第3話 旅立ちましょ

「さあお嬢様、出発ですわね!」


 クレールの表情はなぜだかとっても明るい。考えれば考えるほど、あまり先行きが明るいとは思えないんだけど、この前向きさには癒されるわあ。まあいいかな、って気分になるわ。


「ええ、クレール。足、引っ張っちゃいそうだけど、今後ともよろしくね」


「もちろんですわ、お任せくださいっ! 私はお嬢様のお世話をするのが、生きがいなんですからね」


「あのさ、もう令嬢と侍女じゃなくて旅仲間なんだから、『お嬢様』っていうのはやめよう? シャルロットでいいよ」


「そんな、お嬢様はお嬢様で……」


「クレール……」


 ちょっとジト目でクレールをにらんでみる。


「わかりました……シャルロット……様」


「まあ、それでいいわ」


 確かに、急にお友達呼びは難しいよね。ゆっくり進めよっか。それに、このシャルロットという名前だって、どっかで捨てちゃおうとひそかに計画している私なのだ。


 クレールは多分私の三倍近い荷物を背負ってるはずなのに、足取りも軽くずんずん先行していく。身体は私よりちっちゃいのに。やっぱり獣人の体力って、すごいわ。


「ところでおじょ……シャルロット様? 私達は、どこへ向かっているのです?」


 ええ? そこを知らずに前を歩いてたのか、この娘は。思わず笑っちゃうわ。


「うん。私の担当だった東地区を進んで、国外に出るしかないと思うのよね。他の地区にいる魔獣たちは、『元聖女』の私を無事に通してくれるとは思わないから。東地区から国外を目指すとすると、高山を避けて東北方面のバイエルン王国に行くしかないかな……」


 そうなのだ。私以外の聖女は、魔獣を妖魔や悪霊と一緒くたにして、排除……ようは殺しまくっているのだ。当然魔獣側の「聖女」に対する恨みは深く、「元」であっても聖女を見逃してくれるわけはない。国外に行かねばならないなら、比較的魔獣が友好的であろう、自分が担当していた東地区を進む選択肢しかないだろう。


 「異端の聖女」たる私は、東の隣国バイエルンに行っても歓迎されないだろうけど、あの国の森はとても深いと聞く。仲良くできる魔獣と一緒に、人里離れた辺境で、静かに暮らせるんじゃないかと、期待してるわ。運よく、たどり着ければの話だけどね。


「よかったです。あちらは森の国ですね、私も森が大好きです!」


 そう言ってくれるんじゃないかと思ったわよ。可愛いわ、クレール。


◇◇◇◇◇◇◇◇


 もう四時間ばかり、ひたすらクレールの背中ばかり見て歩いている。


 彼女の足取りは、出発した時と同じくまったく乱れがない。私よりはるかに重たい荷物を背負っているのに、ほんとにすごいわ。


「おじょ……シャルロット様。野宿できそうな場所に出るまで、頑張りましょうね」


「うん。私は大丈夫だよ」


 私とクレールは、疎林の中に途切れがちに続く間道を進んでいる。教会からもお父様からも、開けた街道を行くことを禁じられているからね。馬も通れないこんな道を行くのは、私も含めて何か後ろ暗いところがある人間だけだろう。


 まだ私も、歩ける体力は十分残っているわ。「聖女」業はそのエレガントな職名に似合わず、基本的に魔獣や妖魔のテリトリーに踏み込む体力勝負のお仕事だったから、野歩きにはすっかり慣れてしまっていて、この方面に関して私の体力は普通の令嬢のそれではないのよね。ま、私が持つべき荷物のかなりの部分をクレールが背負ってくれているっていうのが大きいんだけど……申し訳ないけどこれは、素の筋力が違うんだから、仕方がないでしょ。


「あっ、水音がしますね……」


 クレールの可愛いケモ耳が、ぴくっと動く。


「私にはさっぱり聞こえないわ、やっぱりクレールの聴力はすごいわよね」


「獣人にも、何か取り柄があるものですよ」


「あら、クレールのいいとこは、他にもたくさんあるわよ。そんなに重たい荷物も軽々と持てるし、走れば早いし。お料理も上手で、お茶を入れてくれる所作は美しくて、尻尾の毛並みは最高で……何しろ、クールなルックスで、可愛いじゃない!」


「シャルロット様……」


 わかりやすく頬を染めるクレール。う~ん、この娘はどうも謙虚過ぎて、自分の魅力に鈍感なのよね。私が男の子だったら絶対お嫁さんにして、毎晩もふもふしちゃうのに……。


 二十分ばかり歩くと、小高い丘のふもと、ちょっとした広さの草地に着いた。丘の方から清冽な湧水がさらさらと流れている。こんな遠くの水音を聞き付けたのかと、またクレールの能力に驚く私だった。


「今日はここで野宿いたしましょうね。シャルロット様、一日歩きづめで、お疲れになったのではありませんか?」


「そんなでもないわ。私、力はないけど歩くのだけなら慣れてるから」


「それならよかったです。野営の準備を致しますから、腰かけて待っていてくださいね」


「何か、私が手伝えることは……」


「これは私の仕事ですからっ」


 きっぱり言い切ったクレール。簡易テントをさっと設置して、すぐ火の準備をして……その手際の良さには舌を巻いてしまう。確かに、これは私がヘタに手を出すと、かえって邪魔になってしまうだろう。ここは、お任せしよう、うん。


 ものの三十分もすると、石を積んだかまどの上に、ベーコンとジャガイモとニンジンがたっぷり入った、暖かいスープが食欲をそそる匂いを立てていた。とってもおいしい……ほどよく疲れた身体に染みわたるわ。働かざるもの食うべからずと言うけれど、準備に何にも役立たなかった私が食べても、いいのかしら。せめて食後の洗い物くらいは、手伝おうかな。


 やがて日が沈んで、暗闇の中で優しく揺れる焚火をぼぅっと見つめながら、クレールが入れてくれたお茶をいただく。結局、何もかもクレールにお任せしてしまった。


「持ってこられる荷物なんか限られているのに、その中で私にこんな優雅な楽しみをさせてくれるように、考えてくれてるんだ……すごいよねクレールは」


「そうですね。だってお嬢様なんですから。綺麗なドレスとかは無理でも、出来るだけのことはして差しあげたいと……」


「ありがと。でも本当に気を使わないで欲しいの。これからは生き残ることに精一杯になるんだし、もう令嬢と侍女じゃなくて、『旅仲間』なんだから」


「ふふっ、『旅仲間』って言葉の響き、いいですね。できるだけそう致しますわ」


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