第46話 お酒を飲みながら



「ってことで、かんぱ〜い!!」


「おう。乾杯」



 俺と奏が缶チューハイをコツンとぶつけ合う。

 にししと嬉しそうに笑う彼女をしり目に、俺はお酒を一気に飲みほした。


 ……相手のことを考えたデートか。

 さっき、奏が話してくれた内容が俺の心に突き刺さっている。

 いい意味で考えを見つめ直す、為になる話だったから……。


 いやぁ……マジで目から鱗。


 俺は、お酒をぐいっと飲んでしまいたい。

 そんな気分に駆られ、もう一本に手をかけようとした。

 だが、奏に手を掴まれ代わりにつまみが前に出てくる。


 不満を伝えようと奏をみると、じとーっとした目で俺を見てきた。



「ペース早過ぎー。飲み過ぎはダメだって〜」


「たまには豪快に行きたくなるんだよ。一回でもいいから、酔い潰れて『え!? 朝!?!?』みたいな展開を……」


「それ、後でモーレツに後悔するやつだよ。『記憶がない間、俺は何を……?』って。学校でそういう人いたし」


「うっ……。確かに想像すると、ちょっと怖くなってきたわ」


「でしょ〜? 適度に楽しく、それがお酒の大原則だからねっ! まっ、『20歳でお酒知りたての小娘が何言ってるんだ!』って感じだけどさぁ〜」


「そんなこと言ったら、俺は『そんな小娘になんで嗜められているんだ!』って呆れられそうだけどな」


「アハハッ!」



「ウケる〜」と足をバタつかせて笑う彼女を見ていると、顔が綻んだ。

 お酒を飲み始め、頰がほんのりと赤くなった奏はいつも以上に距離が近く、俺の肩に寄りかかるようにしてきた。



「こうやって過ごしたデートの最後は、やっぱりお酒だよね〜っ」


「ははっ。それは俺も同感だなぁ~。肩が凝る店っていうのもたまには特別感があっていいけど。俺はこうやって家でのんびりとするのが好きだわ」


「でしょでしょ~。やっぱり私の考えは間違いではなかったねっ」



 今日のデートは、決して大人のデートってわけではない。

 人によっては『ないわー』と言うかもしれない。


 でも、奏と俺という似た考えを持った二人だから、質素でのんびりなデートがどんな高級感溢れるものより、極上に感じているのは事実だった。


 これは、あくまで俺の考えではあるけど……。

 そんな俺の心中を見透かしたように、



「んで、今日のデートはしんたろー的にはどうだったのかなぁ??」



 と、今日の感想を求めてきた。

 考えていたタイミングで聞かれたから、俺は思わず笑ってしまう。

 すると奏は笑ったことに対して、頰をつついてきた。



「ははっ。最高だったよ。自分の考えがいかに偏っていたかって……思い知ったわ」


「まぁ、しんたろーの場合は“偏らされていた”って感じだけどねぇ」


「そうかもなぁ。でも、無知だった俺が悪いつうのもあるが……」


「私はそれを利用して思い通りにしようという魂胆が嫌だなぁ。あー、思い出したら腹立ってきちゃったよ……やっぱり、ここは一発……」


「こらこら。別にいいってアイツのことは……。もう全ては教訓。二度とは関わりたくない。もし仮に出会いそうになったら、川に飛び込んででも逃げるわ」


「アハハ! 凄い拒否反応だね~」


「そりゃあ、色々とやられたからなぁ。アイツって外面はかなりいいから、きっと俺との共通の知り合いは軒並み俺の敵になってるよ……。はぁ、考えてたら気分が滅入るわ……」


