非日常的なお返し
桜吹雪が舞う中で、砺波はそっと髪をおさえて、まっすぐに鈴木を見つめる。
「わたし、もう準備できてるから。――はっきり言いなさいよ、男らしく」
どういうことだ? どうなっている? 鈴木は目が回るような思いで立ち尽くしていた。状況が理解できない。
――わたしだって、ずっと気になってたのよ。
その言葉が脳裏をよぎり、鈴木はごくりと生唾を飲み込んだ。
――たぶん……あんたから言ってくるの、待ってた。
聞き間違い? いや、違う。確かに、彼女はそう言った。
――わたし、もう準備できてるから。
勘違い? いや、他にどう解釈できるというんだ。
鈴木は瞬きも忘れて砺波を見つめていた。桃色の唇をきゅっと引き締め、緊張したような面持ちで自分の言葉を待っている。
間違いない! 鈴木は確信した。
ガクガクと全身が震え出す。鈴木の心臓は、もはや爆発寸前のボイラーと化していた。信じられないが、そうとしか考えられない。この展開は……この展開は、まさかの一発逆転両想い!?
「ぼ……僕は……」
ここで言わなきゃ、男が廃る。神様が落とした超特大ぼた餅じゃないか。それを取らずしてどうするんだ。
「僕は、二年前から……」
それでも震える自分の声が憎らしい。
いい加減にしろ。気合いだ、気合い。鈴木は拳を強く握り締めた。
――はっきり言いなさいよ、男らしく。
そうだ、男らしく……。こんなときの男気じゃないか! 今こそ、そのとき。男になるんだ、鈴木。
鈴木は覚悟を決めて、睨みつけるようにきりっと砺波を見つめた。
「僕は……僕は、二年前のあのとき、藤本さんに――」
「ああ、もう! 分かってるわよ、返すってば!」
「心を奪われ――って、返す?」
ぽかんとする鈴木の目の前に、懐かしい紳士の顔があった。
えっと、誰だったか。鈴木はしばらく思い出せなかった。
ぴらぴらと風に揺れる薄っぺらいおじさん。ちょこんとたくわえた髭が特徴的で、キリッとした顔でこちらを見ている。確か、『努力だ、勉強だ、それが天才だ』という名言を残し……。
「って、千円!?」
「忘れてたわけじゃないのよ? ちゃんと返さなきゃ、てずっと思ってたの。ただ、名前も学年も聞くの忘れちゃったし。顔もうろ覚えでさ……まあ、そのうち、あんたから『金返せ』って言ってくるだろうと思って待ってたんだけど、全然現れないし。
で、昨日、あんたと会ってピンと来たの。こいつだ、て。でも、昨日は曽良に全部奢らせるつもりだったから、お金持ち合わせてなくて……タイミングもなかったし」
「……」
「とにかく!」砺波は顔を真っ赤にして、持っていた千円札を鈴木の胸に叩きつけた。「あんたが誰だか分かったことだし、今日こそ返そうと思って用意してきたのよ!」
鈴木は呆然としながらも、砺波の迫力に負け、千円札を受け取っていた。頭の中は混乱を極め、フライングしたアドレナリンがさ迷っている。
つまり……これは、どういうことだ?
「いい!? わたしは借りパクしようと考えたわけでも、忘れてたわけでもないのよ。そんな無責任な人間じゃないからっ!」
「は……」
「カツアゲするような連中と一緒にしないでってこと。そこははっきりさせときたいのよ。分かった!?」
「あ……は、はい!」
砺波に怒鳴りつけられ、鈴木は千円を握り締めてビシッと背筋を伸ばしていた。上官に渇を入れられた新兵そのもの。金を返してもらった人間の姿ではない。
「よかったぁ」砺波はころっと満足そうに微笑み、胸を撫で下ろした。「これで心置きなく卒業を迎えられるわ」
鈴木の脳はクラッシュ寸前。情報処理が追いついていなかった。告白しようと思ったら、いきなり「返す」と言われて千円を突きつけられたのだ。当然だろう。
「あの……ふ、藤本さん……」
「あんときはありがとね」
天真爛漫な笑みを浮かべ、砺波はちょんと鈴木の肩を小突いた。
「あんたのおかげで、餓死せずにすんだわ」
冗談っぽく言った彼女を見つめ、鈴木は「あ」と気の抜けた声を漏らす。
その笑顔に見覚えがあった。
二年前。購買の前だ。悪びれた様子も、へりくだった態度も見せず、ただ無邪気に笑って彼女は言った。
――お金貸して。
鈴木は瞠目した。千円札を握る手から力が抜けた。ようやく冷静さを取り戻し、鈴木は理解した。
「覚えてて……くれたんだ」
「どういう意味!? わたしがお金を借りパクするような人間だと思ってたってこと!? だから、忘れてたわけじゃないってば」
「あ、いや! いえ、そういうわけじゃ……」
慌てて鈴木は両手を振った。
――違う。金のことはどうでもよかった。
ただ、鈴木は、砺波が自分のことを覚えていてくれたことが嬉しかった。
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