第28話

「潜入してほしい」と言われたのはだいぶ前のことになる。

 ジルと組む前のことだ。

 薬物摘発のための潜入捜査を任されてからは同様に捕まり知らぬ存ぜぬでその都度仲間を渡り歩いていた。

 そんな折に言われた大物摘発の潜入を最後に抜けることを決定付けたのはかのロジャースウィーニーだった。

 紅茶チェーン店の出先でぶつかり飲み物をぶつけた弾みに駆け寄って助けたのが最初の出会いだった。

 優しい顔立ちに整った服装。一見すればどこにでもいるような男だったが、彼は薬の仲介が主に担ってはいるが銃器や時には人など扱う物は多岐に渡るという。に

「ああ、すまない。助かるよ」

「あの、よければ家がすぐそこなので乾かしましょうか」

「いや、若いお嬢さんの部屋には行けないよ」

「そうですか。それだったらせめてお茶を奢らせてくださいませんか。このまま返したら死んだ両親に叱られてしまうわ」

「……わかった。いいだろう」

「私はミシェル。ミシェルハーパー。あなたは?」

「綺麗なお嬢さん、私の名前は聞かない方がいい」

「そう? じゃあまたお茶の時に」

「なにをしているんだ?」

 掌に番号を書いていく。

「だってこのまま離れたらあなた私のことを忘れてしまいそうだもの」

 それから会う回数を重ね、彼の信頼を得て彼の事業を明かされた自宅に招き入れられる仲になった頃に紹介されたのがジュードだった。

「ずいぶん若い女に入れあげたもんだな」

「驚いたか」

「俺はあんたを心配してるんですよ。こんな女なんて怪しまない方がおかしい」

「まあそう噛みつくな、ジュード。お前が彼女の世話をしてくれ」

 スウィーニーのひと声でジュードに倣い組織の深部に潜入することに成功し徐々に情報を収集していた。

 組織から抜ける手筈を段取りをつけていた折に組織にねずみがいることが流れ追手に追い詰められ行き止まりに逃げ込んだことで絶対絶滅だった。

「弾はあと何発だ」

「6発」

 ジュードが告げた言葉に端的に返したところで銃を掴まれ引き寄せられた。

「ふざけている場合じゃないのよ」

 銃口が彼の胸の中心地に向いていた。

「お前は生きろ。俺は死ぬ」「嫌、ジュードあなたも」「駄目だ」彼の掴んだ手が引き金にかかる。

「最後くらい俺の言うことを聞け。俺はあんたと一緒にやれてよかったよ。あとは任せた」

 胸を貫いた弾丸が血を溢れさせた。

 靴音が背後で止まった。

「ネズミはこいつだったわ。吐かなかったから殺したの。構わないでしょう?」

「ああ、随分と派手にやったな」

「あなたの為だもの」

「よくやったミシェル」

 ねじ込んできた舌を噛みちぎってやろうかと思ったのを堪えて応えると満足そうに顔を緩めた。気持ちが悪くて仕方がない。

 スカートをたくしあげる薄汚い男の手に手を重ね「ここじゃ嫌よ。言ったでしょ。私は結婚するまでしないって」やんわりと嗜める。

「楽しみにしてる」

「……それは、私と結婚してくれるってことでいいの?」

 触れるだけのキスをして寄せられた肩に嫌悪感で鳥肌が立ったのを誤魔化すように人混みに紛れた隙間で再び唇を重ねた。

 こいつを絶対殺してやろうと思った。

 私の手で殺す。

 絶対。

 ジュードのためにも。






 遺体を回収して遺族の元へ届ける。

「そんな、いや。どうして。どうしてあの子が死ななくちゃならなかったの」泣き崩れた高齢の女性を抱きとめる。

「あらあなたも怪我をしてるじゃない」

 掌には血が等間隔で浮かんでいた。

 爪先にも同じように血が付いていた。

「駄目よ」

 女性の柔らかい手に包み込まれた。

 私の手は銃を持つ手のように硬くなっていた。だから好きじゃなかった。

「この手があの子を守っていたのね」

 ごめんなさい。ごめんなさい。あなたの息子を殺したのは私です。ごめんなさい。言葉にならずに涙が溢れ出した。泣きたくない。私が泣く場所じゃない。あたたかみにふれて涙が零れ落ちた。

「あの子がどんな仕事をしていたか教えてくれる?」

「すみません、機密事項のためお伝えできません」

「ただ、私が今生きていられるのは彼のおかげです」






「あんたは私を信じてくれる?」

「当たり前でしょう。相棒なんだから」

 今更なに言ってるんですかと呆れた視線を向けられて、少しだけほっとした。

 もうそれだけあればなにもいらないような気がした。

 浮かれて、浮かれすぎて、飲みすぎたのだと気づいたのは彼に背負われている背中でのことだった。

「オリビア、起きてください」

 名前を呼ぶ声と体の揺れに意識を取り戻せばこちらを覗き込む彼の姿があった。

「あれぇ、ジルぅ? ジルだぁ」

 両腕を伸ばして彼を抱きしめていた。

 鼻腔に彼のにおいが広がる。

 なんていい夢を見ているんだろう。

 だって彼が私の部屋にいるはずはない。

 そっと彼に触れると間の抜けた顔をしていたのでおもしろくなり彼の首に腕を回し引き寄せた。

「あー離せ酔っ払い」

 引き剥がしてベッドへと放り投げられ体が弾んだ。

「水分摂ってください」

「やだ」

「オリビア」

「だってジル帰っちゃうでしょ」

 誰にでもこうなのかこの人は。襲われたらどうすんだ。

「ジル」

 名前を呼ぶと

「なんですか、俺あんたに付き合ってる暇ないんで」襟首を掴みよせ唇を寄せていた。

「おもしろーい、固まってるー」笑い声を上げてベットに倒れ込んでこちらへと指を差していた。

 誤魔化すようにあげた笑い声は上擦って変な高さでこだまして体勢を崩しベッドへと倒れ込む。

 状況が飲み込めないでいるようなジルの姿が変に現実的で妙に胸が嫌な鼓動を打ち始めていた。

 腕を引き寄せられ再び重ねた唇は私の意思ではなかった。

「あんたがしたのが悪い」

 唇を噛まれ驚いた隙間から口内へと入ってきた舌からアルコールを伴った吐息に絡め取られ感じる熱は夢ではないことを報せていた。

 鼻先が触れて交わる唇に酔いは覚めていた。

 でも、止め方がわからなかった。

 見たことのない眼差しを向けられて途端に怖くなって、寝ぼけたふりをして悲鳴を上げて彼の頬を思いっきり叩いてから再びベットに倒れ込んだ。

 どうかこれで正気に戻りますように。

 これはただの事故だ。

 ため息が聞こえてやがて出て行った。

 なにあれ。

 いや、いやいやいやいや。

 彼はまだ若い。

 若さゆえの行動だ。

 しばらく、距離を置こう。

 そんな折に降った命令は渡りに船で飛びついた。

 ロジャースウィーニーと恋仲になり組織に取り入って仲間を殺した。

 あれは任務だった。でも、そうであってもジルには知られたくなかった。知られたら軽蔑されるかもしれない。そう思ったらこわかった。

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