第27話 就職と受験

 高三の夏休み明け、大知は早々に就職先が決まった。鹿児島空港近くの物流会社だ。

「アルバイトと変わらない給料だけど、一応正社員だぜ」

 地方の高校生の就職先なんてそんなもんだ。かといって、大学に行ったからといってそれにふさわしい待遇の仕事が地元にあるわけでもない。だから、みんな帰ってこない。

 この街には未来なんかないのだ。

 沙紀はコンビニのバイトを続けていて、卒業したら大知と一緒にアパート暮らしをするつもりらしい。

「あいつの稼ぎは少ないけど、あたしも空港とかそのへんのスーパーでパートで働けばなんとかなるでしょ」

 二人で仲良く頑張ってほしい。

 嫉妬や揶揄ではない。本当に心からそう願っている。

 沙紀には幸せになってほしい。

 そういう意味では大知には感謝している。

 あいつなら、ちゃんと沙紀を幸せにしてくれそうだからだ。

 出会いとか運命というのは大事なものだと思う。良い方向へ行けば沙紀と大知のようになれる。でも、そうでないと、苦しみや悲しみに翻弄される。僕のように。

 それでもまだ他人の幸運を祝福できるだけましなんだろう。

 僕は千葉にある工業大学を目指して受験勉強に取り組んでいた。

 千葉だからといって、彩佳さんのことを意識していたというわけではない。

 地方ならではの受験事情があるのだ。

 僕の頭ではそもそも国立大学は最初から無理で、私立だと地元には定員割れの底辺大学しかない。しかも、結局は街を出ないと通えないから、一人暮らし以外に選択肢がないのだ。そうなると、距離に意味がなくなる。鹿児島県内だろうと、九州でも、東京でも、どこでも同じだ。それならば大学の選択肢が多い首都圏に出てしまった方が良いということになる。

 首都圏でも千葉だと少しアパート代が安いし、僕が受けようと思っている千葉の工業大学は、地方受験を積極的におこなっていて、鹿児島市内の会場で受験できるのもありがたかった。受験のたびに飛行機代やら宿泊費がかかっていたら、それこそ年間の学費が払えるくらいの負担になってしまうのだ。

 うちは母親が県立病院の看護師で、僕が生まれたときから積立貯金をしてくれていたらしい。おかげで四年分の学費と一人暮らしの生活費は用意ができていた。あとは僕の頭の問題だけだった。

 その時初めて気がついたのだけど、この小さな田舎町では、僕の家はどちらかといえば裕福といえる家庭だったようだった。

 もちろん資産家やお金持ちなどというものではない。でも、父親はいわゆる上場企業の係長で、母親もフルタイムの看護師だから、使えるお金の面では恵まれていたのだ。

 沙紀の父親もうちの父親と同じ会社の同期だけど、母親がパート仕事だからその分収入は落ちる。

「うちだと、家を出て大学に通うのは無理だね。専門学校に家から通って二年が限界かな。まあ、あたしの場合は、お金より、頭が無理だからさ。あんたは頑張りなよ」

 僕たちもだんだん大人になってきて、そういう切実な社会の格差を思い知ることになる。

「でも、あたしは親には感謝してるよ。ご飯は食べられたし、服とかも必要ならすぐに買ってもらえたしさ。出かけるときはふだんのお小遣いとは別に交通費くれたし。だからバイトで稼いだお金は全部貯めてるよ」

「え、バイトしててもお小遣いもらってるの?」

「まだ高校生だし、もらえるものはもらっておく。だって、バイト代使っちゃったら意味ないじゃん。貯めるために働いてるんだから」

 分かるようで分からない理屈だ。でも、しっかりしている。ちゃっかりではない。

「あんたなんか、稼いでもいないし、学費まで出してもらえるんだから、あたしに文句言うんじゃないよ」

 その通りだ。沙紀と大知の方がいろんな意味でオトナなんだ。

「すみませんでした」

「分かればよろしい」と沙紀が胸を張る。あいかわらずすごい光景だ。

 僕は工学部建築学科を目指していた。特に興味があるというわけでもなかったけど、純粋な理論系学問よりも向いているかと思ったのだ。

 英語は点数を稼げるようになっていた。数学もうまいやり方は分からないけど、僕の受ける大学の入試問題は地道なやり方で計算すればとりあえず答えが出るレベルだから対応できそうだった。

