第15話 マティーファ、上げて落とされる/ドゥーン、滝汗をかく


 》


 その連絡は、私たちが出撃の準備をしている際に、唐突に入ってきた。


「……」


 ガレスさん。そしてヒルドさん。

 トワイライトがいないため、わが「暮れずの黄昏」がこの場に持ち込んだ「虹」の武装は、このふたりが使う二本だけであった。


 しかし、これを含めた七本の武装で、私たちはあの魔獣の、少なくとも足止めをしなければならない。

 それがなされなかった時に訪れるのは、「妖狐の森」とその周辺、面積で言えば数千平方キロ以上にもわたる地域を、魔獣により「再奪還」されるという、最悪の結果である。


 これは、「黄昏」というギルドに私が参加して以来、間違いなく最大最難度の任務であると思われた。


 我がギルドには、トワイライト以外にも、不撓不屈の「英雄」がふたりもいる。

 そうそう敗北を喫することなど、ありえない。

 私はそう、己へと言い聞かせるように、その紛れもない「事実」を何度も心の中で反芻するが、


 ……なにが起こるのか分からないのが、対魔獣戦闘というもの。


 心中に落ちた不安の種は、消えはしない。


 と、


「マティーファさん!」


 その時だった。


 遠距離念話に長けた術師のトーマスが、どこかからの緊急連絡を受けたのだ。


 本来であれば、このような最悪の緊急事態時、そのような連絡を受けている暇はない。

 しかし、あるいは遠方にいる有力ギルドが、増援に駆けつけてくれたのではないかと、私はそんな、ある種の希望的観測を抱きながら念話に応じた。


 そしてそれは、私の希望的観測を、はるかに上回る希望の訪れだった。


『マティーファか。今向かっている。──ざっくりとでいいので、方向を教えてはくれないか』


  》


「──マティーファ!」


 俺は、ノエルが嗅ぎつけたその「兆候」を、「暮れずの黄昏」ギルドマスター、トワイライト・レイドがこちらへ向かってきている、そのための影響である、と確信していた。


 地形を変える。環境を変える。

 そうして人類を脅かすのが魔獣というものであるのなら、それに対抗する力を持つ「英雄」が、伍する影響を自然へと与えてしまうのは、当然、自明の理なのである。


 ……原理とか全然わかんないけどな!


 何せ、マジでたったひとりで都市級の大魔獣と矛を交えるような、変態どもの話だ。


 近づくだけで風が震え、森がざわめき、動物が姿を消す。

 あるいはそれは、彼らが持つ「獣王武装」が放つ超自然的な力、なのかとも思うのだが、やはり想像の域を出るものではない。


 だが、とにかく俺は確信していた。


 最新の英雄、「暮れずの黄昏」のトワイライト・レイド。

 その影響がすでにルルドの町に届いているのなら、そう時を待たずして、かの男がこの森へと到着するのは、わかりきったことなのである。


 俺は今、そのことを「暮れずの黄昏」のメンバーたち、ひいてはマティーファに確認しようと、ノエルとレイチェルと共に駆けてきたのだが、


「──平伏しなさぁい!」


 トーマスのそばで、なにやら念話中なのか耳に手を当てたマティーファが、こちらの姿を確認するなり、腕を横へと大きく振りながら、ドヤ顔をかましてきた。


「お、おォう……」


 俺は思わず駆け足を緩め、得意げな顔でこちらへ視線を送ってくるマティーファの言葉に、耳を傾けた。


「あははははは! まぁ色々あったけど、やはり最強は我が『暮れずの黄昏』! 超級の大魔獣がなぁに!? 獣王武装がなぁに!?『明けずの暁』がなぁに!? そのどれも、木端木端ぁ! いかに英雄が雁首揃えようと、うちのマスター、トワイライトにかなうものではないわぁ! ふふふふふ、あれだけの大魔獣、一息に両断してしまったなら、どれだけの詩が生まれることか! もはや『天球組合』も『クロス・オブ・ウォーズ』も超えて、『黄昏』が大陸の覇者になる日も、すぐそこねぇ!」


「マティーファさんマティーファさん、私たち別に覇者になるために戦っているわけでは」


「確かにトワイライトはちょっと別次元だが、こうまでハッキリ言われるとおっちゃんさすがに傷ついちまうなぁ」


 あまりにもハイな様子に、キャスリンもガレスも、そのほかのメンバーたちも、ちょっと引いている。というかその念話、もしかしなくてもトワイと繋がってるんじゃねえのか?


