【WEB版】陽キャなカノジョは距離感がバグっている 〜出会って即お持ち帰りしちゃダメなの?〜
枩葉松@書籍発売中
第一章
第1話 陽キャな同級生を助けてしまった件
早朝から続く雨のせいで、路上には散った桜の花びらが水を含みドロのように散乱していた。
滑らないよう注意を払って登校し、いつもより若干遅れて教室に入る。
カースト上位層の連中が、湿り気たっぷりな外気を吹き飛ばすように笑っていた。昨晩のお笑い番組の話をしているようだ。
それ以外のクラスメートたちも、駄弁ったり、朝食を食べたり、勉強をしたりと、思い思いの時間を過ごしており。
藤村京介に意識を向ける人間は、誰もいない。
バッグを机に置いて席につき、ふぅとひと息もらす。
今日も変わりなく意識を向けられないことに、京介は安堵の息を漏らした。
今年から始まったこの高校生活で、京介は空気に徹すると決めていた。
恒例の自己紹介では無難オブ無難な内容をロボットのように吐き出し、部活動の勧誘等はバイトがあるからと練習した作り笑顔でやり過ごし、空いた時間の全てを寝たフリに注いだ。
結果、クラスメートたちも京介を無理に仲間内へ引き入れようとはせず、「クラスに一人はいる無口で大人しいやつ」という名誉ある称号を手に入れた。
好かれることは嫌われる可能性を孕むことだし、嫌われればイジメやイジリに発展するかもしれない。余計な悪感情を背負うくらいなら、静かに暮らす方が日々を満喫できる。
今日も今日とて空気としてやり過ごそう。
そう強く決意し、いつものように机に顔を伏せかけて、
「おはよー」
その綺麗な声に、京介の視線は自然と持ち上がった。
教室の前の扉から、すらりと足の長い女子生徒が入って来た。
腰まで称えた艶やかな黒髪は、若干湿っており光沢が増している。整った鼻梁、長い睫毛で縁取られたサファイア色の瞳、身体のどのパーツをとっても人形のようである。
佐々川綾乃――学校内でトップクラスの美貌を持ち、実際モデルとしても活躍する陽キャ。京介とは真逆の世界で息を吸う生物。男子にとっては高嶺の花、女子にとっては憧れの存在。そして、京介にとって悩みの種である。
「はぁ……」
あの出来事を思い出し、京介は苦い表情を作った。
その忌々し気な視線を察知したらしい。綾乃は京介をちらりと見て、桜色の唇の端をわずかに上げた。右手を少しだけ上げて小さく振り、おはようと口を動かして自分の席へ向かう。
「っ!」
京介はバッと顔を伏せ、ニヤつきそうになった表情筋を隠した。
美少女の微笑みは凄まじい破壊力だ。落ち着け、落ち着け。心に言い聞かせて、大きく息を吐く。
少し前まで、綾乃も他の生徒と同じように、京介を認識すらしていなかった。
どうしてこうなってしまったのか。事態の原因は、昨日の朝まで遡る。
◆◇◆◇
その日の朝は、抜けるような青い空が広がっていた。
高校までは徒歩で二十分もかからない。今日も一日透明人間でいようと固く誓い、花びら舞う並木道を少し軽い足取りで進む。
と、前を歩く女子生徒に意識が留まった。
さらさらと流れ揺れる黒髪。身長は一八〇センチ近くある。凛と伸びた背筋や歩く姿はとても絵になり、それがクラスメートの佐々川綾乃であると理解するまで、たいして時間はかからなかった。
「いや、携帯持ってないはウソだろ」
綾乃の隣をねっとりとついて歩く男子生徒が、へらへらと笑いながらそう言った。
彼が誰なのか京介は知らないが、金髪であることからきっと不良だろうと陰キャの勘が告げた。また、綾乃がひどく迷惑そうにしていることから、彼氏やそういう類でないこともわかる。
(あー。ナンパってやつか)
初めて見た、と京介は興味深そうに二人の背中を凝視した。
「いいじゃねぇか。連絡先くらい教えてくれたって」
「いや、ホントに持ってないんですよ!」
「さっき誰かと電話してただろ」
「え。あぁ。あれ……」
食い下がらない金髪。綾乃の動揺ぶりは、背中を見ているだけでも伝わってきた。
