぁ……」

 ああ、なんかそれは分かる気がする。あたしも、初めて里に連れて行かれたときは、すごい緊張したし。

 そして、あたしは、ちょっと覚悟を決めて、大事なことを聞く事にした。

「……でも、じゃあ、あたしが嫌われてるとか、そういう事じゃないのね?」

「ああ、うん、それはない。俺がダメなのはあくまで犬とか狼の姿であって、人の形のあららぎは、その……」

「なーに言うてんねんな」

 大事なところで口ごもった山田君の言葉を遮って、銀子ぎんこが混ぜっ返す。

「いやぁ……」

 山田君も、苦笑して頭をかく。あたしも、思わず苦笑してしまって、それから。

「……でも、よかった……あのね、山田君、あたしね、山田君に聞きたいことがあったの」

 改めて、あたしは、一番大事なことを確認しようと思って、腹を据えて気合いを入れて、聞いた。

「あ、うん、蘭、俺もお前に聞きたいことがあるんだ。あのな」

 え?ちょっと待って、それって、もしかして?

「え?な、何?」

 あたしの心の中で、期待と不安がぐるぐる回ってる。

「……その、なんだ、蘭」

「……うん!」

 あたしは、不安は気合いで押し殺し、期待に胸を膨らませて、思わず身を乗り出して聞き返した。

「どうやったら人の姿に戻れるか、教えてくんない?」

 てへっ。そんな感じで、あたしに襲われる恐怖と、それきっかけの感情の爆発、あと、まん丸お月様の力を借りてトラウマを克服した山田君は、獣人の姿のまま、悪びれずにあたしに言った。

「……バカ」

 あたしは、その一言を言うのが精いっぱいだった。


「……まあ、一件落着、収まるもんが収まるところに収まった感じやけれどもな」

 翌朝。

 校門前で、あたしと山田君は、銀子ぎんこたまきに鉢合わせた。

「……何?」

 あたしはちょっとトゲトゲしく聞く。あたしは今朝、国分寺駅の改札出たとこで山田君と待ち合わせて、約十分間、猛烈な二日酔いの頭痛をひた隠しにして、短いけれど至福の登校時間を過ごしていた所だった。

「夕べあの後、たまちゃんと話たんやけどもな」

 ちょっとだけ言いにくそうにした銀子の言葉を、環が引き継ぐ。

「……結局、お二人さんは、春先でサカってはっただけと、ちゃいますのん?」

 にまっと笑いながら、環はずけずけと言い切った。

「うぇっ?」

「……環ちゃん!」

 あたしは真っ赤になって、けらけら笑いながら小走りに逃げ出す環を追いかける。

 季節は初夏。

 あたしの体温もテンションも、これからの季節ばりに、急上昇しはじめていた。

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