「あらら……そりゃあ困ったね。でも、ため息つく割には、あっけらかんとしてない?」


「そうかな? でも、そうだとしたら今の生活が楽しくて少しずつ気にならなくなってきているからかもしれない……奏のお陰で」


「えへへ~。そう言われると照れるなぁ」


「ちょ!? くすぐったいって……」


「ほらほら~。撫でても損はないよぉ??」



 俺の肩あたりに頭を擦り付け、上目遣いで見つめてくる。

 それでも、俺が撫でないでいると更に擦り付けてくるので、そのまま要求に応える。



「今の生活が幸せだって思うからさ。だから……この生活を邪魔されたら嫌だなって気持ちが強くなってるんだよね」


「そっか」


「だから願わくば、会いたくないなぁ。あいつがいそうな所には、なるべく出向きたくないよ」



 都心の繁華街に、ブランドショップ。

 金の匂いがプンプンするところは全て黄色信号だ。

 会いたくないから、会う可能性がある所には全て行かない。

 熱りが冷めるまでは、そうするつもり……。


 そんな俺の心配を他所に、奏はあっけらかんとした様子で俺に言ってきた。



「でも、会う心配もほとんどないんじゃないかなぁ~。だから、しんたろーは元奥さんの陰に怯える必要もないよ」


「そうなのか?」


「世の中、因果応報だよ。元奥さんは、しんたろーに構ってる暇はなくなると思うなぁ」


「因果応報ねー……」


「そ! 悪いことはできないってことだね」



「同情の余地はないね」と意味有りげな口調に、俺はじっと奏を見つめた。



「あ、ごめんね。でもとにかく心配しないで大丈夫ってこと!」


「奏が言うなら、そうなのかな??」


「うんっ! だから、今はこの時間を楽しもうよ〜」


「そうだな」



 俺が同意すると、奏は缶を手渡してきた。

 受け取った俺は、もう一度コツンと缶を合わせ「乾杯……」と呟き、微笑みを向ける。


 奏は、俺の顔をじーっと見つめた後に、にへらと表情を崩した。



「なんか、こういう日もいいな。代わり映えのないようにも感じるけど、休日に二人でのんびりと過ごして、そして……お酒を飲みながら談笑するつうのがさ」


「いいよね~。何気ない日常の1ページって感じで……」


「気持ちが和むっていうか、安らぐっていうか……まぁ、言葉じゃ言いづらいくて、上手い喩えが思い浮かばないけどな」


「わかるよ。私も同じ気持ちだからねぇ〜。のんびり、のほほーんって感じ」


「ははっ。そっかそっか」



 同意してくれたのは、建前かもしれないし、真実かもしれない。

 口に出したことが事実であるなんて、それは本人しか知り得ないことだ。


 そうだとしても、嫌な態度をとられたりあからさまな演技をされていない。“同じ気持ちだ”って、いつもの調子で言ってくれている……それだけで、救われた気分になる。

 くすっと思わず笑ってしまうような、そんな温かい気持ちに……。


 ——俺ってこんな生活がしたかったんだなぁ。

 そう、実感すると途端に心臓が、とくんと高鳴った。



「奏には話したことなかったけど、俺はどちらかと言うと休みはインドア派でさ。家にずっといるのが好きって感じだったんだ」


「へぇ~。そうだったんだ。確かに、ゲームとか好きって言ってたもんね! あ……、じゃあ、外に連れ出しちゃってごめん……」


「謝るなよ。奏を責めたくて、そう言ったわけじゃないんだからさ」


「そうなの?? なんか珍しく哀愁に満ちた顔で言うから何事かと思ったじゃん」


「哀愁って、お前なぁ……」



 それってどんな顔だよ!

