執事と姫の腐れ縁

森川圭介

第1話 毒舌執事

今日もレッスンが始まる。

大きな豪邸の中に一人少女がいた。

胸に青い薔薇の刺繍が入ったハンカチが入っているのは、スーツを着込んだ男。

『まったく、そんなのですからお嬢様はいつまで経っても子供なんですよ。ほらもう一度。ワン・ツー・スリー。』

『ダンスなんて踊れなくても生きれるわよ。』

『社交会の場でこんなのも踊れなければ、富豪の紳士を捕まえることが出来ません。

お父様のカーチス様からの命でございます。

どうしても、来週までにダンスを覚えさせてほしいと。

狙うは隣国の王子サック様なのですから。』

『分かったわ、やればいいんでしょやれば。』

私は貴族の一人ホール・スピア。お父様はホール・カーチスといい大きな会社を持っている。

お金は有り余る程あり、何の不便もない。

18になるまでに婚約を終えなさいと言われていて、日々花嫁修行をしている。

こっちの眼鏡のうるさいのはサン・ロマーヌ。

私の世話をしてくれる執事。

小さい頃からずっと一緒にいて、恐らく私とは10も離れていない。

『パーティーではお静かに、行儀よく、マナーを守り、女性としての振る舞いを心掛けて下さい。それに、私と常に一緒にいて下さい。わかりましたね』

『分かってる』

私は席につき、やれやれと紅茶をすする。

『ミルクレープがいいわ。今すぐ出してちょうだい。』

『御意。では、女王の御用達のルワーノ・ワンダーのミルクレープをお出しします。』

しばらくすると、テーブルにはミルクレープが並んだ。

『何これ、装飾が一切ないじゃない。

上に何も乗っていないし』

『シンプルながらも、材料はこだわっておりクレープの焼き加減も絶妙でございます。むしろ、イチゴを載せてしまうとミルクの味が台なしになってしまいます。

子供には分からないでしょうね』

私がキッと睨みつけるとただにこやかな笑顔を崩さない。

『貴方また私のことを子供呼ばわりしたわね』

『いえ、何も言っておりませんが』

こういちいち腹の立つ事を挟んでくる。

しかし、私は気にかけていると会話が続かないから、こっちから止める。

『休憩が終われば、次はフランス語の勉強です。』

『ええ、あの老人でしょう。貴方が教えたらいいじゃない。

スペイン語やアラビア語は教えてくれるのに』

『それは、まぁ。専門の先生に教わった方が正確に早く身につきますからね。』

『もしかして、貴方。フランス語を喋れないのではなくて』

『そんな訳ありません。そろそろいらっしゃる頃かと』

そういうと、部屋を去ろうとした。

『お待ちなさい。じゃあ、一言喋ってみなさいよ』

振り向いた表情は変わらない。

『…ボンジュール』

『フフ、それだけ?貴方はよく毅然としてられるわね。』

咳込んだロマーヌはこう言った。

『お嬢様、そんな無様な格好で先生をお呼びするのですか。』

『何を言ってるのかしら。負け犬の遠吠えなんて』

私は口論ではロマーヌに勝ったことがないけれど、今回は勝ちを確信した。

『ひざまずいてもよくてよ、ロマーヌ』

『お嬢様、足元を御覧下さい 』

『靴紐が解けているなんて、その手には乗らないわよ』

足元を見るとスカートがめくれ上がっていた。

『いつからこうなっていたの』

『お手洗いに行った後ですね』

『貴方分かってたのに放置していたのね』

『ええ、レディに辱めを受けさせる訳にはいかないので。

レディにスカートめくれていますよなんて、私の口からは。

(お嬢様がいつお気づきになるかと思い面白くて)』

なんかさっきからニヤニヤしてると思ったら。

急いでスカートをなおした。

扉が開きお年を召した男が入ってきて、丁寧にお辞儀をした。

『ご機嫌いかがでございましょうか、Ms.スピア』

『あら、こんにちは。Mr.ブレッド。今日も時間ピッタリね』

『ええ、お嬢様へのレッスンが楽しみでしてね』

とりあえず言い合いは一旦引き分けね。

『どうぞこちらへ。ようこそいらっしゃいました。ブレッド様。』

足元に気をつけるように促し、手を取った。

『これはよく出来ると評判通りですな。』

『ははは、口が達者でいらっしゃる。

そんな滅相もございません。』

外面が良いのはいつものこと。少し不服ではあるけれど。




パーティーの日がきた。

ロマーヌは特別な日にはループタイを付ける習慣がある。

それだけで妙に大人びてみえる。パチリと目が合った。

ロマーヌは一歩私の隣に近づき目の高さを合わせた。

『もしかして、私に見とれてしまいましたか』

『そんな訳ないわ。第一貴方に誰が見とれるっていうのよ。』

すると、近くにいた婦人が寄ってきた。

『ご機嫌よう。そこの方お名前は?

