六章・忘我(1)

 翌朝、アサヒは再び朱璃あかりの研究室を訪れた。ただし今度は部屋の主と一緒に。

 朱璃と連れ立って入って来た彼の異変を察し、先に出勤していた友之ともゆきが目を皿のように広げて訊ねる。

「ど、どうしたアサヒ? なんか疲れてないか……?」

 その言葉通り、アサヒの眼下にはうっすらクマができていた。それもそのはず、昨夜はロクに寝ていない。

「床が固くて……」

「はぁ?」

「この馬鹿、一緒に寝ていいって言ってんのに床で寝たのよ」

「あ、なるほど」

 朱璃がアサヒの部屋へ移ったことを知っているのだろう。彼女の説明であっさり納得する友之。さらに、そのままアサヒをからかった。

「お前、据え膳喰わぬはなんとやらって知ってるか?」

「? いえ、わかんないです」

 アサヒが素でそう返したため、彼は「ありゃ」と苦笑した。

「お前ね、もっと本を読めよ。こないだ貸した分は全部読んだのか?」

「あ、すいません。まだ一冊残ってて。昨夜読んで、今日持って来るつもりだったんですけど……」

「いいよいいよ、ゆっくり読め。今は班長と親睦を深めるのに忙しいだろうしな」

「やめてください……」

 苦虫を噛み潰した顔でうめくアサヒ。寝ていないから、そういう下世話な冗談に噛み付く余裕も無い。自分が昨夜どれだけ辛い目に遭ったと思うのか。

(俺だって中身は一七歳の男子なんだ……)

 そりゃ同世代の女の子と同じ部屋で眠ることになった以上、意識してしまうに決まっている。たとえ相手があの朱璃であったとしても。

(見た目は可愛いし……)

 疲れているせいで少しだけ思考が素直になった。外見だけなら本当に、かなり可愛いと思う。正直言って好みだ。アサヒ本人は気が付いていないのだが、彼は結構なマザコンである。そして朱璃は伊東 旭の子孫だけあって彼の母の面影も受け継いでいた。だから惹かれないはずがない。

 ただ、初対面で抱いた恐怖と悪印象が大きすぎて、これ以上の好意を抱くことは難しい。そんな状態なのである。

「アサヒ様は、そろそろ覚悟を決めるべきだと思います」

 いつものようについて来て壁際に立った大谷が、突然そんなことを言う。驚くアサヒと友之。彼女がここで自発的に発言することは珍しい。

 それになんだか昨日までと雰囲気が違う。その変化に気付いた友之はこっそりアサヒに耳打ちした。

「おい、お前ら昨日何かあったのか?」

「え? いや、地上へ出る前に三人で少し寄り道を」

「カーッ、いいなあ、お前、班長だけじゃなく大谷さんとまでデートかよ」

「なっ……ち、違いますよ。そんなわけないでしょ」

「じゃあなんだよあの態度は。いつもよりお前を見る目が熱っぽいじゃねえか?」

「気のせいでしょ」

「いや、ありゃ絶対お前のことが気になってるって。俺はそういうの鋭いんだ」


 ──幼馴染こなみからの好意に全く気付いていない彼が言うと、何の説得力も無かった。


 なにはともあれ、このままだと苦手な色恋の話が延々と続いてしまう。一旦友之を押し退けたアサヒは部屋の奥へ向かった。

「ちょっと、もう一回顔を洗ってきますね」

「おう、これ使えよ」

 ハンカチを貸してくれる友之。体育会系な見た目に似合わず、こういうものはしっかり持ち歩いているし気遣いもできる。どうしてその能力をカトリーヌや小波相手に発揮できないのかが謎だ。

「ありがとうございます」

 礼を言って研究室の奥に備え付けられた洗面台へ近付く。今になって気が付いたが、ここは地下の自分の部屋と間取りが似ているようだ。

 直後、眉をひそめて首も傾げるアサヒ。不思議なことに、蛇口を捻っても水が出て来ない。

「あれ?」

「どした?」

「いや、水が出なくて……」

「またか。別の部屋のはいけると思うから、どっか借りて来いよ」

「そうします」

 なんだか慣れた様子の友之に言われた通り、朱璃に断りを入れ、大谷に同行を頼み、すぐ近くの男子トイレまで移動する。こちらは水こそ出たが、やはり妙に出が悪い。

 すると、その様子を廊下から見ていた大谷が嘆息した。

「これは配管が壊れたのかもしれませんね。後ほど設備課に点検を頼みます」

「……もしかして、よくあることですか?」

 さっき友之は“またか”と言っていた。珍しいことではないのだと思う。

 予想通り頷く大谷。

「古いですからね。この建物だけでなく、地下都市全体が」

「ですね……」

 昨日の朱璃との会話、そしてピラー上部から眺めた都市全体の様子を思い出す。今すぐにどうこうなってしまうわけではないだろうが、それでも確実にこの街の限界は近付きつつあるのだ。