「あれ! ひとり言です!」
ぶふっと、京介は小さく吹いた。それはないだろ。流石に。
金髪も一瞬たじろぐが、
「オレの妹がさ、綾乃ちゃんに憧れてるんだよ」
綾乃の職業上、同世代の女子から支持を受けているのは知っているが、今この場面でそんな台詞を吐いても中身がない。下手くそな嘘だなと、京介は小さく笑う。
「えっ。ホントですか!?」
「ぶほっ!」
急に声色を変える綾乃に、京介は盛大に吹き出した。
金髪の方がちらりと後ろを確認する。京介は顔を伏せ、ゴホゴホと咳をして誤魔化した。
「うんうん。マジだって。ホントさ、すごいよな。尊敬するっていうかさ」
「いやー。んふふ。まー、それなりに頑張ってますし?」
後ろ髪をさっとかき上げて、得意げに鼻を鳴らす。
あー、頭が残念な子だったのか。京介は乾いた笑いを漏らす。別世界の住人だとばかり思っていたが、急に身近な存在に思えてきた。
「だから、妹に紹介したいんだよ。頼むって綾乃ちゃん。別に変な意味じゃないから」
「え? えっ?」
金髪生徒は、さっと綾乃の手首をとった。
突然の接触に驚いたのか、綾乃は足を止めて困惑する。
「マジでさ。教えてよ、変な意味じゃねぇから」
真剣な表情で放った言葉には、恵まれた体格も相まって迫力があった。
綾乃は後ろへ視線を流し、京介に助けを求めた。だが京介は、その願いを一蹴するように目をそらす。
気の毒だな、とは思った。しかし、自分に何の関係があるのか。そんな勇気はないし、義理もない。
彼女は有名人なのだ、こういうこともあるだろう。強く生きろよと心で呟いて、二人の横を通り過ぎようと足を速める。
「――あ」
瞬間、右足が左足に絡まり体勢を崩した。
どうにか立て直そうと努力するも、普段から運動をしない京介にそんな能力があるはずもなく。
「うわぁああ!!」
何かにつかまらないと。その一心で伸ばした手が握りしめたのは、金髪のズボンだった。
打ち付ける顔面。頭上から降ってくる男の絶叫。痛みと驚きとやっちまった感が一気に押し寄せ、京介は立ち上がることも叶わず倒れ伏す。
「お、お前っ! ふざけんな!!」
金髪はそう吐き捨てながら走り去って行った。
ダッダッと忙しない足音を見送って、京介はゆっくりと顔を上げた。綾乃の「大丈夫!?」という声で、鼻血が出ていることに気づく。彼女は急いでポケットティッシュのビニールを引っぺがして、紙の束を押し付ける。
「あ、ども……」
身体を起こしながらそれを受け取った。
やばい、どうしよう。ネガティブな感情と共に、真っ赤な血が流れ落ちていく。
偶然とはいえ、ナンパ野郎相手とはいえ、他人のズボンを無理やり下したのだ。わいせつ罪だ。許されるわけがない。
「ねえねえ」
綾乃が耳元でそっと囁いた。
心地のいい吐息に誘われて顔を向けると、風が吹けば触れ合うような距離に彼女がいた。学校ではいつも顔を伏せているから気づかなかったが、彼女の目尻の下あたりにホクロがある。
「あいつの、花柄だったね」
にししっ、と。綾乃は悪戯っ子のように笑って見せた。
おそらくパンツの柄のことだろうと、京介は推理する。見ていないが、綾乃の口調から察するにさぞダサかったのだろう。
「ありがと」
健康的な色の頬に朱色を垂らして、ぽんっと京介の頭を優しく叩いた。
そのままくるりと身を翻し、「日直があるから」と背中を向ける。
「またあとでね、藤村」
そう一言告げ、綾乃は駆けていった。
京介は鼻を押さえたまま、遠ざかってゆく彼女の背中を見つめる。
「……名前、憶えてたのか」
腹の中に熱くなるものを感じて、静かに独り言ちた。
いや、違う。そこは問題ではない。形はどうあれ彼女を助けてしまい陽キャに認識された事実が、金髪へ罪悪感を跡形もなく消し飛ばす。
「(ど、どうしよう……)」
京介は、内心頭を抱えた。
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