第12話高校その2

 違う国の文化に触れることはプラスになることが多いでしょう。自分の価値観や感性を大きく広げる一助になります。


 しかし、マイナスになることも多いのです。

 『と思う』だとか『かもしれない』だとかの言葉を使わずに断定的に言いましたけど、そう確信できる出来事が僕自身に起こったのです。


 今、こうして文章に書き出すこと自体ですら困難なのです。気分が悪くなり、吐き気も催します。

 しかし書かなければいけないのです。それは義務ではないですけど、書く権利ぐらいあるのだと思います。


 トラウマを文章にしたためるのはとても勇気が要ることです。とても怖くて辛くてたまらないのです。しかしこの私小説を読んでくださる奇特な方のために僕は書きます。

 それが自己満足だとしても。


 前置きはこのくらいにして、トラウマについて書きましょう。

 僕が高校二年生のときの出来事です。

 僕は夏休みの間、交換留学で中国に行きました。八日間、だったと思います。日にちがおぼろげなのは、当時の記憶が曖昧になっているからです。それは大昔の出来事、だからではなく、思い出したくないからです。そのくらいのトラウマなのです。


 だけど、トラウマ自体をしっかりと覚えているのが、僕の記憶力の悪いところです。

 嫌なことはずっと覚えている。だから僕の私小説は嫌な記憶ばかりなのです。

 まあアイさんのことは悪い記憶ではないですが。


 話を戻します。僕が中国に行った年は北京五輪が開催されたこともあって、空港にはたくさんの人が居ました。僕はあまり多くの人々の群れを見ると気分が悪くなります。


 それは対人恐怖症とか群衆恐怖症だとか、自分勝手に診断しますけど、昔から苦手だったのです。

 まあ初めての海外ということもあり、気分が悪くなったのは仕方がないと思います。

 飛行機を乗り継いで、目的の街に僕は着きました。


 交換留学と言っても、短期間のホームステイとあまり変わらないかもしれません。中国の姉妹校の生徒の家に泊まって親睦を深めるのが主なスケジュールでした。

 僕を泊めてくれたのは、仮名ですが、アールくんという男の子でした。

 歳はアールくんが一つ上でした。


 アールくんの通う高校は、なんというか、エリートが通う高校でした。まあ僕の高校も進学校を謳ってましたが、それとは比較にならないくらいの優秀な学校でした。

 アールくんはとても優しい人でした。拙い僕の英語でもニコニコ聞いてくれましたし、何より僕みたいな人間を歓迎してくれたのも嬉しかったことの一つです。

 しかしアールくんのとった対応が、僕の心に大きなトラウマを植えつけたのです。


 ホームステイをして三日後、つまり泊まる最終日のことでした。

 アールくんとその両親は、僕を夕食に連れてくれたのです。


 その場所は、高級ホテルでした。アールくんの父親はこれまた優秀な人で、日本で言うところの国家公務員でした。平均よりも収入は多かったのでしょう。高級ホテルにも気軽に行けるのだと、アールくんは言ってました。


