三章・休息(2)

 王太女とその夫の姿を見るなり、兵士達は素早く敬礼する。

「殿下、アサヒ様!」

「いかがなさいました?」

「ちょっと外に出たいんだけど、いいかしら?」

 朱璃の問いかけに、生真面目そうな兵士は素直に応じた。

「もちろんです! しかし規則なので、理由を伺わせてください」

「ここの庭園を彼に見せたいのよ。明日の朝でもいいかと思ったけれど、今回は目的地が遠いから、なるべく早く出発する予定なの。それにアタシも、夜にあの場所を見たことは無くてね、一度は見ておきたいじゃない?」

「おお……」

 つらつらと、ただし不自然に聞こえないようしっかり抑揚をつけ、間を取りながら語る朱璃の後ろで、アサヒはしきりに感心する。

 途端、踵で足を踏まれた。

「!」

 痛くはない。前回ここで戦った時以来、痛覚が無くなってしまった。しかし朱璃が言いたいことは伝わって来たので、口を閉ざし表情を作る。こちらはなんともぎこちないスマイル。

 その甲斐あってか、単に朱璃の口が上手かったおかげか、兵士達は納得してくれた。

「なるほど、そういうことなら問題ございません。ですが──」

「わかってる。警備の手を煩わせたくないし、敷地からは出ないことを約束するわ」

「煩うことなどありません。一言仰っていただければ良いだけです。福島におられる限り、お二人がどちらへ出向こうと我々がお守りします」

「ありがとう。まあ、今回は本当に庭が見たいだけだから、通してくれる?」

「はい、どうぞ、お通りください」

 もう一人の歩哨と目配せして扉を押し開ける兵士。彼等が開いてくれたそこから三人は屋外へと出て行く。

 外とは言っても、もちろん地下空間だ。頭上に星空があるわけではない。ただ、それに近い景色は広がっていた。

「へえ、今夜は月が明るいのかもね」

「ほんとだ、うっすら光ってる」


 地下都市の天井に無数の淡い光が灯っていた。光ファイバーを通して地上の光が届いているからだ。秋田の地下都市と違って、ここ福島には駐留している数千の兵士達しか存在しない。その分、夜間の照明は少なく、逆にあれら星もどきが目立つ。


『おお、本当に星みたいです』

「ん? 今、誰か……」

 扉を開けてくれた兵士が、中に戻ろうとして動きを止めた。朱璃はひらひら手を動かし、虫を払うような仕種をしてみせる。

「虫が飛んでる。そこ、早く閉めた方がいいわよ」

「おっと、そうですか。では、ごゆっくり」

 信じてくれたらしい。彼は言われた通り扉を閉めた。しかし、外にもまだ数人の歩哨が立っている。

 腕を振り、小声で囁く朱璃。

「まだ声を出すんじゃない。庭園なら死角があるから、そこまで待ちなさい」

『はい……』

 姿の見えない何者かは、ひっぱたかれた頭を両手で押さえ、頷いた。




 旧議員宿舎の裏手には色とりどりの花の咲く庭があった。滅多に無い話なのだが、福島に王族や議員といった要職にある人物が訪れた場合、ここは彼等のための宿として使われている。そのため、この庭の手入れも欠かされることはない。

 頭上に浮かべた疑似魔法の照明と、複数の窓から漏れ出る光で照らされた庭園の中心部、池に寄り添う東屋に入ったところで朱璃がようやく許可を出す。

「もういいわよ」

「ふう、やっぱりこの術は苦手ッス」

 突然その場に現れる風花。霊術で光を曲げ、姿を隠していたのだ。まだ未熟な彼女の術を補助する道具だそうで、手にはここまで被って来た白い布を握っている。

「旧時代でいう光学迷彩ってやつね? そんな術まであるんじゃ簡単に潜伏されてしまうわけだわ」

『そう簡単な話でもない。戸籍だって用意する必要があるからな』

 やはり、さっきの風花と同じように何も無い場所から響く声。カトリーヌだ。このまま姿を見せないつもりかと訝るアサヒ達の前で、妹に対し問いかける。

『風花、テストだ。私がどこにいるか当ててみろ』

「そこですっ!」

 迷わず声の聴こえた方向を指す少女。

 ところが、後ろから回って来た手が彼女の口を塞ぐ。

「むぐッ!?」

「声が大きい。秘密裏に連れ出してもらった意味が無くなるだろ。それと不正解だ。声や物音がしたからといって、本当に相手がそこにいるとは限らないぞ。もっと正確に気配を探れるようになれ」

