【17】押して押して押しまくれ!
「む……むむむむぅ」
フラムベルクは女神像を見上げた。
そう。この女神像は元々船首像として作られたわけではない。だから一般的なそれと比べれば、小さい方だ。
けれどその全長は二リール(二メートル)を少し超えるし、一本の丸太から削り出され、彫られた像なので、小振りといってもその重量はかなりなものだ。
「大の男――しかも荒くれ海賊が七人もいるんだ。全員で抱えれば、女神像をうつ伏せにすることなんて容易いだろう」
まるで独り言のようにルウム艦長がつぶやいた。
フラムベルクは黒い帽子の下で、その火傷のある顔をゆがませながら、ぺっと甲板に唾を吐いた。
「仕方ない。おい、ヒューイ、ムストン、エスト、プリュム、ジェッタ」
フラムベルクはルウム艦長を取り囲んでいた手下達に命じた。
「ほら、女神像を甲板に寝かすんだ」
今までランプを持っていたムストンという男からそれを受け取り、フラムベルクはルウム艦長の隣に並んだ。
手下達がめいめい女神像の両肩、くびれた腰、海の泡と同化しているしなやかな脚へと手を伸ばす。
「せーのっ!」
背の高い手下の一人がかけ声をかけて、女神像をうつ伏せにするため、前に前にと倒していく。が、女神像は前後に揺れるだけで中々動き出そうとしない。無理もない。この女神像の重心は下の方にある。華美ともいえる海の泡の彫刻部分から台座まで、ゆうに男三人分の横幅があるのだ。
「くそっ……重いっ!」
「うるさい。とっとと動かせ! 腹に力を入れてひっぱれ!」
傍らでフラムベルクが手下達を鼓舞する。
けれどそれを遮るように、ルウム艦長が手下達に声をかけた。
「できるだけそっと、静かに甲板に下ろさないと駄目だ。勢いをつけて女神像を倒すと、この船の甲板が、重量に耐え切れなくて壊れるぞ」
「む……むむむむむっ!」
手下達の顔は真っ赤になっていた。
徐々に女神像が前へ前へ倒れていく。
けれど女神像の肩を抱えていた海賊がついに音を上げた。
「だ、だめだ。支えられねぇ! 手を放しちまう」
「船長、助けてくれ。あと一人、誰か!」
女神像を支えるために、背中を反らせ肘を曲げた状態で、しかも中途半端なしゃがみ姿勢のせいで、余計腕に力が入らないらしい。
「うわ、馬鹿野郎。手を放したら甲板が抜けるぞ!」
フラムベルクは辺りを見回し、目の前の巻上げ機の前で私の手を掴むジルバに気付いた。
「ジルバ、手を貸せ」
ジルバは興味がなさそうにフラムベルクを見つめていた。
左手をあげて、ぽりぽりとヒゲのない頬を掻く。
「……僕が肉体労働苦手なの、知ってるくせに」
「うるさい、四の五の言ってないで、早くムストンを助けろ!」
「……どうしようかな」
「ジルバっ、てめえ!!」
フラムベルクが怒りのあまりマントを跳ね上げ、右手に持った銃の狙いをジルバに向けた時だった。
「だったら貴様が手伝えばいい! 大切な『女神』なんだろう!」
私は見た。
ルウム艦長がフラムベルクの背後に素早く回り込んだかと思うと、強烈な肩透かしを背中に喰らわせたのだ。
「うおっ……!!」
背後から弾丸のようなルウム艦長に突き飛ばされたフラムベルクは、甲板へうつぶせに寝かされようとしている、女神像のごつごつした背中に向かって突っ込んだ。
「うわあっ!」
顔をぶつけまいと、フラムベルクは女神像を背後から抱きすくめる格好で激突したので、像を支える手下達が、悲愴なまでの叫び声をあげた。
「もう駄目だー」
「放せ、もう支えられねぇ!!」
「うわ、馬鹿! しっかり支えろってーー!」
フラムベルクの叫びも虚しく、女神像と奴の重みに耐えかねた手下達が、ついに像から手を放した。
「ああっ!」
女神像は背中にフラムベルクを貼付けたまま、前のめりに倒れていく。
女神像の肩を支えていたムストンという海賊と、もう一人の中肉中背の海賊が、下敷きになってはたまらないという風に、女神像と甲板の僅かな隙間から身体を転がして逃げ出した。
と、甲板が激しく揺れた。
いや、船全体が、すべて。
大きく上下、左右に、誰かの支えがないと立っていられないほどの激しい揺れが襲いかかる。
私は思わず身体を支えるためにジルバにしがみついていた。
そう、あの美貌の女神像が、甲板に倒れてしまったのだ。
それはもう情け容赦なく、盛大に。一気にどかんと――。
そして、ぴしぴしと鋭利な不吉な音が、うつ伏せになった女神像の下から響いてくる。フラムベルクは女神像の背中にしがみついたまま、自失呆然としたように身動き一つしていない。手下達も甲板に尻餅をついて、女神像の倒れた衝撃のあまりまだ身体を硬直させている。
「ルティーナ!
私はルウム艦長の声で我に返った。
だが、私の両手はジルバがしっかりと握りしめている。
「くそっ……! ルウム、貴様ぁ!!」
「ルウム艦長! 危ない!」
私は叫んだ。身体を起こしたフラムベルクが、後方へそれをひねったかと思うと、奴は右手に持った銃をルウム艦長へ向けたのだ。
「離して! ジルバ、お願いだから!!」
私は無我夢中でジルバの手を解こうと身をよじった。
「……!?」
私は一瞬何が起きたのかよくわからなかった。
ジルバが私から手を離したかと思うと、彼は何事もなかったかのように、巻上げ機のレバーを手前に倒していたのだ。
同時にフラムベルクの銃が火を吹いた。
私はただ、ルウム艦長の姿だけをみていた。
マストに背中を預ける彼の姿だけを。
そう――。私の目の前には、本当に彼の姿だけしかなかったのだ。
私の足元には甲板がなく、黒々とした深淵がぱっくりと口を開けていた。
その深淵がフラムベルク達を飲み込んだということに気付くのに、数回呼吸するだけの時間を要した。
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