 車をホテルの駐車場に停めて、ホテルの入り口まで歩いていきました。

 その短い道中に、僕のトラウマは生まれたのです。


 ホテルの駐車場の出口ぐらいに、何故か音楽が流れました。音楽に疎い僕ですけど、なんとなく中華風の音楽だと認識しました。

 音楽が鳴っている方向を見ると、そこには一人の少年と一人の老人が居ました。


 少年は小学生もしくは中学生くらいで、老人は六十代くらいでした。

 少年と老人の身なりは、はっきり言って汚いものでした。ボロボロの服、穴の空いた靴、洗髪どころか風呂にも入っていないことが分かる皮膚。


 僕は彼らをホームレスだと思いました。言い方を悪く変えれば、乞食なのでしょう。

 老人はガラクタ同然の弦楽器を演奏していました。そして少年はそのしらべに乗せて、歌っていました。


 それは――とても綺麗な歌声でした。

 澄んでいて、清らかで、美しい歌声だったのです。

 僕のほかにも聞いている人が居るほど、その歌声は聴衆の心を掴んでいたのです。


 少年は目を瞑って、一生懸命歌っていました。足元にはたくさんの硬貨がありました。中には紙幣もありました。

 僕は感動して、思わず財布からお金を取り出しかけました。

 しかしそれを止めたのは、アールくんでした。


「橋本くん、お金をあげるのはやめたほうがいい」


 英語で言われました。僕は「どうして?」と聞き返しました。


「一回あげるとキリがないからさ。俺も父さんから禁じられているんだ」


 そんな風なことを言いました。

 僕は、納得はしませんでしたけど、地元の人間の言うことを聞くのが正しいと思って、財布を仕舞いました。

 そしてアールくんに促されて、僕はホテルへと向かいました。


 そのときでした。聴衆の投げた硬貨が、少年の胸に当たったのです。わざとではないでしょう。たまたま当たってしまったのだと僕は思います。

 当たったことに驚いて、少年は目を見開きました。

 それがトラウマの始まりでした。


 少年の目はありませんでした。くり貫かれていたのです。

 真っ黒な空洞。

 何もない闇のようなまなこ。


 言葉を尽くしても、表現できないくらいの衝撃を僕は受けました。

 僕はパニックを起こしました。どうしてそんなことが起こるのか理解できませんでした。

 可哀想と感じる前に、生理的嫌悪感を抱かせるような気分の悪さを感じました。


 そして次の瞬間にもトラウマが生まれだしたのです。湧き出る泉のように、切り口から吹き出る血液のように、どくどくと。


 僕はアールくんの顔を見てしまったのです。

 それはとても嫌なものを見た、嫌そうな顔だったのです。

 嫌悪感を隠そうとしない、差別的な表情。


 まるで害虫を見たように見下していたのです。

 僕はその表情を見て、思ったのです。

 ああ、この国の人々は病んでいるのだと。


 その理由としては、アールくんは決して悪人ではないということが挙げられます。

 普通の感性と常識を持ち合わせた人間だということなのです。つまり中国人としては普通の感覚を持っているのです。


 そのアールくんが嫌悪感を隠そうとせずに嫌な表情を見せたということは、他の中国人も同じ反応をするということなのです。

 現に少年を見ていた人々も同じような顔をしていたのです。


 だからこそ、この国の人々は病んでいると思ったのです。

 中国は共産主義を題目に掲げているのに、こうした貧しい人々が居て、その一方でアールくんのように裕福な家庭も居ます。


 そんな不平等な社会を作っている国がどうして病んでいないと言いきれるのでしょうか? 

 そう考えると、日本も病んでいます。普通にホームレスも居ますし、それを助ける人々も限られています。

 そう思ったとき、僕は訂正せざるを得なかったのです。

 中国や日本だけではなく、世界そのものが病んでいるということに、気づかされてしまったのです。

 貧富の差はますます広がっている現状に目を背けていたことに気づいたのです。


 しかしその気づきはその場で思ったわけではなく、帰国して数週間経った後に考えたことでした。

 僕はその場では少年とアールくんの二人に絶望したのです。

 目がくり貫かれて居た少年は、何故そうなってしまったのか? 老人との関係は? こんなにも素晴らしい歌声は生きる為に上達して得たものなのか?


 疑問は尽きることはなかったのですが、訊くことすらできなかったのです。

 僕は中国語を話せませんし。

 少年もまた英語を話すことができなかったからです。


「さあ、行こう。橋本くん」


 そう促されて、僕は少年から離れました。

 もう二度と会うことはないだろうけど、せめて――

 その後の言葉は未だに見つかりません。


 幸せになってほしい? それとも生きていてほしい?

