第63話翼に昔の話を語る心春

翌朝、珈琲を飲んでいると、午前8時にチャイムが鳴った。


インタフォン越しに、隣の心春の声。

「おはようございます、翼さん、起きています?」


翼は、「起きています」とシンプルに応え、部屋のドアを開ける。

心春は、少し赤い顔。

「あの・・・今日は空いています?」


翼は、迷ったけれど素直に答える。

「はい、今日は特にないかな」

心春の顔が元気になった。

「あら・・・じゃあ・・・」


翼は、「立ち話も何だから」と、心春を招き入れ、珈琲を出す。


心春は笑顔。

「この間は、道案内、ありがとうございました」

翼は、「いえ、至らぬ点も多くて」と、慎重に返す。


心春は、翼の顔をじっと見る。

「ところで、翼さん」

翼は、心春が改まった感じなので、「はい、何か」と、姿勢を真っ直ぐにする。


心春

「かつて金沢に出向かれたとか」

「はい、それはその通りです」

「高校の一年生の頃かな」


心春は、ますます笑顔。

「実は、お食事をされたのは、私の家です」

翼は、珍しく動揺。

「え?本当です?それは・・・」


心春は、翼を見て含み笑い。

「私、その時に、翼さんを見ています」

「お料理も出しました」

翼は、困惑顔。

「全く覚えていなくて、美味しい料理だったとだけ」

「ごめんなさい、それ以外に言えなくて」


心春は、また赤い顔。

「実は・・・両親が翼さんのご実家で修行していたこともありまして」

翼は、ますます困惑顔になる。

「それ・・・本当です?覚えていない」


心春は、続けた。

「だから、小さな頃は近くに住んでいて・・・三歳くらいまでですが」

翼は首を傾げるばかり。

「三歳ねえ・・・うーん・・・」


心春

「私の両親が言うのに、当時の翼さんは、お体が弱くて、すぐに風邪を引いたり、お腹を壊したりで入院ばかりしていたとか」

「だから、私も、当時はほとんど、見たことはないのかな」

「お互い、三歳くらいだと、見ていても覚えていないかな」


黙ってしまった翼に、心春は続ける。

「両親が源さんと仲良しで・・・一緒に修行して」


翼の顔に、少し明るさが戻る。

「ああ・・・それは・・・うん・・・」

しかし、何と応じていいのか、わからない、

ようやく「それは、ご縁があったのですね」と返す。


心春は、また笑顔。

「高校一年生の時に、私の実家に来られて」

「お料理を出して、翼さん、お人形みたいで、可愛くて」

「色白で、目が大きくて、小顔で」

「てっきり年下かなあと思ったら、同学年で」


翼は懸命に思い出す。

「あの時は、ご招待で兄と行ったのかな、金沢で料理業界の大会があって」

「そこで食事をしたのが、心春さんのお店だったんですね」

「兼六園を歩いたことも思い出します、新緑の時期だった」


心春は、翼の顔をじっと見る。

「はい、ゾロゾロと、両親とか業界の人も」

「その中に、私もいたんです」

「でも、翼さんは人気が高くて、お偉いさんたちに囲まれていて、声もかけられず」


翼は「はぁ・・・」とだけ。

意外な話で、困惑するばかりになっている。


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