 しかし、


「……おいマティーファ、確かにトワイの強さは別次元だが……あまり過信すンなよ。何せ相手は、前代未聞の大魔獣。能力の解析も、まだ満足にはできてねェんだろう?」


「は! こーれだから要領のよさと悪巧みしか能のない三流木端開拓者はだめねぇ!」


 ……自覚のあることを他人に言われるほど座りの悪いものはねェなー……。


 若干イラッとして、緊急事態だが反論してやろうかと、そう思ったが、それより先にマティーファが声をあげた。


「どうして私がここまで自信満々でいられるか! 加えて言えば、どうして私が、まがりなりにも『黄昏』の一角を担っていた、あなたを容赦なく追放できたか! 教えてあげましょうかぁ!」


 マティーファは言う。


「我がギルドが所有する『虹等級』の獣王武装! それが現状、何本あるのか、あなたはご存知ぃ!?」


「……そりゃあ……」


 三本。すなわちトワイが持つものと、ガレスが持つものと、ヒルドが持つものだ。


 だがマティーファは、こちらの言葉を否定する。


「四本、よぉ」


 周囲、俺だけでなく、「黄昏」のメンバーたち、ひいては「虹」武装の使い手の一人であるガレスまでもが、一様に驚きの表情を浮かべる。


「マティーファ、そいつぁ……」


「嘘ではないわ、ガレスさん。四本。これは私とトワイライトの、ふたりしか知らない事実だけれど、ねぇ」


 マティーファが続ける。


「獣王武装の一部は、己の主人を己で決める。きっと、どこかの戦場で誰かが魔獣を倒し、新たに出土したか、あるいは元の持ち主が死んだかしたのでしょうねぇ。必然として、その獣王武装は、己の使い手を己で選んだ。すなわち──トワイの元に、馳せ参じた」


 それが、およそ一ヶ月前。俺がギルドを追放になる、その少し前、とのことだった。


 わかるぅ? と、マティーファが告げる。


「今のトワイライトは、前代未聞、大陸史上にも例がなかった、二本の『虹』等級武装を有する、世界最強の戦士なのよぉ! どんな大魔獣が相手でも、負ける道理はないわぁ! あははははははは!」


 そう言って高笑いを続けるマティーファは、己、そしてトワイの勝利を、心の底から信じているようだ。


 その様子は控えめに言ってドン引きものだが、それでもその情報──すなわちトワイがこちらへ向かってきており、その手には新たに二本の獣王武装が携えられているということ──を聞き、周囲の雰囲気がにわかに弛緩する。


 ここでトワイと二本の「虹」が戦列に加わったのなら、「虹」武装の数は、最低でも九本だ。

 最初の段階では、あの大魔獣は七本の武装で抑えられていたわけなのだから、これは十分に勝ちの目を感じていい状況である。


 と、その時、


『今、明けずの暁、と言ったか』


 今のマティーファの言葉を聞いていたのだろう、その念話相手であるトワイが、会話に割り込んできた。


 俺は言う。


「トワイか」


『ああ、やはりお前かドゥーン。声だけだが、元気そうで何よりだ。数週間とはいえ、思えばこうまで長期間にわたってお前と離れたのは、随分と久しぶりのことだな』


 トワイはそう言って、まるで日常における世間話をしでもするかのように、念話ごしにこちらへと語りかけてくる。


『できればゆっくり話をしたいが、どうやら大変な状況のようだな。できる限り急いで向かっているから、どうかもたせて欲しい。到着次第、俺も戦列に加わる』


「あ、あァ……それはいいンだが、お前ェ、随分と普通に話しかけてくるンだな。何せ……」


 お前は俺を、ギルドから追い出した男だろう、と。


 そう言おうとしたが、その前にトワイは、


『ん? ああ、確かに俺は、お前をギルドから追い出したからな。わだかまりがあって当然、か』


 そしてトワイは言った。


『だが、それはお前が悪かったのだから仕方がない。大丈夫だ、俺は気にしていない。仲良くやろう』


 》


 その念話が響いたとき、周囲には、えも言われぬ沈黙が満ちた。


 見ればガレスはこちらから目を逸らし、キャスリンは何が起こったのかわからない、というように周囲を見渡し、ウルティマは後ろを向いて妖精体操を始めた。最後のはよくわからん。


