十二章・結意(2)

『ウオオオオオオッ!!』

『倒れろっ!!』

 大太刀を大上段に構えて跳んだ友之と小波こなみは、交差しながら鮫型の竜の硬い皮膚を切り裂いた。加速のために噴射した高圧の魔素が空中に銀色の軌跡を描く。

 だが、その攻撃をもってしても致命傷には至らず、敵は再生を始めながら友之に狙いを定めた。水流を操り、空中に道を作ってその中に彼を飲み込む。

『んぐっ!?』


 水の中では自由に身動きが取れない。もがく友之めがけて疾走する怪物。

 しかし、彼は気が付けていなかった。自身の胸にクナイが一本突き刺さっていることに。さらに同じものが地上へ落ちた影にも突き立てられる。


『ッ!?』

 突然、動きを止める怪物。止まったのではなく、止められたのだ。カトリーヌの放った影縫いの術によって。

 そして──

「あのクナイの位置だ!」

「了解!」

 再び動き出さないうちに地上から放たれる閃光。胸に刺さったクナイごと体内の高密度魔素結晶体“竜の心臓”を消し去る。

 途端、魔素によって再現された怪物は自身の姿を留められなくなり、分解して元の魔素へ戻った。

 直後、今度はさっき倒れた海蛇型の竜が起き上がる。

 しかし、その胸にもまたクナイが突き刺さっていた。カトリーヌではなく、近くで監視していた別の術士の手によるもの。

「王太女、お願いします!」

「人遣いが!」

 素早く方向転換して狙いを定め、魔弾を放つ朱璃。

 顎を開いて高圧水流を放とうとしていた竜の首に、それが深く食い込む。

 貫通はしていない。鱗が弾け飛んだだけ。さっきの鮫より大きい上、さらに硬い。ならばと朱璃は連射する。

「荒い!」


 二発、三発、四発──凄まじい衝撃に血を吐き、苦痛で巨体をくねらせる海蛇。なのに外れない。続けて二発。やはり正確に命中する。


「わ、ね──くっ……」

 七発目、ついに外す。霊術と組み合わせた改良により魔素消耗率を大幅に低減したとはいえ、やはりこれだけ連射するときつい。眩暈を覚え照準がズレてしまった。

 次の瞬間、竜は血の混じった高圧水流を放つ。朱璃の直掩についていたマーカスが障壁を展開する。

「クッ……オオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオッ!!」

 深手を負っているため本来の威力ではない。それでも簡単に障壁を割られ、素早く次の障壁を展開するマーカス。その二枚目が割れる直前、なんとか朱璃を抱えてその場を脱しようとする。だが間に合わない。二人を飲み込む黒い血流。

 ところが、それはマーカスと朱璃に直撃しなかった。二人の前に飛び込んだ巨漢が己の身を盾として受け止める。

「ぬううううううううううううううううううううううううううううううううっ!!」

 ウォールの全身、その前面だけが青白く輝いていた。霊力障壁である。彼の霊力は強くない。それでも役立てられる方法は無いかと訊ねたところ、彼の指南役を任された烈花はこう教えてくれた。


『霊力障壁は範囲を狭めれば狭めるほど、そして術者との距離が近ければ近いほど強度が増すんスよ。だからボクは、炎を使う時に自分の体を覆って熱から身を守ってるんス』


(役に立ったぞ)

 巨漢は吹き飛ばされないよう必死に踏ん張り、歯を食い縛りつつ、無理矢理笑った。

 直後、引き返してきたカトリーヌ達が竜に攻撃を加え、意識を散らさせる。そして空中に展開した障壁を足場に、一瞬だけ脚に力を溜める彼女。

「一意専心!」

 アサヒのように、その障壁を蹴って飛翔術以上の超高速突撃を敢行する。長刀を腰だめに構え、激突する直前、切っ先を朱璃のつけた傷に向かって突き出す。

 破裂するような音が響き、一瞬後には彼女の姿は竜の背後にあった。守りの薄くなった箇所から体内を貫き、高密度魔素結晶を破壊したのである。


 倒せた竜は、これで七体。

 とはいえ──


『まだか……まだかよ、アサヒ!?』

 歯を食いしばり、絶望しかけた自分を必死に鼓舞する友之。彼等の視線の先にはさらに数体の竜。そして、今しがた倒した敵の同種も結界を潜り抜けつつあった。

 カトリーヌは長刀が折れ、背負っていたMW二〇三を構える。ウォールはスキンスーツがところどころ破れ出血していた。全身の筋肉と骨がギシギシと軋み、それでもなお朱璃を庇うように前に立つ。

 そんな彼の背中を叩くマーカス。

「助かったけどよ、これ以上無理すんな。門司のとこまで行け」

「そんな暇は……無いな」

 今度は三体の竜が同時に迫って来た。その足下から変異種達も押し寄せて来る。治療を受けに戻る余裕は全く無い。

 場の全員が覚悟を決めた。おそらく次の攻防で最後だと。自分達が全滅するかアサヒが“核”を破壊するか、残り僅かな時間で決まる。

 ギィギィと不気味な音が鳴り響いた。激闘の余波でダメージを受けた地下都市大阪そのものの発する悲鳴。

 すると、まるでそれに驚いたかのように、朱璃が急に顔を上げる。


「えっ……?」

 何かが聴こえた。

「アサヒ?」

 彼の声。呼んでいる。

 そんなはずはないのに、そうとしか思えない。

 ふらりと歩き出す朱璃。その表情は、これまで誰にも見せたことの無い顔。

 すでに戦いは再開していた。カトリーヌ達術士隊が、大谷ら護衛隊士が、友之と小波が怪物共の攻勢を必死に押し留めている。

 いつもなら、どうこの状況を打開するかを考える。考えられる。

 でも、できない──


「ふざけないで……」

 帰って来るって言ったのに。


「結局、同じなの……?」

 父と、約束を破ったあの人と同じ?


