第二章 動く五月
第14話 俺の朝は早い
連休明けの朝、俺はいつも通り六時ちょうどに起床した。スヌーズなどという甘えた機能を使うことはない。親父いわく、『三ツ瀬家の男は朝に強い』らしい。
自室を出て、階段を下り、一階のトイレへ入る。二階にもトイレはあるが、まだ眠っている母ちゃんを起こさないための配慮だ。
洗面所で手と顔を洗って、ダイニングキッチンへ向かい、電気をつける。
シンクで再び手を丁寧に洗ってから、しゃもじを手に炊飯器の前に立つ。俺の起床とともに炊き上がるよう、夜のうちにタイマーをセットしてあるのだ。
ふたを開けると、湯気と一緒に、ややクセのある匂いが広がる。白米に混ぜられた麦の匂いだ。
食うときは匂いは気にならないし、プチプチした食感が楽しいので、我が家ではたいてい麦を混ぜこんでいる。
麦飯をしゃもじでかき混ぜてから、蓋をして蒸らす。
それから、本日の朝食&弁当作りに取りかかった。
まず、鍋に水を入れ、火にかける。
次いで、冷凍庫と冷蔵庫から必要なものを取り出し、電子レンジにかけつつ、卵焼きを作り始める。今日のメインディッシュは別に用意してあるから、卵焼きはシンプルに醤油味でいいか。
沸騰した湯の中に味噌汁の具となる野菜等を放り込んでいると、廊下からどすどすと無骨な足音が聞こえてきて、ダイニングの扉が勢いよく開けられた。
「おー、相変わらず朝から精が出るなぁ!」
姿を現した中年太りのおっさんに向かって、俺は思いっきり眉をひそめる。
「なんだよ、親父。まだ帰ってなかったのか」
「バカ言え、ここが俺の帰るべき家だぞ。今日はまず本社に顔を出して、それから赴任先に戻るんだよ」
「へー、そうなの」
俺は
親父は一昨年から静岡市へ単身赴任している。
でも、新幹線なり車なりで比較的気軽に帰ってこれる距離だから、連休に限らず、月に一、二回は
「あ! つまみ食いするんじゃねぇよ!」
親父がダイニングテーブルの上のおかずを物色し始めたから、俺は慌てて一喝する。そこにあるおかずはすべて、俺と母ちゃんの弁当箱に詰めるものだ。
それだけじゃない。先輩に
「今俺の手元にある卵焼きなら食ってもいいぞ。粗熱を取ってからな!」
「へーい」
親父はガキっぽい返事をすると、ダイニングチェアにどっかりと腰を下ろし、テレビをつけた。
けれどその視線はちらちらとテーブルの上をさまよい、未だにつまみ食いをあきらめていない様子。
俺は警戒態勢を取りながら、二人分の弁当箱に麦飯を詰める作業に移った。
「なぁ、お前もたまには静岡に来いよ。新幹線ならあっという間だぞ」
やぶからぼうな親父の提案に、俺は「ふーん」とあいまいな返事をする。
「静岡はいいぞ。冬は暖かくて夏は涼しい。食い物も、こっちじゃお目にかかれないものがたくさんある」
親父は朝から
「おでんなんて、つゆが真っ黒なんだ。黒はんぺんに、だし粉をかけて食べるんだが、これがまたウマい。あとは、桜エビのかき揚げに、金目鯛の干物なんかもいいなぁ」
「あっそ」
「そうだ、あと『とろろ』だな。宿場町跡に有名な店があってな。これは絶対お前にも食わせてやりたい。ああ、忘れちゃならないのがハンバーグ……」
「あんたは静岡にグルメ巡りに行ってるのかよ」
冷ややかに返すと、親父は「そうかもな」とおどけたように肩をすくめる。
正直、静岡グルメに興味はあるけれど、親父と二人っきりでなんてゴメンだね、まったく。
「……つらくないか?」
キッチンでこまごまと動く俺に対し、親父がぽつりと尋ねてきた。なんだ、いきなり。
「はぁ?」
「毎日早起きして弁当作って、学校から帰ってきたあとは晩飯作って。小遣い増やすから、外で食ってきてもいいんだぞ。もしくは、家政婦さんとか雇おうか?」
親父の顔は、真剣そのもの。漂うシリアスな空気に、俺はごくりと喉を鳴らす。
「親父はほんと、わかってねーなぁ」
真面目に答えるのは気恥ずかしかったから、俺はあえてふざけた調子で言う。
「料理は俺の趣味なんだってば。しかも、材料費は全部、親に出してもらってる。つまり、親の金で毎日好きなことをして好きなものを食ってる、天国みたいな状態なんだ。テスト前は息抜きにもなるしな」
「そうかぁ?」
親父は口元だけで笑った。太い眉は八の字のままで、困惑を示している。俺の言葉に、嘘偽りはないんだけどな。
それからしばらくして、母ちゃんが起きてきた。ぼさぼさの頭に、どんより暗い顔。朝はいつもこの調子だ。
「おはよぉ……」
と死にそうな声で挨拶したあと、ふらふらと親父の隣に腰掛け、がくっとうなだれた。
「ああ、連休が永遠に続けばいいのに……」
ぼそりとした母ちゃんの愚痴に、親父が「早く寝ないからだろ」と小声でたしなめた。
それに対して母ちゃんは、「あんたのせいでしょ」と肘で小突く。
え、え、え、なにこのやりとり。変な意味じゃないよなぁ?
脇の下が嫌な汗でじっとり濡れる。最悪。
それから、母ちゃんの前にご飯と味噌汁、卵焼きの余り、お茶を運ぶ。すると、「ありがとぉぉ……」と気抜けた礼が返ってきた。朝が弱いって大変だな。
「親父はセルフサービスな」
「へいへい、わかってるよ~」
親父は伸びをしながら立ち上がり、俺と入れ違いでキッチンへ入っていく。
朝食後は、粗熱の取れたおかずを弁当箱に詰め、余ったご飯を冷凍して、洗い物を食洗器にぶち込んで。
慌ただしいけれど、こんな日常にはとっくに慣れた。
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