 思惑通り、僕は一発で合格をつかみ取った。親は喜んでくれたし、同級生もみんな祝福してくれた。僕は生まれて初めて努力して何かを成し遂げたのだ。

 残念ながら、結局、温泉旅行には行けなかった。

 卒業式の日の午後、僕は千葉に旅立たなければならなかった。

 入学手続きやら、引っ越しの手配などであまりにも時間が足りなかったのだ。

 空港まで、沙紀と大知が見送りに来てくれた。

 三人で展望デッキに出て滑走路を眺めた。

 かつて彩佳さんが千葉に帰ってしまったときに僕が泣いた場所だ。

 あのときも悲しかったけれども、その後、それ以上の悲しみや苦しみがやってくるなんて思ってもいなかった。ふと、再会しなければ良かったんじゃないかという思いがわき起こってきて、僕は慌てて首を振った。

 違う。そんなことはない。

 僕は出会えたことも、再会できたことも後悔なんかしていない。気持ちを伝える勇気を持たなかった自分がいけないんだ。それは僕のせいなんだ。

 ちょうど目の前を青い垂直尾翼の飛行機が離陸していく。大きく旋回して霧島連山にかかる雲の中に消えていく。あの時と同じように、タイミングのずれたジェットエンジンの轟音が屋上を突き抜けていく。

「あんたがいなくなるとさびしくなるね」

 沙紀に言われると、僕も急に弱気になる。

 親元を離れることよりも、沙紀と別れることの方が不安だった。

 これまでずっと一緒だった。

 これからもずっと一緒だと思っていた。

 この空港に来る間も、大知の運転する車の中で、やっぱりそう思っていた。

 でも、現実を見つめなければならないときが来たんだ。

 僕は一人になるんだ。

 内心を悟られないように話の矛先をそらした。

「大知がいるじゃん」

 沙紀が即答する。

「こいつが頼りにならないから言ってるんじゃん」

 おい、少しは反論しろよ、大知。

 猫背の男は黙ったまま僕に手を差しだした。何だよ、いまさら握手なんて、照れるじゃないか。でかい手だな。頼もしいじゃんか。

「二人とも、仲良く頑張ってよ」

「うん、こいつが浮気したら、約束通りあんたを裁判に呼ぶからね」

「しねえよ」

 大知が即答する。

 そこだけは男前なんだよな。

 沙紀のおでこがちょっと赤く染まる。

 なんだよ、最後まで見せつけたな、コラ。

 搭乗時刻がやってきて僕は二人に別れを告げた。

「あたしら、ここから見送るよ」

「窓から見えるかな」

「見えたら手を振ってね」

 手荷物検査を通過して機内に入り席を探すと左側の非常口席だった。

 CAさんが緊急時の協力について説明に来た。僕はそもそも飛行機が初めてだったので緊張していたから、適当に相づちを打つのが精一杯だった。

 出発準備が整って、飛行機が後ろに動き出す。向きを変えて停止したとき、窓からターミナルビルが見えた。

 展望デッキに二人の姿が見える。

 大知が沙紀を肩車して、二人で大きく手を振っている。

 目立ちすぎだろ、おまえら。

 僕も手を振り返した。

 まわりに他の乗客はいなかったから、恥ずかしくもなかった。

 僕に気づいたのか、大知の肩の上で沙紀が大きく丸印を作っている。

「お友達ですか?」

 急に横から声をかけられてびっくりした。

 シートベルトの確認に来たCAさんが僕の横で窓の外を見ていた。

「はい」

 僕がうなずくと、一緒に窓から手を振ってくれた。

 エンジンのうなりが大きくなって、飛行機が動き出す。翼の先端がキラリと輝いた。

 新しい生活が始まる第一歩だ。

 僕は目を閉じた。

 涙がこぼれそうだった。

 それは決して飛行機の揺れが怖いからではなかった。

 一人になる不安。友達と別れる寂しさ。先の見えない未来。どこにもない自分の居場所。そして、癒えることのない悲しみ。目を閉じるとむしろそういったいろいろな現実が目の前に浮かんでくる。

 逃げ場はない。だけど、逃げるつもりもなかった。

 目を閉じて涙をこらえている間は、素直に自分の不安に向き合うことができた。

 そうやって僕は生きていかなければならないんだと思った。

 飛行機を怖がっている場合ではなかったのだ。

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