 そう。この男は、こういう男なのだ。


 他人の感情がわからず、気を遣うということをせず、ただ己の正義にのみ則って行動をする。


 その行動原理にあるものが、偶然「正義」という人間社会に即したものだったからいいものの、そこのところが少しズレていたら、もしかして稀代の大犯罪者にでもなっていたかもしれん。


 そう考えると、トワイがマティーファの口車に乗ってしまったのも、当然であると思えた。

 おそらく、信じたのだ。

 マティーファが言うこと、提案する内容、その一言一句全てを。


 そんなトワイの言葉を聞き、マティーファが言った。


「トワイライト? 前にも言いましたよねぇ? この男、ドゥーンは最低最悪のセクハラ野郎。犯罪者相手に『仲良くやろう』は、ちょっと……」


『む。よくないか? しかしならばどうすれば……』


 と、このような様子である。


『そうだ、ドゥーン、お前が罪を償えばいい。……ん? だが俺はお前に「処分を受ければ訴えは取り下げる」と約束してしまったな。どうしようドゥーン、俺はお前に罪を償わせる機会を失わせてしまった。あ、いや、しかしあれはマティーファの提案で』


「あー、あー、トワイトワイ。今はそれどころじゃねェ、ってのは、理解してるか?」


 何やら会話が脱線してきた。

 ついでに言えば、この男は必要と感じれば、本気で俺を牢獄にぶち込みにかかりかねないから、話題を変える必要がある。


「こっちは今、大変なンだ。お前の力がいる」


『無論だ。だから急ぎそちらへ向かっている』


「そうか。なら……」


『だが、さっきマティーファが言っていた、二本目の「虹」武装。あれは、今俺の手元にはないぞ』


 ……は?


「は!?」


 不覚にも、俺の心の中の困惑と、とマティーファのリアクションがぴたりと同じ音を紡いだ。


 周囲の皆も、大体は同じような反応だ。


「いえ、あの、え!? トワイライト、あの、二本目の『獣王武装』、手に入れていたじゃありませんかぁ!? あの、え、うん……? 夢……?」


『マティーファマティーファ、何を急速に自信を失っているのかわからないが、大丈夫だ。あれは夢ではない』


 そう言ったトワイの台詞を聞き、マティーファが安堵したように顔を綻ばせた。

 しかし、その表情に込められた困惑は、未だ消えてはいない。


 俺はトワイにきいた。


「お前、いつの間に二本目の『虹』武装なんて手に入れてたンだ?」


『まあ、不意に、な。俺の力と言うより、運がよかったんだ。それにマティーファに口止めをされていた。意味はわからなかったが』


 それでもマティーファの言葉通りに行動するあたりが、本当にトワイである。


「で、その武装は今どこに? どんな『加護』を持っている? どんな形だ?」


 その情報は、今この場において、特に重要なものだ。


 何せ、その内包された「加護」の内容次第では、あの超級魔獣であろうと、完封できてしまう可能性が生まれるのだから。


 周囲、「黄昏」の皆も、息を飲んでトワイの返答を待っている。


 だが、


『何を言っている、ドゥーン』


 トワイが言った。


『あの剣は、お前がギルドを離れるとき、お前に渡しただろう。この「インドラ」と引き換えに』


「……………………」


 俺は。


 俺は、自分の腰に刷かれている、質はいいがあくまで換えのきく、ゴゾーラ謹製の鉄剣、その柄を片手で撫でた。


 周囲は、おお、とか、あれが……? とか、何やら勘違いして期待のこもった目をこちらへと向けている。


「アニキ。……アニキ」


 売った、とは、口が裂けても言えない空気であった。

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