 どんなに言葉を尽くしても、所詮は平和な時代に生きた甘っちょろい高校生の重みのないものに成り下がるのです。

 だから、答えは一生見つからないのでしょう。


 その後に食べた高級ホテルの料理の味は覚えてません。気まずくて何を食べても美味しく感じませんでした。


 アールくんには「美味しい」と嘘を吐きました。それしか言葉がなかったからです。

 僕は帰国して、夏休みを過ごした後、新聞部の顧問の先生に、とある記事を書くことを命じられました。

 それは中国での体験談でした。


 僕はしばらく書く気が起きなくて、それでも書かなくてはいけないと思って、鉛筆を握りました。

 だけど――書けませんでした。


 書こうとすると、手が震えてしまうのです。

 今、こうしてキーボードを打鍵するだけでも、震えてしまいます。そのくらい僕の心に深く突き刺さったトラウマだったのです。


 少年の暗い空洞。

 アールくんの嫌悪。

 それらがフラッシュバックして何度も何度も繰り返し浮かんでくるのです。


 夢にまで出てきます。おかげで睡眠不足になり、体重も減りました。

 寝ている間だけではありません。日常生活でも浮かんできたのです。

 僕はすっかりノイローゼになってしまいました。


 結局、僕は記事を書くことはできませんでした。いや、書いたのは書いたのですが、無難な内容のものへと変わってしまったのです。

 このとき、僕は決意しました。

 それは新聞部を辞めることです。


 理由として、僕は記者にはなれないと思ったからです。記者というのは新聞部部員を指します。自分の体験を文字に起こすことが出来ないなんて、記者失格だと思ったからです。

 それまで仲良くしてきた部員と別れることになるのは辛いのですが、もう耐え切れなくなったのです。

 悪夢を取り払うことが未だに出来ない僕なのです。当時はもっと酷かったのです。


 しかし新聞部を辞めた僕は、悪夢を誰かに打ち明けることは出来ませんでした。

 出来たとしたら、アイさんでした。

 アイさんと僕は繰り返し話し合いました。


 ねえ、アイさん。どうしたら悪夢が無くなるのかな?

 洋一くん、受け入れることだよ。

 こんな悪夢、受け入れたくないよ。

 悪夢じゃないよ。夢でもない。これは現実なんだよ。作り話でもないんだから、受け入れることしか出来ないじゃない。

 そんなの耐え切れないよ。

 耐えるんじゃなくて、受け入れることだよ。

 どう違うのさ?

 受け入れることで自分のものにするんだよ。自分が成長するための糧にするんだ。

 意味が分からないよ。あんな体験で成長なんてできやしないよ。

 私の死は受け入れたのに?

 …………。

 大事なことは受け入れることだよ。理不尽や不幸を受け入れることで、洋一くんは大人になっていく。

 受け入れたら、楽になれるかな?

 それは洋一くん次第だよ。


 こんな会話を何度も何度もしました。

 僕にとって、アイさんは居なくてはならない存在になっていました。

 家族から捨てられた僕にとって、保護者と言うべき存在だったのです。

 まあ母親扱いは、アイさんも嫌がるでしょうけど。


 しかし、アイさんが居なくなってしまうのはすぐそばに来ていたのです。

 心から慕った女性。

 心から敬愛した女性。

 そのアイさんが居なくなってしまう事件。


 これは――僕が悪いのです。

 そうとしか言いようがないのです。あのとき僕は否定することができたのです。

 しかしできなかった。


 勇気がないから。

 意気地が無いから。

 だからあんな結末になってしまったのです。


 はっきり言いましょう。

 僕は人殺しなんです。

 直接殺したわけではないのですが、それでも人殺しには違いないのです。

 僕は今まで四人、いや五人殺してしまったのです。


 正確には、二人と三人です。

 最初の二人のうち、一人は会ったことはなかったのですが、それでも僕が殺したのです。

 それを語るにはとても勇気が要ることです。

 これもトラウマになっています。


 だけど僕は書かなければいけません。

 救われたいからかもしれません。

 自己満足かもしれません。

 だけど書かずにはいられないのです。

 次は僕の最初の殺人について語ります。

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