3話 気分転換はお忍びで城下へ

 翌日、セルビアは散歩に出掛けていた。といっても、人々が起き出す時間より前だが。昨日の今日なので面倒なことになる予感がしたからである。

 今、人通りは全くなく、使用人たちもあと一時間弱は起きてこない。


「人がいないことがこんなに嬉しく思ったのははじめてなんだけど……」


 この世界に街灯などといったものはないので、日が昇っていないこの時間は本当に暗いがセルビアには全く問題はなかった。


「ふう……いつまでこんな生活が続くんだろ」


 しばらく歩き、セルビアは街が一望できるところにやってきていた。今夜は満月で見通しがよく、風も穏やかだった。


「夜ってこんなに静かだったんだ……向こうは夜でも眩しいから新鮮」


(こんなに自由を感じるのが人のいない夜の時間だけなんて……皮肉なもんだな)


 しばらく目を閉じて、風を感じながら自分の好きだった歌を口ずさむ。今は誰もいない。セルビア・キサラギではないひとりの女としての時間だった。日が昇ればまたセルビア・キサラギに戻らなければいけない。


(今だけでもいい……このまま)


 歌っているうちに空が明るみだし、やがて日が昇ってきた。彼女は初めて一人静かに日の出を見て、そっとその場を後にした。人々が起き出す前に部屋に戻るために。



      ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎



「さてと……今日はどうすっかな」


 ベッドに転がり、天井を見上げながら今日は暇な一日になりそうだ、とぼんやり考える。昨日の今日でまた馬鹿共が騒ぎ出しそうな気がするため、下手に出歩くのは良くない。とはいえ、このままただぼんやりしていては肉体及び精神の健康上よくない。しばらくは夜の散歩に出掛けることは確定だが、それでも足りないだろう。何故ならばこの世界にはジムなどがないからである。


(このままじゃ……間違いなく太る)


どうしたものかと考え、そこでふと、散歩中に見た城下を思い出した。


「そうか。城下なら……」


元々セルビアのいる場所は人がほとんど、どころか全くと言っていいほど通らないため、こっそり出掛けてもバレないことに加え、セルビアの正体を知らなければ普通に会話に混じり情報収集なども容易くできるだろう。城の連中のように嫌味を言われるようなこともないはずだ。


「そうと決まれば早速行きたいところだけど……レオンハルトさんどうしよう。絶対ついてくるんだろうけど」


(絶っっっ対、目立つ!!!!!)


 騎士であることに加えあの美貌。目立つなという方が無理である。貴族階級の者達は平均的に容姿が整っているため、一歩外に出れば女性達が視線を向けるだろうことは確実である。そのためセルビアが城下に行ったことがバレる可能性があるのだ。


(でもここに来て諦めるわけにもいかないし……そうだ)


「レオンハルトさん」


 セルビアは扉に近寄りレオンハルトを呼ぶとすぐに扉が開かれた。


「どうかなさいましたか?」

「実は城下に行ってみたいんだけど」

「ではご一緒させていただきます」

「やった~。それでお願いがあるんだけど」

「なんでしょうか」


セルビアはにっこりと笑ってお願いを口にした——



       ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎



——城下街


「結構賑わってるね」

「はい。ここが王都であることに加え、最近では聖女が召喚されたため、全体的に浮き足立っておりますから」

「やはり聖女とは特別なものなんだ」

「……はい。ところでキサラギ様何故あのような場所をご存知だったのですか」



 セルビアはレオンハルトと共に城下にやってきていたが、ここに来るまでに城の抜け道を通ってきたのだが。


「いや~散歩してたら偶然見つけてさ。ちょうど大人の男でも通れそうだな~って思ってたんだよね」

「……そう、ですね。私も通れましたし。場所的にも刺客が出入りするにはじゅうぶんです」

「まあそうだろうね。でも仕方ないんじゃない? あんなところに穴空いてるなんて普通思わないでしょ」

「ですが、それは言い訳にはなりません。城への侵入を許すことになってしまいますので」


(それはそうだ。騎士からすればあんなの致命的だろうし)


その通り過ぎて苦笑するしかないセルビアだったがすぐに街に視線を向ける。


(まあ人々を見る限り悪政はしてないみたいだけど)