「アタシを、置いてくの……?」

「朱璃……!?」

 マーカスでさえ、これが初めてだった。

 彼女の泣き顔を見たのは。


「班長?」

 ウォールは困惑している。朱璃がおかしくなったと、そう思ったのかもしれない。

 だが違う。この娘は、どんな絶望的な状況だろうと錯乱したりはしない。

 ならば、これは──

「聴こえてるんだな?」

 前に回り込み、両目を見つめて肩を掴む。

「アイツの声が、聴こえるんだな?」

「……うん」

 呆然とした表情で頷く朱璃。霊力が目覚めた影響か、それとも他の要因かは知らないが、とにかく本当に声が聴こえる。助けを求めるアサヒの声が。

 そして、それが次第に小さくなっていく。

 彼が死にかけているのだとわかった。

 途端に、怖くなった。


 死ぬのも、彼を失うことも。


「そうか……」

 マーカスも心を決める。

 すると、この場の三人の頭にだけ直接声が響いた。


【駄目よ】


 月華げっかの声。彼女は朱璃を引き留める。


【貴女が行ったところで何もできない。そもそも行く手段が無いでしょう】


 正論だ。アサヒがいるのは深海。助けたくても助けには行けない。

 でも、それでもと、心がそう訴えかける。

 そんな彼女の中に芽生えた感情を手折るように、月華の説得はさらに続く。


【信じるのよ。言ったでしょう、霊術は信じる力が大切だと。彼を信じて待つことが貴女の力になり、そして彼にも力を与える】


 本当にそう? 一瞬、納得しかけた。

 だって合理的だ。そうした方が、どう考えても理に適っている。

 でも、そう、やっぱり“でも”と心が叫ぶ。

 朱璃は選択した。

 一歩、前に出る。

 何かがそんな彼女の手足に絡み付いた。

 光る糸。この輝きは、おそらく霊力を編んだもの。

 それが皮膚に食い込み、切り裂き、血を滲ませても──なお、前進する。


【馬鹿なことをしないで! どうして? 行ったって何もできないって言ってるじゃない。ここが貴女の戦う場所よ!】

「違う」


 選択した。そうすると決めた。

 だからもう、誰を、何を犠牲にするとしても自分は止められない。

 ああ、そうか──


「やっと、母さんの気持ちがわかった」

 どうして自分を捨てたのか。そうしなければならないほど傷付いてしまったのか、ようやく知ることができた。

 人を愛するという行為は、それだけ、全身全霊をかけるものなのだ。

【待ちなさ──】

「フン!」

 マーカスの振り下ろしたナイフが、朱璃に絡み付いていた糸を断ち切る。

 意外な行動に朱璃も、ウォールも、そして月華も驚いた。

 彼は朱璃の背中を押す。

「行け!」

「……ありがと」

 少女は頷き、走り出した。

 そこからどうするつもりだ? アサヒがいるのは遥か彼方の深い海。徒歩で辿り着ける場所ではない。ましてや、こんな戦闘の最中で。

 けれど月華は危惧していた。彼女の中には予感があったのだ。あの少女ならばあるいは、と。

 朱璃は両手を左右に広げる。翼のように、少しでも補助にならないかと。

 その足が本当に地面をから離れ、少しずつ遠ざかっていく。

「行け、行っちまえ!」

 結婚式の時でさえ泣かなかった、そのマーカスが涙を流す。

 彼は今、ようやく“娘”を送り出した。

 彼女を待つ少年の元へ。


「飛べ、朱璃!」


 ──自分は間違った。仲間を信じ切れず、東京へ行く彼等を見送った。

 もし違う選択をしていたならと、そう考えなかった日は無い。けれど、結果的に自分が福島に残ったことで朱璃を助けられた。東京へ向かって走り出そうとする彼女を抱え避難させることができた。

 そうやって自分に言い聞かせ、逃げ続けていた。罪の意識ではなく、彼女の本当の望みに向き合うことから。

 朱璃は行きたかったのだ。あの日、あの時、たとえ死ぬとわかっていても──大切な人の元へ走って行きたかった。

「悪かったな……ずっと、引き留めちまって」

 この選択が正しいかどうかなんて、知ったこっちゃない。あの子はまだ一五歳だ。

 子供のワガママ一つ叶えてやれない世の中なら、生きる意味なんて無い。

 少なくとも、彼にとってはそうだ。

 見上げる視線の先で、少女はついに、高く高く飛び上がった。

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