第二部
序章・鳥籠
──あれから三ヶ月が経過した。あの日、筑波山で目を覚ましてから九〇日余り。まだ三ヶ月だが、もう三ヶ月だとも言える。かつて人類を救った英雄・
「ハァ……」
天井を見上げたまま、疲れた顔でため息。また、あまり眠れなかった。頭上に浮かぶ光球。疑似魔法で作られた照明。二四時間点けっぱなしのあれのせいだ。何度か就寝中くらいは消してくれないかと訴えたものの、まったく聞き入れてもらえない。
明るいと悪夢を見るのに。
「……母さん」
起き上がり、呟きながら手の平を見た。夢の中ではこの手で母の腕を掴んでいた。竜の牙に千切り取られた右腕を。
ここ最近いつもあの夜の夢を見る。近いような遠いような、そんな昔日の夢。東京が火の海になり世界中で数十億の人々が死んだ“崩界の日”の記憶。
ここは故郷から遠く離れた秋田市。その地下七〇〇m以上の深度に建造された街一つを内部に収める超巨大シェルターだ。彼が暮らす特異災害対策局本部は地下都市内縁部の南側に位置している。地上部分は五階建て。地下にも三階。この場所は最下層。元は倉庫だったらしいのだが、彼が来る直前、軟禁するための場所として改装された。窓は無く、照明を点けないと何も見えない。
だからといって四六時中照らさなくてもいいと思うのだが、監視のために必要らしい。唯一の出入口は分厚い鉄扉で、覗き窓から定期的に見張りの兵士が室内をチェックしてくる。今のアサヒは暗闇を苦としないが、普通の人間には問題だ。なのであの照明は彼等を安心させ、信頼してもらうための対価と考えるしかない。
「……」
無意識のうちにアサヒは、室内に母の姿を探していた。ふと我に返り、いつもいつも馬鹿なことをと自分に呆れる。こんなところにいるはずが無いのに。
母は女手一つで自分を育ててくれた。けれど、そのために夜間も働きに出ていることが多かった。だから小さい頃、母が不在の夜にはこんな風に照明を点けながら寝た。母も息子を一人で残していくことが心配だったようで、防犯のためにと許可してくれた。
だが寂しさからか、他に誰もいない恐怖からか、結局悪い夢ばかり見て翌朝家の中で母の姿を見つけるまでは安心できなかった。おはようと抱きしめてもらって、それでやっと安らぎを得た。
でも、母はもういない。
(死んだわけでも、ないのかもしれないけど……)
母はある場所に囚われている。かつての自分は彼女を助け出そうとして、自らも同じ境遇に陥ってしまったらしい。二〇〇年もの間、巨大なドラゴンの体内で親子揃って囚われの身だ。
けれど、次こそは──
(いや、まあ、焦ってもしかたないよな)
一人でどうにかできる問題ではない。オリジナルの自分と同じ過ちを犯さないためにも、今は着実に準備を整えていかなければ。自分にはまだまだ足りないものが多すぎる。
次の瞬間、気持ちを切り替えてベッドから降りた。すると、唐突に頭の中でイメージが浮かび上がる。赤毛の少女と抱き合う自分の姿だ。言葉というほど明確でなく、けれども言いたいことは伝わって来る思念。それが彼に語りかける。
【つがいになるなら、あの娘を抱けば良い】
同居人の仕業だ。頭の片隅に自分を見て笑っているような気配。ただ一言、うるさいと返して余計なイメージを掻き消す。これだから野生動物は。
「人間は、お前らドラゴンとは違うの」
言ってやると、今度は憎々し気に反論してきた。我々が単純なわけではなく、お前達が生殖活動を複雑化しすぎているだけだ、と。そしてまた別のイメージが浮かび上がって来る。
「や、やめろ!? お前らの交尾の記憶なんか見せるなっ」
頭をぶんぶん振りたくると、やっと同居人からの干渉が消えた。起き抜けになんてものを再生するのか。
その時、ガチャリと音がして柔らかい声が室内に響く。
「おはようございます、アサヒ様」
「はいっ!?」
今しがた見せられた記憶のせいで思わず声が上ずってしまった。我ながら格好悪い。
室外から監視している兵士が起床に気付き、告げたのだろう。唯一の出入口の鍵が外から開けられ、
大谷はクセッ毛の上にヘルメットを被っており、肌にピッタリ張り付くスキンスーツの胴や関節部にはプロテクターを縫い付けてある。色は赤で左肩にだけ金色の星が刻印してあった。この国を守る三つの軍隊のうち最も人数が少ない王室護衛隊に所属する証。兵士としての実力だけでなく、王族に対する強い忠誠心も認められた者だけが入隊できる精鋭中の精鋭らしい。
そんな大谷に見守られつつ、小畑が洗濯済みの衣服を差し出す。
「お召し物です」