 次代を思うと自然と憂いが込み上げてくるのは仕方ないことだろう。他の王子達はどのような人物なのかはわからないが、第一王子の場合は不安なところが多々ある。


「キサラギ様いかがなさいましたか?」

「なんでもなーい。それよりこの街のこと教えてよ」

「はい、それでは……」

「あ、そこのお嬢さん!」

「?」


レオンハルトと並んで歩いていると、唐突に声をかけられ振り向くと感じのいい中年の女性だった。呼ばれるままに近づくと女性は笑顔で自分の商品を指さした。


「お嬢さん一本どうだい? 恋人も一緒に」


さらっとレオンハルトまで巻き込むあたり商売熱心な女性なのだろうとセルビアも笑顔を返す。この様子では彼が騎士だとは気付いていないようだ。ちなみに何故勘違いしたかというとセルビアのメイク技術と服装のせいである。今レオンハルトは平民の服に身を包み、綺麗な顔もセルビアの手によって平均的な雰囲気になっている。


(ほんと、化粧ポーチ持ち歩いていてよかった)


とはいえ、貴族然とした雰囲気までは隠しきれていないためそこは放置である。


「これは何の肉?」

「うさぎの肉だよ」

「……え?」


女性の言葉にセルビアは一瞬固まった。


(ウサギってあのウサギだよね? 食べるの?)


「どうかなさいましたか?」

「えーっと……」


セルビアはレオンハルトの耳元に口を寄せる。


「実は私のいた国ではウサギは食用ではなかったから……」

「ああなるほど……どうされますか?」


(食わず嫌いはよくないし、ここは異世界だ。向こう基準で考えてはいけない。慣れていこう)


「そうだな……折角だし買おうか。二本頂戴!」

「はいよ」

「私の分もよろしいのですか?」

「一緒に来たのに私だけなんて意味ないっしょ。それに……」


セルビアはレオンハルトの耳元に寄った。


「いつものお礼。任務とか関係なしに楽しんでよ」

「! ……ありがとうございます」


若干赤くなりながらも納得したレオンハルトを見て可愛いと思ったことは秘密である。


「見せつけるんじゃないよ全く! ほい、二本ね。銅貨二枚だよ」


セルビアはお金を持っていないため、レオンハルトが代わりに支払い店を後にした。


「どこかに座って食べましょう」

「なに言ってんのさこのまま食べるに決まってるじゃん」

「このまま、とは?」

「食べ歩き」


貴族であるレオンハルトは食べ歩きという言葉にあまり馴染みがないようだった。そんな様子にセルビアは百聞は一見にしかずとばかりにやってみせると一瞬戸惑ったがセルビアの真似をした。


「たまにはこういうのもいいでしょ?」

「そうですね。マナーを気にしなくてもいいのは気楽です」

「それはそうだ」

「はい。貴族がどんな些細なことでも揚げ足を取られてしまいますから」

「ああ……」


セルビア自身にも心当たりがあった。セレブな者ほどくだらないことで揚げ足をとってくるのだ。本当に上にいる人間ならば人の弱みを嘲ったりすることはしない(利用はする)が、血筋や家柄しか価値のない者達ほど人を下に見ることがある。気にしなければいい話だが、貴族階級にとって最たる化け物は噂といわれるほど危険なものである。『人の不幸は蜜の味』とはよく言ったものだ。


「ですから、そのようなことを気にしなくていい時間は非常にありがたいのです」

「へえ? じゃあ全力で楽しまなきゃ」

「はい」


      ♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎♦︎


 穏やかな雰囲気の中、時間は過ぎ日が傾く前に城へ戻ることに。


「楽しい時間はあっという間だね~」

「はい」

「今日は付き合ってくれてありがと」

「いえ、こちらこそありがとうございます」

「楽しめた?」

「はい。騎士としてではなく、レオンハルトととしての時間を過ごせました」

「それはよかった」

「キサラギ様はいかがでしたか?」

「私も楽しかったよ」

「ならば安心しました。こちらに来てからずっと笑顔が陰っていたので少しでも気分が晴れたのであればよかったです」


(気づいていたんだ……なんか悔しいような嬉しいような)


今まで家族以外に悟られたことがあまりなかったため、少し戸惑った。が、それを表に出すことなくセルビアは笑う。


「あなたが護衛でよかった」


 この時、この世界に来て初めて心から笑った瞬間だった。



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