八章・約束(4)

 伊東 陽の抜け殻が、光り輝きながら移動を始めた。旭の言葉通り元の世界へ向かって飛んで行くのだろう。

「追いかけなきゃ」

【急げ】

 杖は意外と速く飛んで行く。慌てて走り出すアサヒ。

 改めて周りを見渡すと不思議な空間だった。様々な色が混じり合い、虹色の輝きを放つ世界。その中に、よくよく目を凝らしてみるとたくさんのしゃぼん玉が浮かんでいる。

 それに呼吸ができる。こんな不思議な空間なのに空気がある。

「なんなんだ、あのしゃぼん玉」

界球器かいきゅうきだ】

「かい……なに、それ?」

【以前教えただろう。複数の並行世界を含む器だ。宇宙全体の歴史の基軸となる、原初の時間軸だと考えればいい。宇宙は生まれ、可能性によって分岐していく。並行軸は器の中を漂うさらに小さな泡となり、それぞれに異なる歴史を歩み出す】


 そういえば以前、そんな話を聞いたことがある。正直、難しすぎて何が何だかいまいちよくわかっていないのだが。


「まあ、えっと……ようするに、あの一つ一つが違う宇宙だってことだろ?」

【その認識で間違いない。だからこそ絶対にあの杖を見失うな。この空間で迷えば、元の世界へ戻れる可能性は限りなく低くなる】


 それこそ、不可能と言うべきレベルで。


「わかった。もう、よそ見はしない」

 緊張した面持ちでまっすぐ杖の後を追いかけていくアサヒ。しかし、それが逆にアダとなってしまった。

 追いかけることに集中していたがあまり、後方から近付いて来る気配に気付くのが一瞬遅れたのだ。

「がっ!?」

【なんだと、貴様ッ──】


 それは“蛇”のドロシーだった。

 背後からアサヒに襲いかかり、絡み付く。

 結晶にあれだけのダメージを負ってなお、死んでいなかった。復活して追いかけて来ていた。

 彼等の窮地に気付かず、杖は離れていく。そもそもプログラムされた通り自動的に設定座標へ移動しているに過ぎない。


【アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!】

「なん、だと……!」

 蛇の怒りが伝わって来る。かつて蒼黒そうこくに無理矢理記憶を流し込まれた時のように感情が注ぎ込まれる。

 怒り。人間に対する怒り。手を結んだのに、結局は振り回されただけで、自分を置いて勝手に消えてしまったドロシーに対する憎悪。それをアサヒに叩きつける。

「ふ……」

 アサヒの中でもまた、何かが切れた。

「ふざけるな! そもそも、お前が来なきゃこんなことにならなかった! 誰も、悲しい思いをしなくて良かったんだ!」


 怒りが体内の魔素を暴発させた。胸から上と右腕だけになって吹き飛ぶ彼。胴体のほとんどの部分を消し飛ばされたドロシーは、それでもなお肩に噛みついて来る。

 両者はもつれ合いながら、すぐ近くにあったしゃぼん玉に接近した。距離感がわからず見誤っていたが、それはとてつもなく巨大な球体だった。


【まずい、落ちるな!】

 ライオが叫んだ時には、もう遅かった。

(んぐっ!?)

 まるで海の中。光が遠ざかり、暗闇に沈んでいく。世界に対する認識が拡大し、自身は縮小していく。

 ライオが言った通り、たくさんの小さな泡がここにも漂っていた。夜空の星々のように輝くそれの一つが近付き、また大きな泡となって彼を飲み込む。

 宇宙を彼方から見た。どこかの銀河の片隅に落下していく。真っ白な星が目の前に迫り、超スピードで落ち行く彼の前面では圧縮された大気がプラズマ化して白熱する。

 朱璃が放った魔弾のように白い光と化して落ちて行く両者。ライオが翼を広げて減速をかけ、霊力障壁を展開してどうにか守り抜いた。分厚い氷を突き破り水飛沫を上げる。

 その飛沫が、一瞬で凍り付く。


【アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?】


 海から顔を出し、絶叫するドロシー。僅かに残っていた肉体も凍結した。そして周囲の海水も凍り付き、永遠にその場に封じられる。

 このままでは自分達もそうなる。ライオはアサヒの体内に自分の臓器の一部を再現して熱を生み出し、どうにか凍結を防いでいた。けれど長くは保てない。

【アサヒ! ゲートだ! お前の体内の“心臓”をゲート化して拡張しろ! もう、他に方法が無い!】


 そんなことを言われても、やり方がわからない。

 いや、やれると思うことが大事だ。

 朱璃の言葉を思い出す。イメージしろ。具体的な像を思い描き、魔素にその現象を再現させろ!


(開け!)

 心臓のゲート化はいつもやっている。それと同じことをして、いつもなら門の向こう側から魔素を汲み出すイメージを反転させた。自分達をその向こう側へ送り込むように。

 次の瞬間、彼等の姿は凍てつく海の中から消えた。




「ハッ……ハッ……ハァ……」

【成功したな。だが……】

 再び虹色に光る空間。無数のしゃぼん玉が浮かんでいる。けれども伊東 陽の抜け殻はどこにも見当たらない。

 そもそもここが、あの時と同じ座標なのかさえわからない。竜の心臓を使った異世界間移動はランダムなのだ。転移座標は選べない。


 つまり、帰るべき世界を見失った。

 それでも──


「諦めない……諦めて、たまるか……」

【ああ】

「探すんだ。この中のどこかに、必ずあるんだから。いつかは辿り着ける。諦めなければ、もう一度会える!」


 約束した。約束は絶対に守る。

 オリジナルの自分が言った通り、間違いは正せる。

 今はただ、そう信じて前へ進むしかない。


「行くぞ、ライオ」

【行け。いくらでも付き合ってやろう。どうせ、お前から離れたら消える身だ】


 一人じゃない。それが今のアサヒには何よりも心強い。

 彼は頷き、一番近くにある界球器せかいへ狙いを定め、自分からそこへ飛び込んで行った。

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