8話 出会い
考え事をしながら歩いていた彼女は向かってきていた人にぶつかり、尻もちをついた。
「いたた……すみません。ぶつかってしまっ……て?」
そう言いながらぶつかった人を見上げると、やたらきれいな顔立ちをした男性が立っていた。黒髪に透き通るような水色の目が非常に印象深い、のだが……。
(私……もしかしてどこかのマフィアのボスに喧嘩売ったのかな?)
男性の雰囲気は一言で言えば、怖い。チンピラやゴロツキなどとはわけが違う。あらゆる事柄を徹底的に仕込まれた者の気配を纏っている。素人目ではガラが悪い、という言葉で終わらせるだろうが、この男は……品のある不良だ。
「別に気にしてねえ」
言いながらその男性は彼女の手を掴んで立たせた。
「ありがとうございます。お怪我されませんでしたか?」
「あの程度で怪我なんぞするか」
「それはよかった」
彼女が笑顔で言うと男性は特になんの反応も示さずにそのまま歩いていく。その後ろ姿を見ながら彼女は一瞬思案すると男性の後を追うように歩き出した。
♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎
「……おい」
「うわっ!?」
彼女が男性を追うように歩いていたとき、脇道に逸れた男性を不審に思いながらも進んでいくと脇道を追い抜いたところで突然声をかけられた。
「なんでしょう?」
「なんでしょう、じゃねえよ。なんでついてくる?」
「別にどうこうしようというわけではありません。ただ、ついて行けば宿屋の場所が分かるかな、と。不快でしたら謝りますが」
彼女がそう言うと、男性は深いため息をついた。
「……まあお前みたいな間抜けに尾行ができるわけはないか」
少しばかり失礼な物言いをされたものの、ここで怒鳴るのもおかしな話なので、彼女は表情を変えることなく流した。
「……俺がどこか他の場所に行くとは思わなかったのか?」
「それも考えましたけど……だいたいの場所が分かればよかったので、大丈夫です」
「……考えてんのか考えてねえのかわかんねえ女だな」
「褒めても何も出ませんよ」
嫌味を言おうが何をしようが無駄だと思ったであろう男性は再びため息をついて歩き出した。
「……ついてきたけりゃこい」
「! いいんですか?」
「また下手な尾行される方が鬱陶しい」
「別に尾行してたわけでは……」
「嫌なら来るな」
「せっかくの好意です。行きますよ」
「…………はあ」
(変な女に捕まっちまった……)
口には出さないものの、かなり面倒だとは思っている様子の男性についていきながら、彼女は今後について考えていた。……主に金銭面だが。
(入国で銀貨五枚使ったから残りは銀貨十五枚。宿代一泊銀貨二枚前後と仮定して持っている残高だとだいたい七日で底を尽きる。それに他にも装備や日常生活用の雑貨類、食料も必要になってくるよね……となると冒険者登録は明日行くとして……今日倒した分の魔物も少しずつ売ってお金にするか。あとはーー)
先程男性に激突したにも関わらず、また道で考え事を始めた彼女はどこかに躓き転ぶ――前に男性に支えられた。
「……あれ?」
「……何やってんだお前は」
「え? ……あ」
「あ、じゃねえだろったく」
「すみません」
「謝るくらいならしっかり前見ろ」
「はい」
早々に男性の手を煩わせた彼女は自身の悪癖にほとほと呆れていた。幼い頃から考え事を始めると周りが見えなくなってしまい、幾度も危険な目に遭っている。それでも直らないのだからいっそ褒めたい。
それから特に会話もないまま宿に着き彼女は男性に続いて宿の中に入る。
「おい、ババア。部屋余ってるか?」
「ババアって言うんじゃないよ! 相変わらず口が悪いね。なにに使うってのさ」
男性の言葉に豪快な中年の女性が出てきた。おそらくこの宿の女将か何かだろう。
「こいつの部屋だ」
「こいつ?」
女性は男性の後ろにいた彼女に視線を向けた。
「おや、どちらさんだ?」
「はじめまして。隣国から来た旅の者です」
「はーん、随分と綺麗な子じゃないか。まさかこの子と変なことしようってんじゃないだろうね?」
「なんでそうなる! ただの成り行きだ。そもそも初対面だっつの」
「どうだか」
「ざけんなよババア……!」
「こいつのことは置いといて、部屋ならひとつ余ってるよ。一人部屋だからちょうどいいだろ」