 だからといって安易に地上へ出て行くわけにもいかないのがもどかしい。今の地上世界は人類にとって過酷すぎる。

(朱璃に期待するしかないんだろうな……)

 彼女の研究が実を結べば、近い将来には地上への移住も現実的になるかもしれない。アサヒは改めて自分に課された役割の重要性を噛み締める。

 研究室に戻った彼は、友之に借りたハンカチを返さず、窓際に干した。自分の顔を拭いた後でそのまま返すのも申し訳ないと思い、軽く洗っておいたのだ。

「ありがとうございました。まだ濡れてるんで、ここに干しときますね」

 三〇分もしたら乾くかもしれない。大谷が水と結合している魔素を操り、脱水までしてくれたのだ。兵士や調査官が身に着けている魔素の操作技術は洗濯にも役立つらしい。

「了解了解。他の水道はちゃんと出たか?」

「トイレのは使えました」

「そか。ならまあ急ぐ必要は無いけど、設備課には伝えないとなあ」

 ぼやいた友之は、さっきから白い布で小さな部品を丹念に磨き続けていた。彼は彼で何かのメンテナンス中らしい。

「あ、そうだ」

「ん?」

 彼が一部で人気の作家だと聞いたのを思い出し、友之の著作について訊ねてみようとするアサヒ。

 しかし、それより先に朱璃が会話へ割り込む。

「アンタ、さっきから何してんの?」

「あ、いや、ちょっと調子が悪いもんで整備を」

「へえ? 見せてみなさい」

 朱璃が覗き込んだ机の上にはたくさんの部品が並んでいた。それが何なのかアサヒにはしばらくわからなかったのだが、見覚えのあるグリップを見つけてやっと理解する。

「これ、いつもの銃ですか?」

「そう、班長が開発した“MWシリーズ”の突撃銃モデルアサルトライフル。初めて量産配備された型だぞ。正式名称はMW二〇五。MWってのはマジック・ワンドの略な?」

 この銃には、朱璃達の使う“疑似魔法”の効果を増幅する触媒が封入されているそうだ。だから“魔法の杖”と名付けたのだろう。

「数字はどういう意味なんです?」

「二〇〇番台は突撃銃がベースになってるって意味だ。二〇一から二〇四は試作品。元の銃の名前はAK四七って言って、大昔にロシア、いや当時はまだソ連か。ソ連で作られた傑作銃でな、世界中で使われてたんだぞ」

「へえ……」

 銃のことには詳しくない。なにせ、あの頃の日本では滅多に見る機会の無かったものだ。だから説明を聞いてもアサヒにはいまいちピンと来なかった。

「日本にもたくさんあったんですか?」

「いや、研究用に輸入してたって話は見たけど、自衛隊の装備にはなってなかったんじゃないか? こいつはたまたま初代王の時代から遺ってたもんを解析して造られたレプリカだよ。たしかマーカスさんのご先祖の持ち物でしたっけ?」

「そう、海外から来たマフィアだったらしいわ」

「なるほど」

 つまり精巧な紛い物だ。自身の境遇と重ね合わせたアサヒは親近感を抱く。

 友之はさらに解説してくれた。

「こいつは単純な構造でな、おかげで今の技術でも再現しやすかった。それに造りがシンプルな分、どんな環境でも動作不良を起こしにくくて整備も楽ときてる。流石は世界一多くの兵士に使われた軍用銃だよ」

「凄いんですね」

 この銃もだが、友之の知識量にも驚かされる。流石、特異災害調査官と作家を兼業しているだけのことはある。

「ちなみに一〇〇番台は狙撃銃型。スナイパーライフル三〇〇番台は短機関銃サブマシンガン型。四百番台は軽機関銃型ライトマシンガン。五〇〇番台は重機関銃型ヘビーマシンガンだ。今のところMWシリーズはこの五種類しかない」

