第一章 電子荒廃都市《サイバーパンクシティ》・新宿(1)

 ――そして五百年の時が流れた――


 それは原初の産声、新たなる胎動。

 復活の時、来たれり。

 再誕は、水底から浮き上がる感覚に近い。

 暗い水の底からゆっくりと浮き上がるように、意識が上昇していく。

 ――そうして彼は五百年の時を経て復活した。

 ベルトール=ベルベット・ベールシュバルト。

 不死の王イモータルキング闇の支配者ダークロード不滅者インビンシブル、その他にも様々な異名で呼ばれる、定命にとっての恐怖の象徴にして絶対悪。

 その中でも彼が最も多く呼ばれた名。

 魔王。

 五百年前、不死の王国を作り上げ、不死の軍団を纏め、世界を支配せんと命ある者たちと戦いを繰り広げ、そして最後に勇者によって倒されたはずの存在。

 その身は確かに朽ち果て、闇へと帰った。

 しかし、今長き時を経て復活を遂げたのである。

 それを成し遂げたるは《転輪の法メテノエル》。

 ベルトールが完成させた魔法であり、肉体の構成と記憶、そして魂を結びつけて情報へと変換し、それを未来へと飛ばし、その情報を元に霊素によって肉体をエミュレートし、再構築する輪廻転生の魔法。

 霊素とはあらゆる事象を模倣できる万能の物質。そして魔法はその霊素を操りこの世界の理を捻じ曲げ、書き換える術法である。

 理論的には魔法でできない事は存在しない。死者の蘇生、時間の逆行、宇宙の創造……正しい術式とそれに見合う魔力さえあれば、どんな荒唐無稽も実現可能。

 輪廻転生もその一つだ。

 ベルトールがその理論を完成させつつも、成功例の存在しなかった机上の禁術。

 ベルトールは魔族である。魔族は例外なく不死の存在だ。そして不死は死の概念を超越した存在である。

 だが魂は摩耗する。肉体が不死ではあろうと、魂は不滅ではない。

 魂が擦り切れ、燃え尽きればやがては滅ぶ。

 そして、その滅びすら克服するのが《転輪の法》。

 肉体が朽ち、魂が滅びても、再び現世へと舞い戻る反魂の御業。

 彼は昇華した。

 ただの不死から、この魔法を完成させた事により霊的上位存在として魂の位を上げ、不滅の存在へと成ったのだ。

 そして五百年の時を経て、再び世界を闇で覆い、今度こそ支配せんと今ここに再誕したのである。

(成功、したのか)

 まるで深い眠りから目覚めた時の微睡みのような鈍い思考で、ベルトールは己の二度目の生を確認していた。

 当然ながら、実際に《転輪の法》使うのは初めてであり、確かな理論と術式を完成させながらも運用試験等はできるはずもなく、これが初めての行使である。

 ベルトールの姿は五百年前の勇者と戦っていた時の異形の姿ではなく、朽ち果てる際のヒトの姿をしていた。

 濡れた烏の羽の如き妖艶さを醸す漆黒の長い髪に、初雪のように美しい白い肌。女性の繊細な美しさと、男性の精悍さが見事に両立したような中性的な顔立ち。その眼窩に収まるのは、闇色の瞳。

 手足がすらりと伸びているのに加え、頭身が高い為に一見すると長身痩躯に見えるが、その全身は鋼のような筋肉に覆われて引き締まっている見事なプロポーションと言える。

 そしてその芸術的なまでに完成された肉体を、一糸まとわぬ姿で惜しげもなく外気に晒している。

 魔王の見た目は人間と同じだ。オークのように牙が生えているわけでも、エルフのように耳が尖っているわけでも、オーガのように角が生えているわけでもない。

 それもそのはず、ベルトールは元人間だ。

 不死は神々や生命の理から外れた超常の存在であり、定命達は畏怖を込めて、ヒトの身で不死となり、ヒトの姿をしながらヒトならざる力を持つ彼らを魔族と呼んだ。故に、不死であるならば人間もエルフもオークも全て魔族なのである。

 ベルトールは人間の年齢で言えば二十手前といった程の年頃に見える。だが彼は齢三千歳を悠に超えている最古の魔族の一人であった。

(ここは……)

