一章・崩界(3)
服装は体型にぴったりフィットしたラテックス風素材のスキンスーツ。とはいえ化学的に合成されたものではなく、とある生物の大腸を加工して作ったものだ。彼女だけでなくチームメンバー全員が同じスーツを着用している。
この生体素材には静電気を帯びず、その発生をも抑制するという優れた機能が備わっており、これが彼女の父によって発見されて以降、人類の死亡率は大幅に低下した。
──ポニーテール。こんな髪型が出来るのだって父のおかげだ。長い髪は静電気を帯びやすい。だから一昔前まで、男も女も関係無く髪型は坊主頭かスキンヘッドと定められていた。でも今は制限が大幅に緩和され、この服と同じ素材の帽子や紐を使用しているなら、それ以外は自由で構わない。
父は人類に着飾る喜びを取り戻させたのである。
自分の視界の中で前髪の先が揺れる度、彼女は彼に感謝する。そして同時にその背中を思い出す。父のような調査官になりたい。そんな想いが今の自分を形作ったから。
朱璃は本来なら義務教育を終えたばかりの年齢。ところが彼女はすでに歴戦の特異災害調査官として名を馳せている。
特例で調査官になったのは二年前、まだ一三歳の時分。それ以前から数々の発見と発明を成し遂げていたこの天才少女は、採用試験に合格するなりそれまでの功績を盾にして特異災害対策局の局長へ要求をつきつけた。自分の采配で自由に動かせるチームが欲しいと。
そうして結成されたのが、彼女の率いる星海班である。
月からもたらされた“魔素”と呼ばれる物質は“記憶災害”を引き起こす。特異災害対策局の本来の目的はこの現象にまつわる諸々の調査と、同様の現象が起きた場合に備えての予防法・対処法の確立。
しかし彼女が率いるチームの目的は、ほんの少しだけ違う。朱璃はこう考えているのだ。記憶災害は種類も規模も千差万別。予防などしてもしきれるものではない。発生後に見極めを行ってからの対処も後手に回りがちだ。ならばいっそ“倒し方”を探ればいい。より確実に、より効率良く、強大な力でぶち砕いてやるのだ。
爆弾で台風は散らせない。大砲で津波は止められない。
なら、諦めるのか?
否、もっと、もっともっと強い兵器を開発して対抗すればいい。
夢物語だと笑う者もいる。実際不可能に近い話ではあるのだ。でも、空想が徘徊し、想像が人を殺すようになった今のこの世界でなら不可能も可能にできるかもしれない。
だからだ。彼女はひたすら前に突き進む。この構想を実現するためならば、災害現場の調査だけでなく、旧時代の研究施設だろうが朽ちた犬小屋だろうが、少しでも直感に引っかかる何かがあった場所を徹底的に調べ上げ、情報をかき集めてやる。
そして造り出す。人類を長きに渡って苦しめて来た“魔素”という敵に打ち勝つための手段を。今はまだ道半ばだとしても必ず成し遂げてみせる。
けれど今回は、そんな信念を持つ天才少女と仲間達にとっても困惑せざるを得ない異常事態が発生した。
「なによ、あれ?」
「おいおいおいおいおいおい」
焦げ臭い香りと土の匂いが混じっている。晴れ渡る空がいつもより近い。筑波山の山頂付近で彼女と仲間達は茫然とその光景を見渡した。辺りは一面の焦土。なのに一点だけそうなっていない部分がある。異常なのはそこだ。人間が一人倒れていて、その周囲だけが延焼を免れている。
──昨晩、ここから数km手前の地点で休息していた彼女達は、天地を貫く巨大な光の柱を目撃した。
安全のため夜が明けてからその方向に向かったわけだが、やがて山が燃えていることに気が付いた。この筑波山がだ。正確には男体山と女体山の二つの山が連なっており、炎に包まれていたのは女体山の方だった。
直前に降った雨のおかげで、彼女達が到着した時にはすでに火災は鎮火していた。だが発生源と思われる場所を探して山頂まで来た時、それは見つかったのである。
ぽっかりと切り取られたように残っている円形の空間と、彼を。
何もかもが焼けて灰になったこの場所で、何故か明確に境界線が引かれ、その向こうにだけ緑が残っていた。
そして、その中心に倒れている人物。近付いてみると、どうやらまだ少年のようだった。短い黒髪。シャープな顔立ち。背はかなり高く、鍛えられて引き締まった肉体。年頃はおそらく十代の後半。
「魔法……ッスか?」
「いや、ありえねえだろ。こんな広範囲……しかも結構な時間燃えてたはずだぞ。一人でどうにかなるはずがねえ」
ドレッドヘアの黒人男が、仲間の呟きにそう返す。
そんなことはわかっている。朱璃は周知の事実を、あえて指摘した。
「歴史上、一人だけならいたでしょう。出来そうな人が」
「そりゃそうだが」
そのたった一人が活躍していたのは遥か昔のことだ。死亡こそ確認されていないものの、だからといって生きているはずが無い。彼が姿を消してしまってから二〇〇年も経過しているのだ。
そもそも、あの少年こそ息があるのだろうか? 警戒しつつさらに近付いて行った星海班一同は、彼の顔を確認するなり眉をひそめ、首を傾げ、やがて大きく目を見開きゴクリと喉を鳴らした。これには周囲が口を揃えて“怖いもの知らず”と評する朱璃でさえ同様に驚く。
「嘘でしょ……?」
彼を知らない者など、少なくともこの北日本には一人として存在しない。義務教育中に歴史の授業で必ず習うし、街のあちこちに肖像画が飾られている。王都の広場には大きな石像だってあるのだ。
でも、本当に彼だとするなら、この状況に説明が付く。
──かつて“
倒れているのは、彼に瓜二つの若者だった。
「伊東 旭……」
時は西暦二三〇〇年三月十日──あの“崩界の日”から二五〇年後のことである。
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