「ふぁ、ふぁいっ」

 驚きで目を見開く風花。カトリーヌは彼女の背後に立っていた。声が響いたのとは逆の位置に。

 アサヒもビックリした顔で彼女を見つめる。

「どうやって……」

「お前には以前にも見せたぞ、アサヒ。五感を欺くこの技、前回の一戦でな」

「あっ」

 そういえば、自分に向かって跳んでくるように見えた彼女が、実際には逆方向の朱璃を狙って移動していたことがあった。あの時と同じ仕掛けらしい。

「この程度で騙されていては先が思いやられる。蒼黒は私より遥かに性質が悪い。大阪に着いたら鍛え直してやるから覚悟しておけ」

「望むところよ」

 朱璃が不敵な笑みを浮かべると、一転、カトリーヌは肩をすくめる。

「いや、お前には必要無いだろう。気付いていたじゃないか、お前と大谷殿は」

「えっ?」

「そうなんですか?」

 風花とアサヒに見つめられ、朱璃は胸を張り、大谷は頷いた。

「ちょっと考えりゃわかるでしょ。コイツがフェイントを仕掛けないわけないじゃない」

「私は、霊術で光を曲げられるなら音の発生源も操作できるのではと思いまして、彼女の死角にいる可能性が高いと考えました」

「ほえ~」

「流石だ……」

 それぞれの回答を聞いて感心する風花とアサヒ。

 するとカトリーヌはおもむろに妹を抱き上げる。

「うひゃっ」

「あまりここに長居するわけにもいくまい。さっさと用事を済ませるぞ」

 そして再び霊術で姿を消した両者は、そのまま空中へ舞い上がった。カトリーヌが風花を抱えたまま飛翔したのだ。

 上空に遠ざかっていく気配だけを追いかけ、顔を持ち上げるアサヒ。

「いいの?」

 あの二人は南日本から送り込まれたスパイ。なのに北の地下都市をじっくり見させたら問題にならないか?

 ベンチに腰かけた朱璃は、お茶の入った水筒と茶菓子を取り出しつつ手招く。

「アイツとは何度も一緒にこの街に来てるし、今さらよ。どうせ調べられる限りのことは調べて報告済み。そもそも、もうすぐ南にくれてやるんだし」

「そっか……」

 北と南の間で交わされた契約が正しく履行されれば、この場所とさらに北にある仙台の地下都市は南日本へ譲渡される。たしかに、見学くらいは問題無いだろう。

「地下都市の構造はどこも大差ありませんので、自然、警備体制も似通ります。ことさら秘密にする必要はございません」

「なるほど」

 朱璃の隣に座りつつ、大谷の言葉にも頷く。ちなみに彼女は立ったままだ。王族の傍にいる限り、王室護衛隊の隊士はけっして油断しない。もちろんお茶を差し出されても固辞するので、朱璃も彼女の分は注がなかった。

 例外として、王族が命令した場合に限り、護衛隊士は従ってくれる。以前にもそういうことがあった。しかしこの生真面目な女性に休息を無理強いしては、かえって気が休まらないかもしれない。なのでアサヒも余計な口は出さずにおく。彼にも多少は、王族の一員としての自覚が芽生え始めていた。

「ほら」

「ありがと」

 自分の分のお茶を受け取り、一口啜る。この乾燥シイタケから出汁をとったシイタケ茶の味にもすっかり慣れた。味わうたび、少しずつこの時代に順応しつつあることを感じられて、その事実にもホッとする。

「これ、こないだのお菓子」

「うん」

 続けて受け取ったのは、例の秘密裏に製造販売されている甘味。包み紙から取り出して口に入れてみると、ぷるぷるした食感が面白かった。思ったより味が濃い。しかし雑味も多く感じた。そして焼き菓子のように香ばしい。

「どうよ?」

「おいしい。昔のお菓子に比べて、なんかこう、色んな味がするんだけど、俺はこれ好きだな」

「へえ、後でもっと詳しい違いを聞かせなさいよね」

「うん」

 そんなことにまで興味を持つのが朱璃らしいなと思いつつ、お茶をまた口に含む。味が濃く香りも強い分、昔の洗練されたお菓子よりこのお茶には合っている気がした。


 やがて風を切る音と共に、見えない気配が戻って来る。

 カトリーヌと風花が再び東屋の中に姿を現した。


「満足できたか?」

 問いかける姉に、妹は満面の笑みを返す。

「はい。けっこうボロッちいけど、まだしばらく住めますね。今の京都や大阪に比べれば、ずっとマシだと思います」

 もうすぐ移住するかもしれない街。だから先によく見ておきたい。彼女にそう頼まれたから、カトリーヌは朱璃達に協力を頼み、外へ連れ出してやったのだ。協力者と言えども、南の人間を自由に出歩かせるほど陸軍は甘くない。

「そうか……」

 妹の笑顔を見た彼女は、自身も満足しつつ、つい先日、六年ぶりに帰郷した大阪の現状を思い返す。


 秋田へ潜入していた期間は六年。

 まさか、たった六年であそこまで──


「カトリーヌさんと風花ちゃんも、お茶飲みます? お菓子もまだあるよね?」

「あるわよ」

 ベンチに腰かけたまま空いている場所を示すアサヒ。隣の朱璃は隠し持っていた菓子を風花の方へ差し出す。

「食べる?」

「わっ、いただきます!」

 素直に受け取り、包み紙から出して口に放り込む風花。

「わっ、ぷるぷる。初めての食感」

 のんきなものだ。しかし、それでいい。

(あれを……“蒼黒そうこく”を祓うには、きっと図太い神経が必要だからな)

 微笑み、カトリーヌもまた腰かけた。自分が立ったままでは、朱璃達の護衛をしている大谷の気が休まるまい。彼女も貴重な戦力。こんなところで疲弊させては先々支障が出てしまう。

「私の分の茶と菓子は無いのか?」

「今あげるから、そうがっつかないでよ」

 朱璃はそう言って、カトリーヌの分も湯飲みに注いだ。

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