 彼は白い石で造られた祭壇の上に横たわっていた。

《転輪の法》の影響なのか、ベルトールの視界はぼやけて状況を把握できていない。

 一度大きく深呼吸をして冷たい空気と、そこに含まれる霊素を肺に満たす。

 肺に満たされた霊素は血管を通じて心臓へ向かい、心臓で魔力へと変換される。

 血管の一本一本、神経の一筋一筋、細胞の一つ一つに魔力を巡らせていく。

 魔力は魔法を行使する為の燃料であると同時に、生命活動を行う為に欠かせない要素の一つである。

 眼球の隅々まで魔力が満ち、ようやく視界が戻ってくる。

 薄暗く、広大な場所に自身はいるのだという事は理解できた。

「ベルトール様……」

 声が聞こえた。

 彼のよく知る声だ。水鈴レイチェを鳴らすような清らかで、透き通った声。

 五百年の眠りにあっても、決して忘れる事はない、聞き違える事のない声だ。

「マキナか」

 声の方を見れば、少女が一人跪いていた。

 雪のような、そう形容するのが相応しい可憐で儚げな少女であった。

 抜けるような白い肌に、長い白銀の髪、薄紅色の瞳。恭しく膝を付き、伏せられたかんばせは、彼女の小柄な体躯と相まって美しいというよりは可愛らしいという表現の方が合っているものの、その全身から漂う妖艶な色香は少女の姿のそれから大きく逸脱しており、実に蠱惑的な魅力を纏っている。

 外見的には人間に非常に近いが、マキナは人間とは別のイグニアという種族である。

「はい、六魔侯が一柱、煌灼侯マキナ=ソレージュ。この時を竜の鱗が落ちる程にお待ちしておりました」

 六魔侯とは魔王ベルトールが任命した、強力な力を持つ六名の魔族の大貴族の事である。マキナはその中でも一際ベルトールに重用される忠臣であった。

 マキナが面を上げた。

 年の頃はベルトールより少し下くらいだが、彼女もまた不死であり、魔族の一人だ。年齢は千を超えている。

「このような格好での拝謁の無礼、どうぞご容赦くださいませ」

 彼女が今纏っているのは、象徴でもある華美な赤の礼装鎧ドレスアーマーではなく、厚手の白いコートと同色の帽子だった。

 その格好、そして今の状況は不自然である。

 魔王の再誕である《転輪の法》の成就は、不死の王国にとっても大典。

 儀礼用の礼服を纏い、国民総出で盛大に出迎えるべき重要な儀式だ。

 だというのに、薄暗く粗雑な空間に、マキナ一人だけというのはおかしな話である。

 となれば、何かあったという事。

 ベルトールはマキナの礼を欠いている格好も不問とした。ベルトールはマキナの忠誠心に絶対の信頼を置いていたし、その彼女がこのような格好をしているというのは、相応の理由があるのだろうと考えたからだ。

「よい、余の再誕によくぞ駆け、《転輪の法》を成功させた。褒めて遣わす」

「ベルトール様の家臣として当然の事。私めには勿体無いお言葉にございます」

《転輪の法》で魂を復活させるには、いくつかの条件がいる。然るべき場所、そして然るべき時間に発動させる術者が必要になる。

《転輪の法》は単独の魔法ではなく、《転輪の法》を自身に掛けて復活する術者と、復活させる魂を呼び出す術者が必要な儀式魔法なのだ。

 ベルトールは身体を起こす。

「それで、ここはどこだ。レーデルムの地下祭壇か?」

 言いながら、白骸石エスクリアで造られた祭壇から降りながら腕を振るうと、儀式動作に反応してその裸体に霊素で編んだ黒い外套と同色の軽装鎧が纏わった。

「いえベルトール様、ここは旧新宿駅ネルドア地下大聖堂迷宮です」

「シンジュク……?」

 聞き覚えのない言葉に首を傾げた。

 ネルドア地下大聖堂はベルトールも知っている。彼の住む世界、アルネスの東の果ての島に作らせた魔王崇拝の為、そして魔王再誕の為の祭壇のある聖堂だ。

 だがシンジュクという言葉は聞き覚えがなかった。

「まぁいい」

 瑣末事だとベルトールは聞き流した。

 五百年も経っているのだ、地名など当然変わるものである。

 ベルトールの目的の為には、そんな事に拘泥している場合ではなかった。

「さぁマキナ――魔王は今復活を遂げた。再び余と共に世界アルネスを支配しようぞ!」

 世界の支配。

 それこそがベルトールの成就すべき大願であり、不死達にとっての悲願であった。

「あの……」

 ベルトールの言葉に、マキナは恐る恐るといった風に口を開いた。

「御言葉ですが、ベルトール様」

「なんだ?」

 マキナは明らかに言い淀んでいた。

 一瞬の逡巡の後、覚悟を決めた目で、ベルトールを見つめてこう言った。


「――我々の支配すべき世界はもう……滅びてしまいました」

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