「ありがとうございます」
「いやいや、満員になるのは商売的にはありがたいからね。人が入る前でよかったよ」
「そうですね」
「部屋はその男の左隣だよ」
「この方の?」
「ああ、いいかい?」
「いいもなにも泊まれるのでしたら問題ありません」
「そうかい。それじゃ……ほい、これが鍵ね。なくすんじゃないよ」
「はい」
「部屋はその男についていきゃわかるから」
「ありがとうございます」
「おい、なんで俺が案内するみてえな流れになってんだ。客の相手はテメエの仕事だろうが」
「何言ってんのさ。あんたがこの子をここまで連れてきたんじゃないのさ。だったら最後までしっかり面倒見な。もうすぐ夕飯できるからね」
「……チッ」
「舌打ちするんじゃないよ」
「……覚えてろよババア」
女将はそんな男性の恨言を無視し、そのまま宿の奥へと歩いて行った。
(強いな、女将さん)
などと場違いなことを考えていた彼女だが、さっさと先を歩き出した青年について行く。
「ここだろ。じゃあな」
「ありがとうございます。何かお礼を」
「いらねえ」
それだけ言うと男性は自室に入り扉を閉めた。
「……まあ、いつか恩を返す日が来るか」
そう思いながら部屋の扉を開けて中に入る。室内はシンプルなベッドに机と椅子がある。長期間宿泊しても何一つ問題なさそうだ。強いて挙げれば防音くらいだろうが、そこは魔法でなんとかなるだろう。
「異世界だし屋根のある場所に泊まれるなら、贅沢は言わないけど……念の為…………大丈夫かな」
結界魔法の使用はこれが初めてのため、思わず不安が口に出たが、やってみるしかない。
「でも結界の張り方でどんな感じ? うーん……まあ、とりあえず外に音が聞こえないように……」
部屋全体を覆うイメージで魔力を放出すると、室内の壁から魔力が微かに放出されるような感覚があった。
「……うまくいったかな?」
彼女は念の為、空間から魔物の爪を取り出し扉に向かって放り投げた。
「……誰も来る気配はなし。まあ宿でそこまで大きな音を立てることなんて滅多にないし……これでいいか」
そう思いながら、空間から生活に必要なものを取り出し机に並べる。幸運なことに、この世界に来なければ友人と旅行に行く予定だった彼女は最低限のものは持っていた。この世界にあるものを使ってもいいのだが、普段使っていない物だとなんとなく落ち着かなかった。
「さてと、こんなものでいいかな。……そういえば、もうすぐ夕飯できるって言っていたから下に行こうかな」
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彼女が下に行くと、すでに宿泊客で溢れていた。
「座る場所あるかな……」
そう思いながら席を探していると、人々がごった返すなか、異様に人気のない場所を見つけた。
「……なんで、あそこだけ空いてるんだろう」
まるでそこだけ取り残されたかのように空席のあるテーブルに近づくと理由はすぐに分かった。
「……あ、あー……」
そこには圧倒的強者の空気を纏う漆黒の青年が座っていたのである。言うまでもなく、彼女をこの宿まで案内したあの男性だ。その光景を見た彼女は思った。怖くて誰も近づけないんだな、と。
(別にガラが悪いってだけでそんなあからさまに離れる必要ないのにな……)
男性の周囲のテーブルに座らないため、立ったままで席を探している者も何人かいる状態になっていた。ただ食事をするだけなのだから対して気にすることでもないだろうに、何故そうまでして彼を避けるのか、彼女はその理由に興味を抱き、彼のいるテーブル目指して歩きだした。
男性が食事をしていると、普段は人が通らないため常に明るいテーブルに影が差した。
「すみません、ここ、座っても?」
聞いたことのある声に男性が視線を上げると、そこには予想通りの人物が笑みを浮かべながら立っていた。その女が指を指している場所は男性の真正面の席。
(こいつ……アホか?)
案の定、周囲の空気が変わり容赦ない視線が突き刺さる。
(何でわざわざこの席にすんだ)
面倒にお思いながらも引きそうにない女を睨み、やがて諦めてため息をついた。
「好きにしろ」
男性がそう言うと、彼女は口元に微笑を浮かべるのだった。
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