第十六話 私のもとへ帰って
― 王国歴1119年 年末
― 西端の街ペンクール、サンレオナール王都
俺が国境警備隊に配属になり、もうかれこれ一年が経とうとしていた。俺には王都に置いてきた愛しい彼女が居る。この西端の街での暮らしと仕事に不満はない。新しい経験が出来て良かったとも思っている。
しかし、彼女と一月か二月に一度しか会えないのが寂しくてしょうがない。交際を始めたばかりの若い俺達にとっては大きな試練だった。
俺の恋人ダフネは男爵家出身だが、事情があって庶民同然に育った。堅実な彼女は無駄遣いをしたくないと言って、王宮料理人としての給料をほとんど貯金している。
「私、将来のためにお金は貯めておきたいのよ。ペンクールまでの交通費も宿代もばかにならないのですもの。まあそれでも貴方が近衛に戻る前に一度は行ってみたいわね」
ダフネには何日か休みが取れたらペンクールに来いといつも言っているのだが、なかなか実現しなかった。そんな彼女も一度だけペンクールの俺を訪ねて来た後、国境警備隊宿舎の厨房への転勤を本気で考えたらしい。
彼女からためらいがちに相談されたのは俺が年末年始にまとまった休みを取り、王都に帰省していた時だった。俺が彼女の家で彼女の両親と一緒に夕食をとった後、居間で二人きりになると切り出されたのだ。
「ペンクールの街で仕事をすることには魅力を感じるわ。貴方と一緒に居られるのですもの。それでも今よりもお給料は下がるし、実家を出ると諸々の費用もかかる上に、貴方の遠征が終わると私はまた王都で就活をしないといけないのよね……やっぱりリスクばかりが大きすぎるわ」
王宮料理人になるのが夢だった彼女がそこまで考えてくれていることに俺は感動した。そもそも遠距離恋愛になったのは俺が若さゆえの衝動で遠く離れた地での勤務を引き受けたからなのだ。
「ダフネ、俺が不甲斐ないせいで……でもお前がペンクールに来てくれるなんて思ってもみなかったよ。もし王都に戻ってくる時に再就職が難しかったら、俺のところに就職すればいいだろ」
俺は愛するダフネの両手をしっかりと握り、その言葉は口から自然とすらすらと出て来た。
「貴方のお屋敷に? ポール料理長はもうすぐ退職されるの?」
彼女の反応からして理解してもらえなかったようだ。
「いや、俺は、その、クイヤール伯爵家じゃなくて、えっとだな……俺の元に永久就職しろって意味だ」
「やだ、ジュリエン、それってプロポーズのつもりなの?」
「何だよ、その反応は? ヤダ、はねえだろーが!」
「時は王国歴1120年よ、百年前じゃあるまいし、永久就職だなんていつの時代の思考よ! それにムードもなにもへったくれもないじゃないの!」
「ダフネ、何事ですか?」
声を荒げる俺達を聞きつけたのか、ダフネの超過保護な継父クリスチャンがすっ飛んできやがった。
「クリスチャン、聞いて! ジュリエンったらね『俺のところに永久就職させてやるぅー』なんていきなりプロポーズというか俺様発言をするのよ!」
クリスチャンはダフネの言葉に呆れて首を横に振っている。
「大切な女性に求婚するのは一生に何度もある事ではないのですよ。勢いでも一時の気の迷いでもなく、丹念に計画を練って最高の思い出となるようにするべきでしょう、クイヤール様」
確かにダフネの継父は彼女の母親に求婚した時、紅葉の美しい街路樹の通りにあるこの家の前で
「そうよ、テネーブルさまだって正装で薔薇の花束を持ってお姉さまへ求婚しに来られたわ。すっごく素敵だったのよ」
あのヘタレフランソワが素敵だったというのは疑問が残るが、とにかく俺は打つ手を大きく間違えてしまったことを悟った。
「二人共、そこまで言わなくてもよろしいでしょう? クイヤールさまがお気の毒よ」
「だって、お母さま! クリスチャンは告白に初デート、初エッチからプロポーズに至るまで素敵な演出をしていたというのに! テネーブルさまだって……」
