九章・真実(1)

「やあ父さん、その様子じゃ、結局僕のしていることには気が付かなかったようだね」

「何を……何を言っている開明かいめい? どうしてお前が、ここに……」

「どうしてだって? それは僕が訊きたいよ」

 少年は小首を傾げ、実の父親に対して今まで一度も見せたことの無い表情を向けた。それを見た全ての人間が背筋に寒気を覚えるほどの酷薄な笑み。

「ねえ父さん? どうして、母さんを殺したりしたんだい?」



 ──三年前、開明は母の遺品を整理していた時、彼女が大切にしていた小箱の中に一枚の手紙を見つけた。それは彼が幼い頃に作って誕生日祝いに贈った小物入れ。母と自分の大切な思い出の品。

 母は父に見つからないよう、そして息子がその手紙を見つけ出してくれるようにと祈りながら思い出の小箱に告発文を隠したのだ。

 その手紙には父・剣照けんしょうが企てている計画の内容と唾棄すべき犯行の真実が記されていた。断片的な情報ばかりではあったが、最も近くにいた母は、それだけで父がしていることを悟ってしまったのだ。

「母さんは、父さんが裏で何をしているのかを偶然知り、告発しようとした。だから父さんに殺された、口封じのために──そうだろう?」

「そ、それは……」

「どうしたんだい父さん? さっきまであんなに饒舌だったじゃないか。外から聞かせてもらったよ、この先の展望も、朱璃達に何をしようとしたのかも、そして僕に対する評価も全て」

「う……ぐっ」

 剣照にはわからなかった。出来損ないの愚息だと思っていた少年に何故か気圧されている理由が。妻を、そしてこの息子の母を手にかけてしまったという負い目があるにせよ、なお不可解に思えるほどの凄味を我が子に感じる。

「母さんはきっと、女王陛下か緋意子おばさんに頼ろうとしたんだろう。でもそれに気付いたあなたは、おそらく二人のうちどちらかの名前を騙って母さんを呼び出し、その手にかけたんだ」

 そうでもなければ、辻斬り騒ぎで誰もが夜間の外出を控えていたあの時期に、聡明な母が一人で屋敷の外へ出かけたりするはずがない。

 開明は瞳はここへ来てからずっと父を見据えている。一瞬たりとも目を離したりはしない。卑劣な手段で己の妻を罠にかけ殺めた男。それが自分の父なのだから。

 彼はこの時のために、母の無念を晴らす瞬間のために三年の時を費やした。

「ま、待って下さい開明殿下! たしか、殿下のお母上は──」

「ああ、そうだよ高橋議員。母は“人斬り燕”に殺された。本物のあいつに」

 あいつ、と言いながら見据える先にはやはり剣照がいた。

「父さん、あなたはテストがしたかったんだろう? 知ってるよ、父さんが南に協力する見返りとして“霊術”を教わったことは。その威力を確かめたかったんだろう? でも南と結託していることは明かせない。だから辻斬りなんて方法で実験を始めたんだ。朱璃の開発する兵器だけではまだ“竜”に対抗するには不足かもしれないしね。予備のプランが欲しかった」


 つまり三年前の連続殺人、その真犯人は自分の父だと告発している。

 真実を知った者達は息を呑んだ。裏切った兵士達にまで動揺が走る。彼等もこれは知らなかったのだろう。


「で、では先程の人斬り燕は……?」

「偽者だ。南から送り込まれていた潜入工作員の弱みを握り、脅迫して身代わりに仕立て上げたんだよ。この子を人質にしてね」

 開明がそう言って投げつけた写真を拾い上げる議員達。覗き込んだそれに写っているのは椅子に縛りつけられ怯えた表情を浮かべる幼い少女。

 利用された工作員の娘か、妹か、いずれにせよ命を懸けるに値する大切な存在だったことは想像に難くない。

「こんな幼子を人質に取って……」

「剣照閣下、あなたという人は!」

「黙れ!」

 一喝と同時に兵士の一人から銃を奪い、発砲する剣照。それは開明の足下に着弾して床石を浅く削った。

 なのに、それでも開明は怯まない。

 剣照は顔に苦渋の色を滲ませつつ問いかける。

「お前がその写真を持っているということは……」

「うん、人質は救出した。その場にいた反体制派の連中も逮捕したよ」

「どこに……お前の指示に従う戦力が……」

「私が供出した」

「私もです」

 剣照の疑問に答える神木かみきと女王。

「遠征調査に出向いていることにして待機させておいた調査官三〇名」

「そして、王室護衛隊の全兵力を貸し与えました」

「そういうこと。この結婚式のおかげで日時が、調査官達の偵察のおかげで目標の施設が絞り込めたからね、施設を襲撃する予定だった別動隊は待ち伏せを仕掛けて無力化させてもらった。もうあなたの味方はここにいる分だけだ」

