一章・血族(2)

「二つ、君には早急に子供を作って欲しい」

「ぶっ!?」

 あまりの要望にむせて吹き出してしまう。この少年、タイミングを計っていたのだろう。うろたえるアサヒを眺め、意地の悪い笑みを浮かべた。

 幸い、咄嗟に顔を背けたため剣照にはかかっていない。とはいえ、代わりに神木の袖が犠牲になってしまったから結果は大体同じだ。慌てて頭を下げる。

「すいません!」

「気にするな、そこの悪ガキが原因だ」

 神木は言葉通り、顔色一つ変えずハンカチで袖を拭う。良い意味でも悪い意味でも本当に動じない人らしい。

 その様子を面白くなさそうに見つめ、言葉を続ける開明。

「言っておくけど冗談じゃないよ。陛下は本気で曾孫の誕生を望んでいる」

「んなっ……!? で、でも朱璃はまだ一五歳だよ?」

 自分だって一七歳だ。そんなことをするには早すぎるだろう。

 常識的だと思ったアサヒのその意見は、しかしあっさり否定された。

「君の考えは旧時代的な物の見方だ。現代においては珍しいことではない」

「平均寿命が昔とは違う。早期に子を作ることは、むしろ国を挙げて推奨している」

「そういうこと。僕だってもう結婚できる年齢だよ。この国では中学校を卒業することが即ち成人でもあるんだ」

「ええ……?」

 三者に口を揃えて説得され、そういうものなのかと一瞬納得しかける。いやしかし、だからといって朱璃とそういうことをする気になれるかといったら、やはり話は別。

 そもそも相手が誰だろうと駄目だ。気が早すぎる。まだあの筑波山での出会いから三ヶ月しか経っていないのだ。

(だいいち、俺や朱璃の気持ちを無視しすぎだろ)

 抗議しなければと、そう思った。大きく息を吸って身を乗り出すアサヒ。ところが、いざ口を開こうとするとなかなか言葉が出て来ない。この少年、元来内気な性格なのだ。普通に剣照と神木の迫力に負け、怖気づいてしまう。

「え、ええっと……ですね……」

 その様子を見て、またも開明が笑った。ただし苦笑だったが。

「はは、面白いね君は。その気になれば僕達を一瞬で皆殺しにできる力の持ち主なのに、何をそんなに怖がってるんだい?」

「……そんなことはしない」

 ようやく絞り出せた反論の言葉は、それだけだった。自分は絶対にこの力で人間を傷付けたりしない。それだけは朱璃との結婚や子作り以上に許容できない。

 開明はそんなアサヒを見つめて「うん」と頷き、微笑む。

「だろうね。君は悪さができるような“人”じゃない」

「それについては、まだこれから見極めることになるが」


 再び剣照が口を開き、女王の願いを語る。


「三つ目。これが最重要だ。初代王と同じように、君にはここに留まっている間、最大限我が国の防衛にも助力してもらいたい」

「それはつまり……シルバーホーンみたいな敵が現れたら、戦えと?」

「君の力が必要になるほど強大な相手が現れたなら、当然そうなるだろう。だが平時に君を頼るつもりは無い。君がおらずとも我々は二〇〇年間生き延びて来た。今さら君一人に国防を頼ろうとは、こちらとしても思っていない」

 じゃあ何を? 訝るアサヒの前に神木が数枚の書類を差し出す。

「目を通してくれ」

「これは……?」

 何かの設計図だ。機械のように見える。

 電力が使えなくなったこの世界で?