「ダ、ダフネッ!」
フランソワがどんな演出をしたのかは野次馬根性で是非とも知りたかったが、残念だ。
逆に告白も初デートもすっとばして、いきなり肉体関係から入ったという俺達の事情について暴露されると……俺はダフネと別れさせられ、この家には永久出入り禁止になりかねない。
真っ赤になったキャロリンさんに、ニタニタ顔の過保護継父、ムキになっているダフネを前に俺はひとまず退散して出直すことにした。
その翌日、俺は久しぶりに王宮の騎士団に顔を出した。稽古着を着てきたので騎士団の仲間と少し手合わせをし、少し気が紛れた。
俺がこの王宮騎士団に戻れる日は来るのだろうか……ダフネにプロポーズし直すにしても、遠征中のままの身分では宙ぶらりんなままである。何としても早く目途を立てる必要があった。俺は騎士団副団長の執務室を訪れた。
「おお、クイヤール。久しぶりだな。西端の街で羽を伸ばして楽しんでいるか?」
俺が今年の夏から近衛への帰還願いを出していることを知ってからは毎回この嫌味である。
「どうせ気楽な独り身ですからね……大いに羽目を外しています……」
俺はがっくりと肩を落として言った。
「うん? だったらこれは遠征先での生きがいを見つけたお前には残念な知らせになるか?」
副団長は俺に一枚の紙きれを渡した。俺は大きなため息をつきながらそれを受け取った。
「ジュリエン・クイヤール少佐を3月1日付で王宮近衛騎士第一団に任命する……って! オレ、王都に戻って来られるのですか?」
「遠征先に骨を
「埋めません、辞退しません、喜んで謹んでお受け致します! やったー! ダフネ、愛してる!」
俺は大声で叫びながら副団長に軽く一礼をして彼の執務室を飛び出した。俺は馬を駆ってダフネの家にすぐに向かおうとしてふと考え直した。
「待てよ。この汗臭い稽古着のまま、王都に戻って来られるようになったから結婚しよう、なんて言ってもあの継父につまみ出されるだけだよな……」
俺は作戦を練ることにした。大晦日は遅番で仕事だと言っていたダフネだったから、仕事の後に俺が迎えに行って、真夜中に王宮で上げられる花火を一緒に見る約束をしていた。彼女の両親にも午前様になる許可をもらっていたのだ。
俺はその時に改めて求婚することにした。
結論から言うと、二度目の求婚は大成功だった。
ダフネと継父クリスチャンはあの後お母さんのキャロリンさんにあまりにも俺が可哀そうだとたしなめられたそうだった。
大晦日の夜、俺はダフネを騎士団がある王宮西宮の塔に連れて行った。そこは花火が間近で見られる特等席だったのだ。
花火が始まった時に俺はおもむろに彼女にそれを渡した。それは筆不精な俺が書いたベタな恋文と例の辞令だ。蝋燭の灯りで文を照らしてやり、ダフネにそれを読ませた。
『私は死ぬまで変わりません。ダフネ、貴女を愛しています。結婚して下さい』
二枚目の紙、辞令書にも目を通したダフネは何と感極まって泣き出したのだった。しかも王宮で上げられる花火をバックにロマンティックなムード満点だった。
「貴方はもう私にプロポーズする気も失せたのだろうと諦めていたのに……それに、貴方には所詮私は不似合いだと……」
「そんなことない、俺はお前じゃないとやっぱダメなんだ。春になって王都に戻って来たらお前の側にずっと居るから」
「ジュリエンたらぁ……私、貴方のその気持ちだけで十分よ」
花火の後は真っ直ぐ彼女の家に送り届け、自分の寝室に入ったダフネには更なるサプライズが待っていた。昼間に俺はキャロリンさんに頼んで薔薇の花を
***ひとこと***
ジュリエン君、最後のボスキャラであるクリスチャンとの攻防が続いております。
私のもとへ帰って スイセン(黄)
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