「あれ? 昨日朱璃が使ってた拳銃は?」

「ただのデリンジャーよ。魔法を増幅する機能は無いわ」

 友之ではなく本人が、無数の部品を眺めつつ回答した。

「デリンジャー?」

「一発か二発しか撃てないちっこい銃だな。隠して持ち運びやすいから昔は護身用や暗殺目的で使われてたもんだ」

「へえ……あ」


 暗殺、という物騒な言葉が出たことで、アサヒは懸案を思い出す。


「そうだ朱璃、昨夜の話……」

「わかってる。他の皆が来たら始めるからそれまで待ってなさい」

 直後、朱璃は部品を一つだけ目の高さまで持ち上げた。さらに頭上まで掲げて何かを確認し、小さく頷く。それは液体の入ったガラス管のようなパーツ。昨日の実験で使った装置に似ている。

「不調の原因はこれね。魔素整流管のここんところ」

 と、管の端の部分を指差す。そこには青みがかった金属のフタが嵌っていた。

「何か変ですか?」

「よく見なさい、くすんでるでしょ。劣化してるわよ」

「えっ?」

 たしかに、よくよく見ないとわからない程度にその部分だけ変色していた。ほんの少しだけ黒ずんでいる。

「前回交換してからの期間は?」

「三ヶ月です」

「半年は保つはずだけど、品質にムラがあるのかしら?」

 舌打ちする彼女。現在の技術では、どうしても昔ほど工業製品の質を均一に保つことは難しい。それにしたって六ヶ月が三ヶ月になってしまうのは問題だが。この誤差は命がけで任務に当たる自分達にしてみると大きい。

「別の要因も考えられるし後で改めて検査する。これはもうこのままにしておいて保管庫から予備の銃を持って来なさい。ついでに持って来てもらいたい物もあるし。ええと……ほら、申請書」

「ありがとうございます」

 新しい銃を持ち出すための申請書に素早く必要事項を記入し、手渡す朱璃。友之は「なんか多くありません?」と首を傾げたものの、朱璃と二言三言交わした後に敬礼して出口へ向かった。

「あ、ついでに設備課に水道のこと言ってきますよ」

「お願いね」

「うっす」

 彼が出て行った後、アサヒは机の上に並べられた部品を眺め、風変わりなものを見つける。

「これって、もしかして?」

 透明なキューブの中に小石と砂が封じられていた。他にも透明な液体が入っているものや黒い石と色の付いた液体の組み合わせなど計五種類ある。

「それが触媒」

「やっぱり」

 彼女達の使う“疑似魔法”とは、自分の脳内に思い描いたイメージを体内の魔素に再現させ放出する、いわば人為的な小規模記憶災害だ。そのため通常の記憶災害と同じように周囲の環境から影響を受ける。雲の中で記憶災害が発生すると竜巻になったり飛行型の竜が出現してしまうように、銃の中に自然環境の一部を封入しておけば体内から放出した魔素はその触媒に触れつつイメージの再現を始める。それによって方向性がより明確に定められ魔法の効果が増す。そういう仕組みらしい。

「こんなに小さいんだね」

「大きくちゃ本来の銃としての機能に支障が出るもの。小さくても十分な効果を発揮する触媒だけに厳選してあんのよ」

 それを見つけ出すために、かつての朱璃は何百何千時間と調査研究を繰り返してきたのだとも聞いた。

 アサヒは無意識のうちに手を伸ばす。

「朱璃は偉いね」

 そう言って彼女の頭を撫でた。

「……は?」

「あっ」

 しまった、いったい何をしてるんだ自分は。我に返り青ざめるアサヒ。こんな子供扱いをしたら怒るに決まってるだろう。慌てて手を引っ込めたものの、時すでに遅し。

 朱璃はニコッと微笑んだ。いつもの小馬鹿にするような笑みより、そっちの方が遥かに恐ろしく感じる。

「アンタに挫けられても困るから多少は加減してやろうと思っていたけど、おかげで気が変わったわ。今日の特訓はスパルタ方式に変更よ」

「お、お手柔らかに……」

「ご愁傷さまです」

 大谷は触らぬ神に祟り無しとばかりに明後日の方向を見つめ、心の中で合掌した。

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