「ありがとうございます」
それを受け取り、一瞬躊躇ってからその場で着替え始めるアサヒ。異性の前で裸になどなりたくないのだが、今の彼は目の届かない場所へ隠れることを許されていない。
これではまるで囚人だ。
とはいえ二ヶ月以上も同じことを繰り返しているし、流石に彼女達に見られることには慣れてしまった。
この服もそう。ラテックスのような光沢を放つスキンスーツ。素肌にピッタリ張り付き体型が丸分かりになる。これを初めて着た時には恥ずかしく思ったものだが、今ではなんともない。そもそも寝間着も若干薄手に作られているだけで同じ素材かつ同じ構造なのだから、否が応にも慣れるしかなかった。
一応、手足に比べて胴体部などは生地が厚くなっており、遠目にはシャツやスパッツを重ねているようにも見える。染色も可能な素材なので、アサヒは厚い部分を黄色がかった薄い赤色にしてもらった。
「お食事をどうぞ」
着替えている間に小畑が朝食の支度を調えてくれた。いつも通り、パンや目玉焼きなどオーソドックスな洋風のメニュー。たまには白米を食べたいと思うのだが、今の時代では貴重品らしい。王族ですら月に一度しか食べられないそうだし贅沢は言えない。
小麦も潤沢というわけではないので、パンにはどんぐり等の粉が混ぜられている。そのせいか旧時代のものに比べるとボソボソしていた。けれど、これでも現代ではかなり上等な部類の食事だそうだ。一般人はさらに質素だと聞く。
三枚あるベーコンのうち一枚をフォークで突き刺すと、いつものように罪悪感が首をもたげた。
(俺が食べても、あまり意味は無いんだけどな……)
この体は魔素の塊。本当の人間ではなく人間を模倣しただけのもの。たしかに空腹にはなるのだが、別に食べなくても死ぬことは無い。特異災害対策局もそれは知っているはずなのに、毎回きちんと食事が出される。
(まあ、嘘がバレないようにってことなんだろうけど)
──現在、アサヒは王族の一員ということになっている。素性をそのまま公表するわけにはいかないからだ。
そこで彼の正体を知る者達は協議の末、彼を南日本に隠れ住んでいたもう一つの王家の末裔ということにした。二〇〇年ほど前、突如として行方知れずになった初代王は南日本へと渡り、そこでまた子を授かっていた。彼の血を引くその一族は長年自分達の出自を秘密にしていたのだが、アサヒが彼と同じ能力に目覚めてしまったため真実が露呈。北日本との戦争に利用されそうになり、祖先の故郷と戦うことを拒んで亡命した。
そんな
だから、その嘘がバレないように特別扱いを受けている。アサヒはこの“豪華な食事”の理由をそう推察した。
(俺は皆と同じでいいんだけどな)
むしろその方がありがたい。毎回こんな心苦しい気持ちにならなくて済むから。純粋な厚意が含まれていることも、わかってはいるのだけれど。
塩を振った目玉焼きが美味しい。鶏卵も今の時代は結構な贅沢品だ。丸々一個を一人で食べられる機会は珍しいという。
(そういや友之さんは、食べる楽しみが少なくて本好きになったって言ってたな……)
食が侘しい反面、ここ北日本王国では娯楽に力を入れている。地下都市という閉鎖環境内でのストレスを軽減するため、人を楽しませることを目的とした商業活動が奨励されているからだ。
その一つとして創作がある。驚くことに旧文明が崩壊した今でも漫画や小説が新たに刊行され続けており、多くの人々が好きな作品の新刊を心待ちにしている。
もちろん昔のように大量に刷ることは難しいが、人口もさほど多くないため少数を印刷して各地下都市へ配布すれば事足りるらしい。古くなって図書館から溢れた書籍はやがて市場に放出される。朱璃の部下の相田 友之はSF作品を中心にそういった古書を集めているそうだ。アサヒも彼から数冊のオススメを借りており、それを読み進めてから眠るのが最近の日課になっている。
この部屋では食事と読書以外に楽しみが無い。小畑はともかく、大谷は世間話に付き合ってくれるタイプではないし、アサヒ自身、自由に外へ出られないため話題に乏しい。部屋から出たとしても行動を許されているのは対策局の敷地内だけ。さらに、どこへ行くにも監視付き。正直言って息が詰まる。
(いつになったら俺、街を見に行けるんだ?)
秋田へ来た目的の一つは現代の人々の生活を見ることだった。でも、今のところは初日に馬車の中から少し眺められた程度で、それ以降全く機会に恵まれていない。まさか、このまま残り何年あるかもわからない寿命をこの建物の中だけで過ごすのだろうか?