「それらは朱璃が開発中の新兵器だ。どれも課題が数多く残されているため実用化には至っていない。しかし当人が君の協力さえ得られれば短期で完成へこぎつけられると言っている。

 つまり君への三つ目の願いは、正確に言えば研究開発への協力要請だ。可能な限り朱璃の研究に手を貸すこと。これは君という“災害”をここに置いておくための交換条件でもある。最低限これだけは絶対に守ってもらう。残り二つを拒否したとしてもな」

 裏を返せば他の二つに対しては拒否権があると? 驚くアサヒ。有無を言わさず三つの条件全てを飲めと言われるものだと、そう思っていた。

 三者はそれ以上何も言わず沈黙する。返答を待っているのだ。アサヒはしばし考え込み、やがてゴクリと唾を飲み込む。

 若干、緊張しながら答えた。

「わかりました。その……子供を作るというお話以外は、頑張ってみます」

「まあ、そこに関しては仕方あるまい」

 妥当な線だと頷く剣照。その横でにこりと笑う開明。

「知り合ったばかりだからね。愛なんてこれから育めばいいさ」

(いや、そもそも結婚したくないんだけど……)

 とは言えない臆病な自分が嫌になる。

 一方、神木もアサヒを見つめたまま、何か納得いかないという表情で眉をひそめていた。初めて人間らしい顔を見せた彼女のその姿に、ちゃんと感情があったんだなと少しばかり安心する。

(どうして朱璃と縁を切ったのか気になるけど、まだ聞ける感じじゃないよな……)

 単にそう訊ねる勇気が無いだけなのだが、雰囲気のせいにしてアサヒは問題から目を背けた。直後に部屋を出て別れて以来、この時の三人とは顔を合わせていない。

 いや、顔を合わせていなかった。

 今朝までは──




「お……おはよう」

「遅い!」

 約束の時間に遅れること五分。案の定、研究室に入るなり怒声が飛んで来た。

 ところが白衣で身を包むポニーテールの小柄な少女・朱璃は、アサヒに続いて入室して来た相手を見るなり片眉を上げ態度を変えた。

「って、アンタのせいね」

「決めつけは良くないんじゃないかな?」

 肩を竦め、アサヒの後ろから姿を現す開明。双子のように似た顔の二人の視線が真っ向からぶつかり合う。

「物事はしっかり見定めた方が良い。調査官としての資質を疑われるよ?」

「確認するまでもない事実だってあるわ。アンタ、蟻が砂糖にたかるのを見て『どうしてかな?』って思うわけ?」

「そうだね、僕なら『貴重な砂糖をこんなところに落としたのは誰かな?』って考えると思う」

「アタシじゃないわ」

「僕達が子供の頃、おばあさまから貰った飴玉がいつの間にか消えていて、蟻達がそれらしき物体に群がっていたことや、それを君が自分の飴玉を頬張りつつ熱心に眺めていた時のことなんて、僕は一言も言っていないよ」

「そう、それでアサヒ、アンタなんで遅刻したわけ?」

 いきなり話を振られ、正直に答えてもいいのかと迷ったアサヒは開明を見やる。少年は構わないよと小さく頷いた。それを確認してから朱璃の方へ向き直る。

「えっと、廊下でバッタリ開明君に会って……色々話しながら来たから……」

「ほら、アンタのせいじゃない」

「だとしても確認することは大切さ。万が一って場合もある」

「はいはい、それで何の用なの学生さん?」

 遅刻について問い詰めても埒が開かないと思ったのだろう、別の質問を投げかける朱璃。開明は研究室の中をグルリと見渡しながら答えた。

「別に、ちょっとした見学。将来はここで研究員になるのも面白いかと思ってね」

「許可は?」

「緋意子おばさんのお許しなら、もちろん貰ってある。機密に触れない程度でなら自由に見て回っていいそうだよ」

 どうだい? 探るような眼差しを向ける開明。すると朱璃は珍しく自分から先に視線を逸らした。アサヒはちょっと驚かされる。

(あいつのことが苦手なのか?)

「なら、ここからは出て行きなさい。常識的に考えりゃわかるでしょ、アタシの研究室は機密扱いの物だらけよ」

「君が常識を語るかね。まあ、そういうことなら退散するよ。またそのうちに話をしよう。ああ、それとアサヒ、僕のことは開明と呼び捨てにしてくれて構わない」

「あ、うん、また」

 あっさり引き下がった彼にも驚きつつ、本当に退室していくその背中を見送った。開明にも監視役の調査官が一人付けられていたのだが、その男も一緒に立ち去る。

(あれ?)

