【19】二年前 ~出会い~
今から二年前。
俺の養父であるエーリエル・ルウムは、客船ばかりを狙う、手配中の海賊フラムベルクの船を
そのフラムベルクの船に積まれていたのが、あの青の女王を模した『女神像』――言い方を変えると、アマランス号の船首像さ。
養父はいたくその像を気に入って、自分の報奨分として持ち帰った。そして古物商の商人に鑑定を依頼してみたらしいが、実は大した値でもなかったので、俺に船首像として船につけないかと言ってきたんだ。
別に俺はどっちでも構わなかった。だが、養父が航海の安全祈願の為にぜひそうしろと言うので、俺は女神像を貰い受けて、船首像に作り変えることにした。
それで、知り合いの船大工に女神像を預けて、その帰り道に海岸を散歩していた時の事さ。この、ミリアス・ジルバに出会ったのは。
正確に言えば、ジルバは海岸の
シャツはあちこち引き裂かれてボロ雑巾を着ているみたいだったし、二の腕は切り傷だらけでそれは塞がる事なく血が流れていた。
死体か、可哀想に。
そう思って立ち去ろうとしたら、あいつ、目を開けてじっと俺の方を見たんだ。そうしてぱくぱく口を動かした。
今となっては放っておいた方がよかったと思ったが、生きてるんなら助けなければなるまい?
俺はジルバの素性を知らなかったから、取りあえずあいつを船に連れて帰った。
奴を連れて帰ったのはいいが、軍艦に一般人を乗せるのは規則違反だ。
俺は応急処置だけを奴にして、それから街の医療院へ連れていくつもりだったが、あろうことかジルバがこのまま船に乗せてくれといいだした。
医療院へ連れて行ってもらっても、無一文で金が払えないからと。
やむを得ず、俺はあいつをアマランス号の水兵見習いとして登録した。
表向きは俺の幼馴染みという素性もでっち上げて。
ということで、ジルバは俺の船の一員となり、めきめきと体力を回復させていった。動けるようになってからは、船内の仕事も進んでこなすようになったし、何より料理がとても上手かった。
俺はジルバに、仮ではなくちゃんと水兵として、アマランス号に乗らないかと、しつこく頼み込んでいたんだが、ジルバはいつも笑ってそれをはぐらかした。
はぐらかしたといえば、何故あの日、傷だらけで海岸に倒れていたのか、その理由も話そうとはしなかった。
俺も無理に聞きだそうとはしなかったし、ジルバも体が治ったらこの船を下ろさせてくれと言っていたから、だから、俺はそれ以上、あいつのことを知ろうとしなかった。
◇
事件が起きたのは、俺がジルバを助けて一年以上が過ぎた頃だった。
そういえば、この頃だったかな。ルティーナ、君がアマランス号の副長としてアスラトルから赴任してきたのは。
ジルバの傷はすっかり完治したけれど、奴は金がないことを理由に、ようやく俺のアマランス号で、正式に料理長として働くことに同意した。
ジルバは知っての通り、女にだらしがない。
体が治ったらあいつは毎週のように、ジェミナ・クラスで有数の歓楽街・カンパルシータへ出かけていた。海軍の給金もそこで使いまくっていたんだろう。
その日、あいつは出港の時刻になっても船に帰ってこなかった。けれど俺は艦内の規律を保つためにあいつを置いて、一週間の沿岸警備の航海へと出かけたんだ。
航海から帰ってきた時、ジルバは桟橋で一人立っていた。
顔には誰かに殴られたのか、青痣だらけで右目が腫れあがっていたし、やっと治った腕の傷からは、新たな切り傷が口を開いて血が流れ落ちている。
「誰にやられたんだ」
俺は今度こそジルバに訊ねた。
何があっても聞き出してやるつもりだった。
「ごめんよ、アースシー」
あいつはただ俺に謝るばかりだった。
「謝るだけじゃわからない! 何でお前がこんな目にあわなければならないんだ」
そう詰め寄ると、あいつは唇を震わせながら自分を指差した。