嫌な想像が脳裏をよぎり、ため息をつきそうになる。でもギリギリで堪えた。食事中にそんなことをしては料理にも用意してくれた人にも失礼だろう。今は余計なことを考えず、感謝しながらしっかり味わうとしよう。
黙々と食べ進め、最後に海藻たっぷりのスープを飲み干して食事を終える。手を合わせ、ごちそうさまでしたと言って立ち上がり、自発的に食器の片付けを手伝った。
「いつも、申し訳ございません」
「いえ、こちらこそ」
本来これは小畑の仕事なので、手伝ってはいけないらしい。けれど自分は精神的に庶民であり、人任せにするのは心苦しい。そう説明して頼み込んだら、渋々ながらも手を貸すことを許してくれた。以来、毎日同じやりとりをしている。
片付けが終わると、小畑は食後のお茶を淹れてくれた。三人分だ。
「どうぞ、アサヒ様。大谷さんも、こちらへ」
「わかりました」
「はい」
律義に呼ばれてから移動する大谷。壁際からアサヒの前まで移動して着席し、彼女が席についたところでゆったりとお茶を楽しむ。
(この味にも慣れてきた……)
お茶はお茶でも、これは乾燥させたシイタケから出汁を取ったシイタケ茶だ。地下都市は年間を通して気温が三〇度前後に保たれているため茶葉の栽培には不向きらしい。逆にキノコの成長は早いものだから様々な料理に用いられている。さっきのスープにも入っていた。
思えば寝ている間も気が休まらない今、一日のうちでこの食後の一杯を楽しんでいる時こそが最もくつろげる時間かもしれない。
とはいえ、それもやはり永遠ではない。やがて大谷が機械式の腕時計を見つめ、静かに立ち上がった。
「そろそろ、お時間です」
「あ、はい」
安らぎの時は終わった。ここからは義務を果たさなければ。働かざる者、食うべからず。王族扱いの自分とて例外ではない。
アサヒは部屋の隅にある洗面台へ移動し、歯を磨き、ヒゲを剃って、冷水と石鹸で顔を洗った。この体は魔素という微粒子が集合して出来ている。なのに人体を完璧に再現しているものだから、肌は皮脂で汚れるし体毛も伸びる。余計な機能は省いてくれてもいいのにといつも思う。
いつもと言えば、この水道にも驚かされる。記憶災害発生のトリガーとなるため電力が使えなくなった今の時代、それでもきちんと綺麗な水が出てくるのだ。かつて整備されたインフラが二五〇年経った今でも改良を加えられ機能し続けている。その事実に、当時の建設に携わった彼は感動すら覚えた。人間の技術と創意工夫は素晴らしい。
約束の時間の一〇分前、手早く支度を調えて部屋を出た。毎朝八時に一階の研究室まで顔を出すように言われている。
そういう契約を交わした。
小畑は掃除等の仕事があるため地下室に残り、大谷だけが後ろについて来る。地下には他にも何人かの見張りが立っていた。全員が大谷と同じ王室護衛隊。
彼等に睨まれると、いつも気後れして足取りが鈍くなる。
「お急ぎを」
「はい」
再び大谷にせっつかれ、今度は急ぎ足で階段を上る。王族に忠実な護衛隊員の割に、この人は自分に対する当たりが強いような気がした。彼女には、まだ王家の一員と認められていないのかもしれない。
(まあ、俺にもそんな自覚は無いけど)
王族は“伊東 旭”の子孫なのだから、その一員だと言われれば否定し難い。とはいえ、王族らしく振る舞うのも庶民として生きてきた一七年間の記憶しか持たない自分には難しい。
そんな、らしくない部分を嫌われているのかもしれない。あるいは正体を見抜かれてしまっているのか……後者の可能性にやっと気が付き、アサヒは小さく身震いした。
「どうしました?」
「あ、いえ、少し寒気を感じて」
「そうですか、たしかに地下は冷えますからね」
実際、上へ行くほど温度も上がって来た。ほどなくして頭上が明るくなる。彼の姿に気付いた兵士が地上部分へ通じる扉を開けたのだ。
扉の向こうから流れ込んできた風が熱い。地下都市内は一年中夏の気温。そう考えると地下階の方が快適に過ごしやすくはあるのかもしれない。
(でも、地下都市なのにさらに地下階って言うのおかしい気がするよな)
そんなどうでもいいことを考えつつ一階の廊下に出る。地下階の暗さに慣れた目には窓から差し込む光が眩しかった。
ちなみに、この光は数億本の光ファイバーや鏡を利用して地上から取り入れられている。旧時代に省エネ目的で組み込まれたシステムなのだが、まさか二五〇年後の世界でまで活用されているとは思わなかった。
二人は目が慣れるまで少しの間その場で立ち止まっていた。そして、やっと研究室に向かって移動を再開しようとしたところ、横合いから声をかけられる。
「やあ、久しぶり」
「?」
どことなく聞き覚えのある声。気さくな調子だし知り合いだろう。でもすぐには誰だか思い出せなかった。振り返って、顔を見たところで眉をひそめる。声からは予想しえない相手だったから。
「
「いやいや、前回も言ったけれど、違うよ」
「あっ……ごめん、また間違った」
勘違いに気が付き、さらに驚く。そこにいたのは彼をこの地下都市まで導いた少女・
この少年の名は星海
北日本を統べる王族の一人。
彼の父と朱璃の母が従兄妹なので、朱璃にとっては“はとこ”に当たる人物だ。そしてアサヒのオリジナル・伊東 旭からすれば、遠い子孫の一人である。
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