少しでもお近づきになりたいですわ。』

『私ホール家五代目主人の娘ホール・スピア様の執事を務めさせて頂いておりますサン・ロマーヌと申します。

シャネル様の名前は存じ上げております。

新製品がまたまた売れ行きが良いとお聞きしました。』

婦人は口元に手を当て満足そうに笑った。

『あら、とっても詳しいのね。気に入ったわ。

でも残念。執事とは関係を持たないのよ。

いい旦那になると思ったのに。

もし、そのお嬢さんが嫌になったらいつでも歓迎するわ。』

『光栄でございます』笑ってごまかすだけだった。

私は肘で脇腹を突くとロマーヌは私を見た。

『ねぇ、ロマーヌ?あれは皮肉ではなくて』

『お嬢様が気になさることはないのですよ。

シャネル様はそういう人で有名ですから。』

『そう』

やっぱり社交界には色々な人がいるのね。

美味しそうなステーキとケーキを見つけた。

ええと、世界一のパティシエの作ったケーキに三ツ星レストランのステーキ。

私は皿に取って眺めていた。こんな立派なステーキならかぶりつきたいわ。

『お皿に取り分けて、ナイフとフォークで切ってお召し上がり下さいませ。』

心を見透かされているような。 

『そんなこと常識でしょう。馬鹿にしないで』

『それは失礼しました。』

そういうと、一歩下がった。

『お席までお運びします。』

ロマーヌは私の皿を取った。あれもこれも気になる。

『会場は走らないで下さい。』

無視をして、あっちこっちを歩いた。

ロマーヌを見た後、振り返ると紳士が談笑しているのに気がつかなかった。

『お嬢様危ない』

肘が紳士に当たり、バランスを崩して背中から倒れると思ったその時背中に手が回り倒れなかった。

ロマーヌは片手に料理を持って背中を支えていた。

『はぁ、何度私の心拍数を早めたら気が済むのですか。』

紳士は手に持っていたワインを服に零したようだ。

側に寄ると片方の膝を床につけて頭を下げた。

『あぁ、上等なジャケットが汚れたじゃないか。

君はこの子の執事かね。どうしてくれる』

『申し訳ありません。お嬢様の素行をお許し下さい。』

そして、胸に入っているハンカチで汚れたところを拭いた。

『少しジャケットを貸して頂けますか。』

相手は頷きジャケットを脱いだ。

ロマーヌはその場でポシェットを開き、様々な道具を取り出した。

何かでポンポンとしたり、液体をかけたり、布を押し付けたりしていた。5分と経たない内に染みは消えていた。

『こちらで宜しいでしょうか』

紳士はジャケットを受けとると目を丸くした。

『あぁ、君は技術があるんだな。これには感心した』

『タバコの臭いがついていたので、香水を振っておきました。お気に召しましたか。』

香りを嗅ぐと、紳士は頷いた。

『では、失礼致します。』

スタスタと私の手を取り席についた。

食事をしながらも気になることは沢山あった。

『ロマーヌ貴方なんであんなもの持っていたの?』

『お嬢様は幼い頃から食事をよく零していましたので、もしものことを考えて普段から持ち運んでいるのですよ。

ちなみに救急セットもです。』

『へぇ、ぬかりないわね。』

『主人に娘を傷付けでもしたら解雇だと言われました。』

お父様は親バカで私の事になるとすぐに冷静さを失う。

『口元にラズベリーソースが付いています。』

ハンカチで優しく拭った。

顔が近くに寄った。ロマーヌの顔をまじまじと見るのはあまりない。

『サック様だわ』

そこらかしこから口々に聞こえる。

『ご機嫌いかがですか。美しいご婦人方。』

青いドレスを纏った綺麗な顔の男性に色めき立った。

『サック様がお出でになられました。

お嬢様も挨拶しに行きましょう。お目当ては彼なのですから。』

『ええ、そうね。』

席に座ったまま動かなかった。

『行かないのですか。』

『別に好きじゃないの。ああいう気取っている貴族は。』

『しかし、あと半年で婚約者を探すべきかと。

カーチス様からのご命令です。』

『もう本当うるさいわね、いいったらいいのよ。

貴方は私にそんなに嫁に行ってほしいのね。

ロマーヌなんて知らないわ。』

私は駆け出していた。人の間を縫って走った。

『ちょっと、お嬢様。お待ち下さい。決してそういうつもりでは、将来を思っての事でございます。』

一本の道なら勝ち目はないけれど、人の多い会場では小柄な私の方が有利だ。

とうとうロマーヌは追って来なかった。

巻き切れたのだ。清々した。

舞踏会の屋敷の奥には更に大きなお屋敷がある。

これは、サック王子の別荘だそうだ。

そこへ入って探検をしようと思った。




上司のマーリン・ハイドに電話をかけることにした。

『どうしようか。まずいことになった。

こちら、サン・ロマーヌです。お久しぶりです。

突然ですが、お嬢様が勝手に行動してふと目を離した隙に逃亡してしまいました。援助を要求したく連絡しました。』