「僕はね、海賊なのさ。しかも君の親父さんが捕まえ損ねた、海賊フラムベルクの所で航海士をしていたのさ」
ジルバはやっと重い口を開いた。
俺と海岸で出会った時、何故あんな所にいたのか。そこから話をしてくれた。
ジルバは俺の養父の砲撃でフラムベルクの船から海に落ち、やっとの思いでジェミナ・クラスの海岸まで泳ぎついたそうだ。それを俺が見つけて助けた。
でも実はあいつ、海賊から足を洗うつもりで、それで、戦闘の混乱を利用して海に飛び込んだんだ。
俺のアマランス号に匿われ、傷が癒えたら何処かへ逃げるつもりだったけれど、船内の生活は楽しく、また金も手に入るから、なかなか逃亡の決心がつかなかったそうだ。
海賊フラムベルクは、俺の養父が船を
「ジルバ、お前のその怪我だが……」
さっとジルバの顔が青ざめた。
なんとなくだが察しはつく。
「フラムベルクに捕まって、また逃げてきたのか」
ジルバは黙っていた。いや、黙っていたのがその答えだった。
俺はそれ以上あいつから聞き出す事ができなかった。
それで、あいつに背を向けて、甲板へ出ようと昇降口へ向かった。
「アースシー! フラムベルクにあの像を返してやってくれ。でないと、でないとあいつは……」
フラムベルクに見つかって、連れ戻されたジルバが、傷を負いながらも奴の所から逃げてきた本当の理由――。
「船長は、君の親父さんの船を襲撃しようとしている。だけどあの『女神像』を返してくれれば、それを防ぐ事ができるんだ」
女神像。
それはすでに俺のアマランス号に、船首像として船首につけられていた。
そして俺には、何故フラムベルクがあの像にこだわるのかもわかっていた。
船首像に作り変える時、あの像の台座の下からは、おびただしい量の金貨や宝石が出てきたからだ。
その時から嫌な予感はしていた。捕まえ損ねたフラムベルクが、その財宝を取りかえしたいと思うのは至極当然なことだろう。
「もしも俺があの像を返さなかったら、フラムベルクはいつ父の船を襲うんだ? それを教えてくれ、ジルバ」
俺はジルバを試していた。
奴は本当に海賊から足を洗うのか。それとも、フラムベルクの手下として、海軍の動向を知るために、俺の事を探るために、送り込まれた間者なのか。
「すまない。具体的な日時まではわからない。でも、これだけは信じてくれ。
フラムベルクは、女神像を君の親父さんが持っていると思っている。このアマランス号の船首像になっていることは知らないんだ」
俺は今度こそジルバに背を向けて、上甲板へと昇降口を上がった。
一人になりたかった。
そして、ジルバの警告が嘘ではないことを、誰よりも重大に受け止めていた。
養父エーリエルのベル・クライド号は今、エルシーア国王の親書を携えた役人を乗せて、遥か東、東方連国へ航海に出ている。だからフラムベルクが養父の船を襲うとすれば、その役目を終えてジェミナ・クラスへ帰ってくるその時しかない。
「……くそっ!」
養父がいつ戻るかなんて、誰にもわかりはしない。風に恵まれれば明日かもしれないし、まだ東方蓮国の港の中にいるのかもしれない。
彼がここを経ったのはもう一月以上も前の事だ。だから、そろそろ戻ってきてもいいというのはわかるが。
俺は迷っていた。
ジルバの言う事を信じるべきか。
もしもフラムベルクが、実はあの女神像が俺の船にあることを知っていたらどうする? 養父の船ではなく、俺のアマランス号を不意打ちしようと狙っているとしたら。
別に俺はあの女神像に執着なんかない。けれど、船首像を作り変えた時に出てきた奴の隠し財宝は、とっくの昔に、俺が子供の頃、世話になった孤児院へ寄付したから手元には一切残っていない。
財宝の入っていない女神像を返した所で、フラムベルクは納得はおろか、むしろ怒りを何倍にも募らせて、俺の船を再び狙う事になるだろう。
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