第4話 まるで列車のような人生

 あるいは僕が生まれた家が〝桜宮さくらみや〟じゃなくて、もっと一般的な、普通のみんなが生まれるような家だったのなら、僕も自分の意志というモノを持てていたのかもしれない。


 そうでなくとも、せめてあの呪縛じゅばくのようなしきたりを聞かずに育っていたのなら。


 ——あるいは僕の人生はもっと違ったものになっていたのかもしれなかった。


 でも実際にはそうじゃない。親が生まれてくる子どもを選べないのとおなじように、僕が〝桜宮〟であるという事実は決して消えることがないのだ。


 だから僕がいくら身勝手な空想くうそうをソラに羽ばたかせても、想像力が現実に影響を及ぼさないこの世界では、それは鳥カゴにあわれなセキセイインコが見る夢でしかなかった。


 現実逃避。泡沫うたかたの夢。


 それでも、それでも高校に入学してからしばらくは、少なくとも入学式の翌日までは、僕はひそかな希望を抱いていた。


 あのうんざりするほど退屈な生活から抜け出せるんじゃないか。親が引いたレールの上を走るしかない列車のような人生から抜け出せるんじゃないか。僕のことを本当に理解してくれる友達と過ごせるんじゃないか。


 そんな淡い期待を抱いていた。


 けれどそれは本当に儚い希望、マラソン大会が嫌いな子供が雨を願いテルテル坊主を作っているような現実逃避に過ぎなかった。


 テルテル坊主を逆さに吊るして願うだけで雨が降るわけはないし、現実が変わるわけがない。


 マラソン大会が本当に嫌だったのなら裸で寝てしまえばよかった。そうすれば風邪をひくかもしれない。嫌なものは嫌だと訴えてしまえばよかった。そうすれば考えを変えてくれるかもしれない。少なくとも、ただ雨を願ったり、己の運命を嘆き奇跡を待つよりかは、事態が好転する可能性はずっと高かったはずだ。


 でも僕はそうしなかった。そうしようという考えすら浮かばなかった。


 きっともう、その頃には世界を諦め始めていたんだと思う。子どもの頃に思ったよりも世界はずっと狭く、退屈で、透明な瓶の中に造られた庭のようなモノだと僕は感じていた。


 だから高校生になって、何かが変わるかもしれないと期待した……けれど何も変わらなかった退屈な日々を、僕はどこか他人事のような気持ちで過ごしていった。


 フィクションの世界で流行はやっていたように、トラックにかれて異世界に転生してしまいたいとさえ、真剣に考えてみたりもした。だけどそれを実行に移すには多くの問題があったから、かろうじて踏みとどまった。トラックに轢かれて本当に転生する保証もなかったし、本当に転生したとしても、あるいは現実よりも過酷かもしれない世界で生きていける自信もなかった。……いや、馬鹿げた話にすがりたくなるほどに、あの当時の僕は精神的に追い詰められていたということだった。


 ある意味では幸運だったのだ、と僕は思う。家に縛られていたために意志を持てなかったという意味で。もしも彼女のような強い意志があれば、もしも彼女のように他人の目を気にしない真っ直ぐな瞳を持っていたとしたら、あるいは……。


 もちろん全ては仮定の話で、実際にそうだったとしても僕が思うような結末になるとは限らない。そもそもからして、確固とした信念を持っていたのなら、人生のあり方に悩むまで追い詰められることもなかっただろうから。


 嫌なものを嫌だとはっきりと告げる自分が父を言い負かす姿を想像するたびに、僕は言いようもない恥ずかしさと虚しさを感じた。結局のところ、僕はそうすることでしか現実を生きられないほど弱かったのだ。ありもしない空想の世界を頼りにしなければ、この優しさに満ちているはずの世界を歩いていけないほどに。


 そしてそれはあの秋の空の下で彼女と本当の意味で出逢ってからも変わらなかったのだろう。


 僕の現状を思えば、情けないことに。

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