第5話

「君は馬鹿なのか?」

「わかってるわよ」

「わかってるとは到底思えないが」

 情報を聞気に来たはずなのに話の流れで昨晩のことをバッカスに話すと帰ってきたのがその言葉だった。バッカスにじっと見つめられて目を逸らす。

「ただ一緒に寝たぐらい構わないじゃない」

 呆れたようにため息を吐いてソファーに深く座り込んだ。

「で? 彼に話は聞けたのか?」

 彼がいれてくれたコーヒーを啜る。

「オリビア、まさか君は彼と寝るためだけに彼の部屋に入ったんじゃないだろう?」

「いや、それは、その」まさにそれだけのために入りました。

 とは言えず口籠ってからコーヒーの入ったカップの水面に視線を移して問題から目を逸らした。

「……チャーリーミルズ。聞き覚えはあるか?」

 こちらの態度にどう思ったのか彼はそれ以上追求するつもりはないらしくファイルを寄越して話題を変えた。表情を見るに納得はしていなかったがこちらとしては助かるので彼の問いに頷いて渡されたファイルを開く。

 チャーリーミルズ。

 彼は内務調査室の室長で、私にジルの様子を報告するよう言ってきた人物だ。わざわざ手を貸す理由がないのと当時の上司ではないので断ったおぼえがある。

「彼が先週殺された」

「……殺された?」

「ああ。河岸の外れで刺殺体で見つかった。腰には拳銃財布も持ったままで単なる物取りではなく怨恨とみられている」

「内調の捜査官なら恨みも買うでしょう」

「37回刺されるというのは些か多すぎはしないか?」

 示された写真には体の至る所が抉れて赤黒くなっている部位が写っていた。相当な怨みでもあったのか。ここまでするのはそれなりの力がいる。おそらく犯人は男だ。

「……確かに多いわね。容疑者の目星はついているの?」

「まだだ。銀行記録に変動はなく脅された形跡はない。銃を抜いた形跡もないため顔見知りの犯行ではないかと捜査にあたっている」

「そう。ところで、それをどうして私に話すの?」

「ミルズがお前とジルに指示を出していたことがわかったからだ」

 それは初耳だった。彼が上から指示を出されていたのは気づいていたがそれがミルズ室長からだとは思わなかった。そうして私は殺された。彼にどういった意図があったかはわからないが私は組織を裏切っていない。もしかしたら彼は私を裏切り者だと思って殺したの? もしそうだとしても私がジルを恨むことはない。結果的に私はこうして生きているからだ。

「私は断ったけれど彼は受けたと言いたいの?」

「ああ」

「どうしてわかったの?」

 ソファーから腰を上げて壁に備え付けられた棚のひとつから茶封筒を手に取って戻って来ると机にそれを置いた。

「ミルズ本人から荷物が届いたからだ。奴は自身に身の危険が迫っているのを理解していたんだろうな」

「なにこれ」

「ミルズが扱っていた調査書だろうな」

「どうしてそれをあなたが?」

「さあ。奴はもう死んだから真意はわからないがこれで真実がわかるなら使えばいい。俺には必要ないからな」

 ありがたく受け取った書類を鞄に詰め込んでいく。

 用が済んだらさっさと帰れ。と囃し立てる形で追い出される。

「またなにかわかったら連絡する」

「わかったわ」

 バッカスに別れをつげて来た道とは逆に進んでいく。

 途中で手軽に食べられそうな食料を買ってから路地を何本か折れて角を曲がり階段を降りて線路下を抜けて向かいの階段を登って道なりに進んでいくと見えてきたのはコンクリート造りの無骨な建物だった。隣の建物は経年劣化で朽ち果てていたがその建物だけは変わらずにいる。外階段を登ってたどり着いた最初の扉の上の縁に手を伸ばす。確かこのあたりに鍵を隠していたはずだと手を伸ばすが昔より目線がだいぶ低くなっていて届かない。

 あたりを見渡して台に使えそうなものを持ってきて手を伸ばして鍵を掴みとって部屋の鍵を解除してドアノブを回して扉をあける。足を踏み入れると埃っぽいにおいとわずかにアルコールが鼻についた。板間の廊下の脇のいくつかの扉はバスルームへと続いている。その扉を横切って突き当たりの扉を潜る。開けた場所には壁にキッチンと冷蔵庫と丸椅子、光が差し込んだ部屋の中央にはソファーと机とベッド。反対側の壁には色褪せた紙類か貼り付けてあった。ここは以前の私が使っていた部屋だった。

 この空間だけ切り取られたように昔と変わらず存在していてそれが私が私であることを示しているような気がして思わず泣きそうになった。奥歯を噛み締めてから鞄を定位置に置いて窓を開けて空気を入れ替えていく。

 ベランダからは階段が伸びて屋上へと続いている。

 角には枯れた植物が鉢から枝だけを突き出していた。定期的に口座から引き落とされているはずだからと試しに蛇口を捻ると本当に水がでて驚いた。死んだはずなのにまだ引き落とされていたことに笑えた。電気も使えたのでついでに部屋の掃除と洗濯を済ませる。屋上ではためくシーツの間を縫ってソファーに寝転んだ。昔は足がはみ出て小さく感じたものだが今はぴったりだった。

 風が通り抜けていく。

 久々に生きているような気がした。

 あの部屋、この子には悪いけど、解約してこっちに住んだ方がいいかもしれない。やっぱりどう考えても隣はまずい。あいつは私が私だと気づいたらどうするだろう。また殺されるかな。私はそれでもいい。って言ったらバッカスに怒られそうな気がして考えるのをやめた。

 部屋に戻ってバッカスにもらった資料を鞄から出して机に広げていく。

 見たところ中身としては私とジルのことが事細かに調べられていた。

 悪いとは思いつつも気になるのでジルの資料を見ていく。

 これはあくまで解決のためだ。と理由付けてページを捲っていく手を止めた。面白半分で見てはいけないような気がした。

 私自身のことは私が一番わかっている。

 彼のことも少なくとも簡単に人を殺すことはない。

 他になにかないかと調べていくと調査書がまだあった。

 それはキャロラインジョーンズという人物のものだった。

 誰かは知らないが同封されていたのだから少なくとも私たちに関係のある人物なのだろう。

 キャロラインジョーンズ。

 どっかで聞いたような気もするがどこでだったかと記憶を掘り起こしていく。

 確か誰かから名前を聞いた気がする。

 どこだったか。頭を捻り出すが思い出せない。それに眠たくて目を開けていられない。

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