『お嬢様は初めての会場ですから、迷ってしまえば探すのは難儀です。それに、少女を手に染める人もいる。一刻も早く見つけだしなさい。私共もそちらへ向かいます。』

『了解致しました。お手数をおかけし申し訳ありません。』

そういうと、電話を切られた。



綺麗なお屋敷の中は興味深い。

自分の家も立派ではあるけど、また違っていい。

この部屋には暖炉がある。

薪を割って、火を付けたらさぞ暖かいだろうな。

また隣の部屋にはビリヤードが。一人でビリヤードでもしようかな。お父様が友人を連れてビリヤードに行ったという話を聞いた事がある。けれども、ルールは全く分からない。

奥に行くにつれ電気の付いていない部屋がいくつもあった。

ここは使われていないのね。

埃臭い古びた臭いがする。それに、入口から近い部屋は装飾が多いのにここはカーテンもなく、テーブルもない。

『何に使う部屋なのかしら。』

部屋の隅に木の箱が沢山詰まれている。

一つの箱を開けると、中には拳銃が入っていた。

なんて物騒な物を持っているの。

どの箱を開けても拳銃が入っていた。

さらに、隣の段ボールには粉と煙草が入っていた。

麻薬と裏ルートの武器。私はとんでもない物を見てしまった。

とりあえず、舞踏会の会場へ戻ろうと庭を歩いていた時だった。

『Ms.スピアではありませんか。お目にかかれて光栄です。』

サック王子はにこりと微笑んだ。

女なら誰もが目を引くような端正な顔立ち。

『ご機嫌よう。Mr.サック本日の主役が何故ここに?』

『人酔いですよ。少し頭を冷やそうと思って。

ところで、貴女こそこちらに用があったのですか。』

『いえ、屋敷の探検をしていたのです。』

『左様ですか。何か面白い物は見つかりましたか』

私は言おうか言わまいか迷った。

『特にはありませんわ。』

『段ボールや木の箱なんて見ませんでしたか。』

もしかして、ばれている。極力反応をしなかった。

『あれは劇の舞台セットの一部です。』

唐突に言われ心臓が跳ねた。

『やはり、そうだったのですね。』

私は胸を撫で下ろした。

でも、おかしい。確かに焦げた臭いがした。

そして今も。

頭に硬い物が当たっている。

『こんな子供に手を挙げるのは心苦しいが仕方ない。

恨むなら自分を恨め。軽々しい気持ちで人の家に上がり込み秘密を知ってしまった。』

もう終わりだ。私が目をつぶると銃声音が響いた。

『そこまでだ。ヤード・サック。』

銃声音は耳元ではなくかなり遠いところからだ。

『今のは威嚇だが、次はないぞ。私はマーリン・ハイド。

サン・ロマーヌの上司にあたる者だ。その娘、いえ。

スピアお嬢様を返してもらおう。』

眼鏡をかけた、いかにも神経質そうな男が銃を構えていた。

『そんな取引の条件は通用しない。

少しでも動いてみろ。こいつの頭は打ち抜かれる。

さぁ、銃を下に置け。』

『くっ、卑怯な真似を。』

動けない彼はサック王子を睨みつけていた。

『どっちみち、秘密を知ったお前も死んでもらうしかない。まずはこのお嬢さんからだ。』

彼が銃を拾うよりも早く銃声が響いた。二発聞こえた。

確保だ。と声が上がった。

目を開けると私の上に覆い被さるようにして男がいた。

黒い髪にループタイ。見覚えのある横顔。

『ほら、言ったではありませんか。お怪我はありませんか。』

『ロマーヌ。どうしてここに』

『それは、貴女が助けを呼んでいる気がして。

私めの身は日々鍛錬しております故、大丈夫です。

貴女に怪我がなくてよかった。』

『何を言っているの。』

隣には片腕を撃たれ痛がっていたところを確保されたサックがいる。確保している眼鏡の男がロマーヌの横にきた。

ロマーヌは顔を上げ、会釈をした。

『ご苦労様でした。捜査員を呼んで頂き助かりました。

こちらの費用は後日、明細書にて報告させて頂き支払います。』

男はサックの手錠の嵌めてある手を掴んだ。

『いや、いい。捜査員はお前の後輩三人だが、飲みに連れていってやれ。それで相殺だろう。ところで、ロマーヌお前の身体を心配しろ。無茶しやがって。』

『私がいなければ最悪の事態になっておりました。

私でよかったのです。誰一人死ななかったのですから』

『だがな。まぁいい。救急は呼んでおいた。俺はこいつを警察に受け渡す。また会おう。』

去ってしまうとロマーヌは気が抜けたのかふらりと倒れ込んだ。ぽたりと雫が落ちる。

何処か怪我をしているのだろう。

背中を見ると出血している。じわりとシャツに血が滲んでいた。

『ロマーヌ、貴方。背中を撃たれたのね。』

『ほんのかすり傷ですよ。

意識が朦朧としてきました。おそらく失血の状態でしょうね。』

ハンカチで背中を抑えても変わらない。

『傷は痛むかしら。』

彼は呟いた。

『痛くない。本当に傷ついたのは身体でなく心だ。』

糸が切れたように私の上に倒れ込んだ。


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