「調査官に王室護衛隊……か」

 少数だが彼等は精兵だ。数の上ではこちらが有利だったはずだが、事前に綿密な下調べをした上で罠を仕掛けていたなら、覆すことは十分に可能だろう。

「ヘッ……オレらの協力も無駄にゃならなかったか」

 床に押し付けられながら笑うマーカス。朱璃達がアサヒに特訓を施している間、彼は神木の命令で剣照一派の狙いがどこかを絞り込むために動いていた。まさか作戦を主導しているのが開明だとは思わなかったが。

「なるほど、ならば奴も……」

 朱璃が偽の人斬り燕を“ブ男”と言った理由を悟る。あの女、南日本の潜入工作員カトリーヌも最初からこちらに寝返ってなどいなかったということだ。おそらくマーカスに殴られて壁をぶち抜いたあの瞬間、用意してあった別人の死体と入れ替わったのだろう。対策局や王室護衛隊が協力していたなら、こちらの目を欺いて逃亡することもそう難しくない。

 自分達は女王一派の掌の上で踊らされていた。それを知り、敗北を理解した剣照は気力を失ってしまい、膝から崩れ落ちる。

「全て……全て、こうなる前から知っていたのか……」

「僕が伝えたからね」

 父の野望を挫いた開明は、ようやく視線を外し、苦い顔で俯く。


 ずっとこの時を待っていた。

 復讐の時を。

 最愛の母を殺した男が、己が夢を叶えたと思った歓喜の瞬間、その幸せの絶頂から転落する様を間近で見ようと思った。

 でも、ようやくその願いが叶ったのに気分は一向に良くならない。

 母の仇を取るために、自分の父を罠にかけたのだから。

 結局、どう転んでも気が晴れるわけなんて無かった。


 一息ついた後、顔を上げ、状況を再確認する。まだ父に対する忠誠心が残っているのか、それとも夢を諦め切れないのか、兵士達は銃口を下げようとしない。そんな彼等の顔を一つずつ見回し、語りかける。

「すでに勝敗は決した。君達も降伏するなら今のうちだ。今ならまだ、傷は浅くて済む」

 クーデターに加担した罪は重く、本人が許されることは絶対にありえないだろう。それでも、ここで白旗を上げれば家族だけなら助かるかもしれない。もちろん取り調べを受けた上で計画に一切加担していないとわかればの話だが、本当に無関係なら許してもらえるよう女王に頼み込むつもりだ。引き換えに罰を受けろと言われたっていい。自分もまた首謀者の息子なのだから。

「う……く……」

「くそ……」

 彼等としても一世一代の賭けだった。当然、負けたことを容易には認められず、互いの顔を見合わせながら迷う。

「……開……明」

「アサヒ、もう少しだけ頑張ってくれ。これが終わったら、すぐに君を地上へ搬送する」

 床に倒れたまま苦しみ続けるアサヒの姿を見て、開明も内心では焦っていた。父の最大の罪は彼に電撃を当てたことかもしれない。もしも彼の中の魔素が暴発したら秋田は終わりだ。他に無力化できる方法が無かったのだとしても危険な賭けに過ぎる。

(それだけ父さんも必死だったということか)

 だが自分達が勝った。もうおしまいだ。開明はもう一度降伏を勧めようとする。すでに外の兵士達は対策局と王室護衛隊が制圧済み。間も無く彼等はチャペルの中へも突入して来るだろう。そうしたらここで銃撃戦になるかもしれない。だからその前に銃を手放して欲しい。

 説得のための言葉を頭の中で練り込んだ彼は、しかし次の瞬間、それを忘れて叫んだ。

「朱璃!」


 ──父が、振り向きざま朱璃に銃口を向ける。


「開明ッ! お前が王となれ!!」

 そう叫びながら躊躇無く引き金を引く剣照。朱璃が、そして周囲にいた兵士や調査官達が一斉に彼女の前に障壁を展開する。重なり合い、偶然にも花のような美しい造形を作り出す無数の盾。

 だが距離が近すぎた。一発だけ彼等が反応するよりも速くその空間を通過し、朱璃の左胸に命中する。そして背中から真っ赤な血の花が咲いた。純白のドレスが見る間に同じ色で染まっていく。

「アアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!?」

 マーカスの悲痛な叫びがチャペル中に響いたのと同時、雷鳴のような轟音が彼等の間近で発生した。

「な、なんだ!?」

「ひッ」

 人々の目の前で、それまで苦痛に喘ぐばかりだったアサヒが立ち上がる。瞳が金色に輝き、口の端からその内心の怒りを示すような真っ赤な炎が漏れ出した。皮膚の表面で電光が幾度も弾け、髪が逆立ち、全身の筋肉が軋みながら膨張していく。

「ア……アカ、リ……よく、モ……」

 服越しでもわかるほど心臓が激しく光り輝き、明滅する。暴走しかけていた魔素が彼の強烈な怒りに呼応して“再現”をやめ、強烈な感情の支配下に降った。

 だが、それは危険が去ったことを意味していない。より大きな爆弾の導火線に着火してしまっただけ。周囲の魔素も渦を巻いてその肉体に吸い込まれていく。もはやいつ地下都市そのものを消し去るような爆発が起きてもおかしくない。


 いや、北日本全域が消滅するかもしれない。


「アサヒ殿、落ち着きなさい!」

「アサヒ!」

「ば、化け物め……!」

 やっと剣照も悟った。あれは人間に御せる代物ではない。倒すことも不可能。本気になったら自分達では傷一つ付けられず、火に油を注ぐだけで終わる。

 ならば──

「陛下、お覚悟!」

 せめて一人でも多くこの手で道連れにする。弾切れになった銃を捨て、女王から奪ったサーベルを手に本来の所有者へ刃を向ける。全身が青白く輝き、通常ではありえない速度を彼に与えた。

「霊術!?」

「陛下!!」

 最早勝機は無しと悟ったからか、それとも一度は王に忠誠を誓った者としての矜持が残っていたか、剣照の前に立ちはだかる兵士達。そんな彼等を容赦無く切り捨てて前進する悪鬼。光に包まれた刃が魔素障壁ごと骨肉を斬り裂いて命を奪う。

「おやめください閣下!」

 堪らず兵士の一人が発砲した。ところが剣照は人斬り燕と同じように宙に舞い上がってその攻撃を躱すと、ついに女王の前に降り立つ。そう、開明が言った通り、彼こそが真の人斬り燕なのだ。

 それでも女王は怯まなかった。倒れた兵士から奪ったのだろう、いつの間にか後ろ手にナイフを持っていた彼女は素早く手首の拘束を解くと、今度は銃を拾い上げて剣照の眉間へ狙いを定める。

 だが、その引き金を引く直前、間に割り込んで来た存在に気付いて躊躇してしまった。


 サーベルが振り抜かれる。

 その一撃は、自らを盾とした開明の右腕と顔を切り裂いた。


「あう、っ……」

「か、開明……そんな……」

 倒れ込んだ息子の姿を見て、とうとう戦意を失う剣照。その全身を包んでいた青白い光も消失した。

 そんな甥っ子を見下ろし、女王は再び銃を構える。

「……剣照」

「殺してください叔母上……私は、もう……」

「……カイ、明……」

 涙を流し、ただの父親に戻った彼と傷付き倒れた開明を見て、アサヒの中の怒りも霧散する。全身から力が抜けた彼は、それでもよろめきながら前に進み、朱璃の傍らに倒れ込んだ。

「朱璃……誰か、朱璃を……」

「あたしが処置する! まだ死ぬんじゃないよ、班長! おい、誰かあたしの手を解きな!」

 呼びかけられ、生き残った兵士の一人が門司の拘束を解いた。解放された彼女は即座に朱璃に対し応急処置を始める。

 兵士達は武器を捨て、他の面々の拘束も解いていく。完全に降伏したらしい。調査官達や剣照一派に属さない兵士が代わりに銃を拾って彼等に向けると、抵抗せず黙って頭の後ろに両手を当て、床に腹ばいになった。

「その者達を見張っていなさい」

「はい、陛下」

「では剣照、お別れです」

 彼等が治療の妨げにならないことを確認し、改めて甥の処刑を実行しようとする女王。

 しかし、またしても開明が二人の間へ割り込んだ。

「ま、待って……」

 肘から先の無くなった右腕を支えに、懸命に体を起こし、まだ残っている左腕を女王の前に突き出す。助命の嘆願ではない。その逆。

「僕に……撃たせてください」

 顔を斜めに切り裂かれ、左目は失明している。その左目から赤い涙を、右目から透明な涙を流して訴えた又甥に、女王は逡巡の後、銃を渡した。

「一発で決めなさい」

「ありがとう……ございます……」

 開明は銃口を父の額に押し当てた。こんな物を扱うのは生まれて初めてだし、利き手は失っている。でも、これなら絶対に外さない。

「……すまない、開明」

 父は謝罪した。今さらになって。

 息子は引き金を引く。その瞬間、父は嬉しそうに笑った。

「立派な姿だ」

「ッ!」

 その声が耳に届いた時には、もう父の頭の上半分が吹き飛んでいた。反動で腕が跳ね上がり、手が痺れ、銃を落とす。それが自分自身の罪から逃れようとした行為に思えて、きつく下唇を噛んだ。