 監視役がいるのに開明が研究室の中に入るのを止めなかった。単にうっかりしていただけだろうか? 何か引っかかるものを感じる。

「んん?」

「いつまでボケッと突っ立ってんの」

「あ、ごめん」

 叱られて朱璃の傍まで駆け寄るアサヒ。彼の監視役である大谷は、室内全体を見渡せる壁際に立って待機状態に移行した。ここへ来た際の定位置だ。

「他の皆は?」

 朱璃には十数人の部下がいる。地上で調査活動を行う際に連れて行く調査官と、ここで研究開発を行う場合にサポートさせる研究員だ。しかし今朝は誰一人、その姿が見当たらない。

「例の装置が完成したから、先に実験場へ行って組み立ててるわ」

「装置?」

「アンタが先月ぶっ壊したやつよ。改良版がようやくできたの」

「あ、ああ~……」

 思い出した。先月この対策局本部の敷地内で研究室に収まりきらない大型装置を使った野外実験が行われたのだ。野外と言っても都市全体が地下だが。

 その際、思いっ切りやりなさいと言われた彼は言葉を額面通りに受け取って全力で挑んでしまった。結果、実験装置はバラバラに砕け散り、挙句、地下都市の内壁に大穴が空いたのである。後で物凄く怒られた。

「あれを……またやるの?」

「安心しなさい。前回の教訓を活かして今度は地上で実験することにしたわ」

「え?」

 思わぬ言葉を聞いて目を見開くアサヒ。

 それはつまり、もしかして──

「地上に出られるの?」

「たった今、そう言ったばかりでしょうが!」

 怒らせてしまった。でもアサヒは心が浮足立つのを自覚する。久しぶりにこの建物から出られるのだ。さらに地上へ上がれる。嬉しくないはずがない。

 そんな彼の表情を見た朱璃も、フッと苦笑して力を抜く。

「ついでだし街も見せてあげるわ。実験場へ連れて行く許可が降りただけだから、途中で少しだけね。局長には黙ってなさいよ?」

「ほんとに?」

 ますます興奮するアサヒ。当面無理だろうと思っていたことがいっぺんに叶ってしまいそうなのだ。無理も無い。

 しかし、そこで大谷が口を挟む。

「殿下、それは……」

「エレベーターまで、ほんのちょっと遠回りをして行くだけよ。大丈夫でしょ、アナタもいるんだし」

「……はい」

 一瞬の間を空け、頷く彼女。まだ迷いは残っているようだが、それでも朱璃の言葉には逆らえないらしい。さっきの開明のことといい、王族の発言力とはそんなに強いものなのだろうか?

「さて、それじゃあ」

 何故か白衣を脱ぐ朱璃。ここで研究者として働く時にはいつも羽織っている物なのだが、その下から意外なものが現れた。

「あれ?」

 朱璃はこれまで、いつも黒一色の飾り気の無いスキンスーツを着用していた。なのに今日は黄色と白。手足が白でそれ以外は黄色。下半身にスカート状のパーツが付け足されておりワンピースのように見える。

 ちなみに侍女の小畑の服もそうなのだが、衣擦れによる静電気の発生を防ぐため、この時代のスカートはワイヤーによって形状が固定されている。つまりは傘のような構造。

 元々整った容姿なので、少女らしい格好をすると普通に可愛く見えた。

 とはいえ三ヶ月の付き合いは伊達じゃない。アサヒは嫌な予感を覚える。なんだか話が美味すぎるような気がしてきた。

「何か企んでる?」

 彼の問いかけに、少女は呆れ顔で答える。

「デートよデート。婚約したってのに、ちっともらしいことしてないでしょうが」

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