 って、ツッコミたい衝動を抑え、俺は嘆息する。

 それから話が逸れないように、話題を戻すことにした。



「単純に、今日みたいに外の空気を吸うのも悪くなかった。そう思ったんだよ。自分ではインドア派で家でゴロゴロが至高で至福と思っていたけど、違ったんだって」


「そっかぁ。じゃあ、新しい発見だねッ!」


「まぁね。奏といると色んな価値観が変わってくな。勿論、いい意味で。奏と過ごす日は楽しいよ」



 俺が素直な気持ちを言ったのが珍しかったのか。

 奏は大きな目をぱちくりと瞬かせ、自分の頬をつねる。


 まるで夢か現実かを確かめるような仕草に、思わず苦笑した。


 そして、俺が言ったことをようやく自覚したのが表情を緩ませる。

 何度か自分の頬をペチペチと叩き引き締めると、奏は俺の表情を窺うような視線を向けてきた。




「ねぇ、しんたろーはまだ不安?」


「不安?」



 漠然とした問いに顔をしかめる。

 普通だったらこんな脈絡のない質問を理解することは出来ないだろう。


 けど……。

 俺には、彼女の不安そうな顔から何が言いたいか感覚的に理解できていた。



「不安がないと言えば嘘になるかな。気になることも多いしね……」


「そうだよね……って、気になること?」


「ああ。もっと、自分が簡単な性格してれば良かったんだけどね。これは、A型の特徴なのかな? 割り切ればいいんだろうけど、どうしても気にしちゃうんだなぁ」


「私は気にしないよ。何があっても」


「強いな、奏は……。でも、当事者になると思ってた以上に精神がやられることもあるんだぞ?」



 奏は知らないが、離婚をしてから少なからず偏見の目に悩むことがあった。

 それに加えて、先の不安……。


 奏に救われたと言っても、どうしてもチラついてしまう。

 けど、そんな俺を元気づけるように俺の手をぎゅっと握り、微笑みながら俺の目をしっかりと見つめてきた。



「もう私は昔のように弱くないよ。どんな辛いことからも逃げないし、何があってもきちんと受け止める。周りに何を言われても、私だけは味方。だから、悩むことがあっても一緒に解決しようよ。しんたろーは……もう、独りじゃない」



 彼女の口から出た言葉に、俺は昔の自分を重ね、ため息と笑みの混合したものを大きく吐き出す。

 同時に、すーっと胸の奥が軽くなったような気がした。



「ありがと。ほんと、頼もしいな」


「……これも、誰かさんの受け売りだけどねー。でも、その考えや気持ちは私の中で血となって巡ってるよ」


「はは、そっか」



 自分が言った言葉で彼女が救われ、そして自分に返ってきた。

 あの時、自分の言葉よりも大きな説得力を伴って……。

 こんなにも、嬉しくて励まされることはない。


 そして、俺の心に不安とは正反対の感情が大きくなってゆくようだ。

 頭で考え、自覚することでそれがどんどんと大きくなる。


 やべぇ……こんな気持ち……。

 初めてなんだけど……。


 顔に火がついたぐらい熱い。

 動悸は激しく、高鳴る心臓の音が周りにも聞こえそうなぐらいだ。


 俺が熱を冷まそうと手で顔を扇いでいると、奏が冷えたビールを顔に当ててきて魅力的な笑顔で微笑んできた。



「さぁ! じゃんじゃん飲むよぉ~~っ。今日は無礼講だぁぁああ!」


「おいおい。叫ぶのは近所迷惑だからな? ってか、奏に無礼講とかは存在しないだろ」



 俺がツッコミを入れると、彼女は待ってましたと言わんばかりに屈託のない笑みを浮かべ、ケラケラと笑う。

 こんなやりとりに俺は唯々、癒されてゆくのを感じた。



「飲み過ぎるなよ?」


「大丈夫大丈夫! あ、でも~前後不覚になっても、襲っちゃダメだよー?」


「安心しろ、そんなことはしないから」


「え~。ヘタレじゃ~ん」


「うっせ」



 仏頂面で答えた俺の頬を「何とか言え~」とダルがらみをしながら突いてくる。

 お酒が入っているからか、いつも以上に密着してきていた。


 こんな何気ない日常。

 何気ないやりとりが、俺には楽しく――かけがえのないものに感じた。


 デートの締めとなる奏との飲みは、彼女が寝てしまうまで続いたのだった。

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