 父は開明に王になることを望んだ。幼い頃は期待されていたのだ。あの頃の父の優しい笑顔を今でも鮮明に覚えている。

 けれど彼は重い責任を背負うことを嫌い、学問の道へ逃げた。


「だからきっと……これは僕のせいだ。僕が父さんにこんなことをさせてしまった。謝るのは……僕の方だ」

 独白した彼は、直後に意識を失って倒れる。血を流し過ぎた。

 すぐに女王が抱き止め、その場で応急処置を始める。

「誰か布を! 止血します!」

「朱璃! 朱璃ッ! 門司、どうにかしてくれ!」

「ああもう、わかってる! 集中させろ! 大の大人が喚くな!」

 怒鳴り散らす門司。その隣ではマーカスが今までにないほど狼狽し、何度も何度も亡き親友に対して謝罪を重ねる。

「すまねえ、すまねえ、すまねえ、良司りょうじ……」

 そこへ開明の読み通り王室護衛隊が雪崩れ込んで来た。剣照に加担した兵士達を拘束し、何人かは外で進路を確保するために再び駆け出して行く。

「おい、道を開けろ! 怪我人を病院へ運ぶ!」

「何が起きてるんですか!」

「誰かが怪我を!?」

「どけ! 皆、どいてやれ!」 

 集まった数万の人々が左右に別れ、わずかながら道が出来た。応急処置を受けた朱璃と開明が護衛隊士達の手で運ばれ、狭い隙間を抜けて行く。まだ剣照一派の残党がどこかに残っているかもしれない。そのため二人には布がかけられていたが──

「朱璃……朱璃……!」

「アサヒ様、殿下は大丈夫です。お戻りを!」

「いやだ、俺も……行く。朱璃、死ぬな……朱璃……」

 アサヒが名を呼びながら前を行く担架を追いかけて行くせいで、誰が負傷者なのかはすぐに人々の知るところとなった。

「王太女殿下が……!?」

「そんな、大丈夫なのか」

「もう一人も王族の方なのでは」

「お、おい、というかアレ……」

「そっくりだ。本当に初代王様に瓜二つ」

「あの方が“アサヒ”様……」

 ざわつく人々の狭間から抜け出したところで、ついにアサヒは力尽きる。

「朱、璃……」

 意識を失う直前まで、彼は懸命に手を伸ばし、朱璃の名を呼び続けていた。その姿は多くの人間の心に焼き付いた。

「アサヒ!? おい、どうした!」

 少し遅れて人波から抜け出した友之と小波が彼に駆け寄る。朱璃と開明は護衛隊によって病院へ運ばれて行った。

「やっぱり、まださっきのスタンガンのダメージが残ってるんだよ」

「クソッ、局長の読み通りか」

 彼等は神木からアサヒを地上まで搬送するよう指示され、追って来たのだ。まだ暴発の危険が完全に去ったわけではないらしい。

「しゃあない、行くぞ小波!」

「うん!」

 アサヒをおぶる友之。小波も頷いて並走する。

「私も同行します!」

 さっきまで姿の見当たらなかった大谷がやって来て二人の後に続いた。

 やがてチャペルの中から次々に兵士達が姿を現す。

「おい、王室護衛隊が陸軍の兵士を連行してくぞ」

「さっきの銃声はまさか」

「クーデター!? 剣照閣下が……?」

 ここに至ってようやく中で起きていたことを知った市民達は再び騒ぎ出した。連行される剣照一派に罵声が浴びせかけられ、逆にクーデターを支持する声も次々に上がった。それは彼等の間で新たな対立を生み出し、互いへの憎悪の言葉を飛び交わせる。この一件は今後も長く尾を引くことになるだろう。

 王室護衛隊は剣照や彼に斬殺された陸軍の兵士達の遺体と共に、南の工作員だと目されている“人斬り燕”の亡骸も回収。

 検分後、そのカルテには“男性”と明記された。

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